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	<title>車 | KENブログ 風のように、しなやかに</title>
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	<description>気づいたこと思ったことなどを、気ままに書き連ねています。</description>
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		<title>映画『0.5ミリ』の余韻(よいん）人はどこまで共感しあえるのか？(ネタバレ注意)</title>
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		<dc:creator><![CDATA[kenken]]></dc:creator>
		<pubDate>Sat, 09 Nov 2024 09:35:33 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[映画考察]]></category>
		<category><![CDATA[車]]></category>
		<category><![CDATA[0.5ミリ]]></category>
		<category><![CDATA[映画]]></category>
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					<description><![CDATA[<p>この記事は映画を鑑賞した方を対象としています。未鑑賞の方にとってはネタバレとなる内容もありますので、ご注意ください。 本編において、映画のあらすじ紹介や、登場人物の俳優の写真等の掲載はしていませんので、そういったものをお [&#8230;]</p>
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										<content:encoded><![CDATA[<p>
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<p><span class="bold-blue">この記事は映画を鑑賞した方を対象としています。未鑑賞の方にとってはネタバレとなる内容もありますので、ご注意ください。</span></p>
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<p class="is-style-clip-box has-box-style">本編において、映画のあらすじ紹介や、登場人物の俳優の写真等の掲載はしていませんので、そういったものをお知りになりたい場合には、下記、公式ホームページを、ご参照ください。<br><span class="fz-12px"><a rel="noopener" target="_blank" href="https://www.05mm.ayapro.ne.jp/" title=""><strong>映画『0.5ミリ』公式サイト</strong><span class="fa fa-link external-icon anchor-icon"></span></a></span></p>
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  <div id="toc" class="toc tnt-number toc-center tnt-number border-element"><input type="checkbox" class="toc-checkbox" id="toc-checkbox-2" checked><label class="toc-title" for="toc-checkbox-2">目次</label>
    <div class="toc-content">
    <ol class="toc-list open"><li><a href="#toc1" tabindex="0">昭和の、あの名作…</a><ol><li><a href="#toc2" tabindex="0">映画に漂う、あの名画との共通点</a></li><li><a href="#toc3" tabindex="0">見知らぬ人との距離感</a></li><li><a href="#toc4" tabindex="0">痴ほう・そして戦争</a></li></ol></li><li><a href="#toc5" tabindex="0">サワの涙に見る『物心両面の幸福』</a></li><li><a href="#toc6" tabindex="0">生きることは、自分の穢けがれを認めていくこと</a><ol><li><a href="#toc7" tabindex="0">マイノリティとマイノリティ</a></li></ol></li><li><a href="#toc8" tabindex="0">人生はダンス(円舞)の様に</a></li></ol>
    </div>
  </div>

<h2 class="wp-block-heading has-text-align-left"><span id="toc1">昭和の、あの名作…</span></h2>
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<br />
<figure class="wp-block-image aligncenter size-full is-resized"><img fetchpriority="high" decoding="async" width="780" height="506" src="https://kenyu.red/wp-content/uploads/2024/11/camera-4616573_1280.jpg" alt="" class="wp-image-6680" style="width:660px;height:auto" srcset="https://kenyu.red/wp-content/uploads/2024/11/camera-4616573_1280.jpg 780w, https://kenyu.red/wp-content/uploads/2024/11/camera-4616573_1280-300x195.jpg 300w, https://kenyu.red/wp-content/uploads/2024/11/camera-4616573_1280-768x498.jpg 768w" sizes="(max-width: 780px) 100vw, 780px" /><figcaption class="wp-element-caption">写真は映画本編とは関係がありません。</figcaption></figure><br />
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<h3 class="wp-block-heading"><span id="toc2">映画に漂う、あの名画との共通点</span></h3>
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<br />
<br />
<p>この映画が、どの様な物語なのかと言えば、安藤サクラが演じる介護士(ヘルパー)のサワが、街中で孤独を抱える”おじいさん”を見つけては、その能力と魅力でとりこして、たくましく生きていく話である。しかし登場人物は老人ばかりではない、引きこもりの若者マコトとの交流も描きこまれた不思議な世界観が描かれている話である。<br>しかし、この映画を鑑賞していくうちに、この映画に漂う雰囲気にある一つの映画が頭に浮かんできた。それが昭和の名画「男はつらいよ」である。一見、まるで共通点の無い映画にも思えるが、確かに似た匂いを筆者は感じたのである。<br><br>さて、では「男はつらいよ」と「0.5ミリ」になぜ同じ匂いを感じるのか、その共通点を洗いだしてみたい。<br>共通点として、まず最初に挙げられるのは「所在のなさ」である。寅さんは、基本的に旅ガラスであり自分の持ち家はない。日本中を旅して生活をしており、時には宿ではなく駅に泊まることもある。また親切な人と出会い、そこでお世話になるということが定番だ。サワも、帰る家が無く、街で出会ったおじいさんの家で世話になるか、そうでなければ車の中で夜を明かすこともある。<br><br>そして、この映画0.5ミリには「すたれゆく昭和の匂い」を色濃く描いている。<br>「男はつらいよ」はもちろん昭和がメインの映画なのだから、昭和の匂いがするのは当然なのだが、よくよく見ると、すでに昭和時代において無くなりかけていたもの、ひなびた温泉宿、廃線になりそうな路線そして古い駅舎といったものが、これでもかと登場する。そして、寅さんがスーパーマーケットで買い物をすることはない、必ず人との会話が楽しめる昔ながらの商店である。「0.5ミリ」でも古いものが多く登場する、サワがシゲル(坂田利夫）との夕食の買い物をするのも昔ながらの商店、そして、シゲルのトタン波板を外壁にしている家、高度経済成長期に多く建てられたもので現在では無くなりつつある。先生の(津川雅彦）の家も旧家でレンガ塀に瓦という大正か昭和初期に作られたと思われる趣のある建物だ。また、シネコン(シネマコンプレックス)に押されて消え去りつつある街の昔からの映画館、ノスタルジックがこれでもかと満載である。<br><br>登場人物たちも、昭和を象徴するような人達である。老人役の俳優はもちろん昭和を代表する名優といっていい人達ばかり、また、安藤サクラという主演女優も、どこか昭和の匂いを漂わせることのできる女優ではないかという気がする。ノスタルジックな街並みに安藤サクラという構図が、実は抜群の安定感として効いている映画となっているのだ。いすゞクーペ117という、ちょっと男くさい昭和の名車を運転していて違和感を抱かない女優も、実はそうはいない気がするが、そんなことも鑑賞者に気にさせない雰囲気を、彼女は当然のごとく漂わせることができるのである。台所に立つ安藤サクラの姿に、昭和時代の母親像を思い浮かべた年配の方は少なくないのではないだろうか。</p>
<br />
<br />
<br />
<h3 class="wp-block-heading"><span id="toc3">見知らぬ人との距離感</span></h3>
<br />
<br />
<br />
<p>所在がない昭和の雰囲気、それだけでイコール「男はつらいよ」とは、流石に筆者も思わない。<br>次の共通点があればこそ、この二つの映画に似た匂いを感じたのである。<br>その最後の共通点、それは「知らない人との距離感」である。<br><br>寅さんもサワも、ここぞという時には、初見の人であっても驚くほど<ruby>躊躇<rt>ちゅうちょ</rt></ruby>なく踏み込んでいく。寅さんは、あの屈託のない人たらしの笑顔と口上で、サワは、老人の弱点を<ruby>衝<rt>つ</rt></ruby>くずる賢さも使ってである。寅さんに踏み込まれたマドンナ達は、寅さんを知れば知るほどそのウソのない人柄に魅了されていくのであり(恋人としてではないのだが…）、サワに取り込まれた老人は、共に生活をすればするほど、その生活力、思いやりに魅了されていく。<br>そして、距離感は入り込む時だけではない、離れていく際も、寅さんとサワには似た空気を感じさせる。二人とも、人の心に溶け込むようにしてスッと入り込むが、別れ際も実に<ruby>潔<rt>いさぎよ</rt></ruby>くスッと去っていくのだ。その潔さは、自分が携われる範囲では全力を尽くすが、その人の幸せが自分の手の届かない場所・人達によって成されるのであることを悟ると、自分はスッとその場を立ち去るのである、その人の幸せを願いながら…。</p>
<br />
<br />
<br />
<p>寅さんもサワも老人には受けがよい。その心内にスッと入り込み旧知の知り合いの様に打ち解けることができる。しかし、一方、若者との交流はどうであろうか？ 寅さんには<ruby>満男<rt>みつお</rt></ruby>(演：吉岡秀隆)という甥が登場し、シリーズ後半では満男がメインで描かれていくストーリーが増える、「0.5ミリ」でも映画の後半になって、片岡家にいたマコトが再登場しサワとの交流が描かれていく。<br>そして、満男にとって寅さんは、心の支えになっているのである。一方、「0.5ミリ」では、マコトはサワに髪を切ることを委ね、そしてサワの運転する車で安心しきったかの様に寝ているシーンがラストに映し出され映画は終幕を迎える。寅さんに対する満男と、サワに対するマコトは、やはり重なる部分があるのだ。<br><br>だが、ここが重要なのだが、寅さんもサワも、実は若者に対して特別何かしたわけではない、ただ、寄り添っていただけなのだ。つまり、マコトが自分自身に向き合って現状から脱し一歩踏み出したのは、サワがきっかけではあるものの、サワのおかげとまでは言えないのではないだろうか。実は、そのきっかけを作ったのは、ほぼほぼ父(柄本明）である。酔っぱらっていつもの様にマコトに絡んでいたが、今回はなぜか本に執着して、それを捨て去る行為に出るのである。マコトが現実逃避の<ruby>鎧<rt>よろい</rt></ruby>として本の世界に逃げ込んでいたのは疑いようの余地がない。そういう意味で、その鎧を<ruby>剝<rt>は</rt></ruby>がし、自分自身に向き合うようなきっかけを作ったのは、やはり父なのだ。サワはそんな鎧を剥がされたマコトに寄り添う役を引き継ぎ、結果としてマコトが新たな道を進む一歩を見届けたに過ぎない。<br><br>さて、ここまではサワと寅さんというキャラクターの共通性をメインに取り上げてきたが、もちろん、この「0.5ミリ」は「男はつらいよ」と似た映画という一言で終わらせることができるような単純な映画ではない。そのあたりについて、もう少し掘り下げて見ていきたい。<br><br>この映画では、多くの老人が登場する。そのどれもが孤独を抱えているという点では一致しているが、老人ならではの問題も多く描かれている。介護の問題、老人を狙った詐欺の問題、老後資金の問題 等… 孤独な老人という視点で描かれた、こちらも名作映画「東京物語」にも共通する話題であるが、ここでは、あえて「痴ほう」という点にフォーカスしたい。というのも、「0.5ミリ」という映画の中での痴ほうは少し独特なメッセージ性を帯びている気がするからである。</p>
<br />
<br />
<br />
<h3 class="wp-block-heading has-text-align-left"><span id="toc4">痴ほう・そして戦争</span></h3>
<br />
<br />
<br />
<p>痴ほうの話は、映画の中盤から後半にかけて、先生(津川雅彦）が登場するパートで描かれている。先生は痴ほうの妻(草笛光子)を持つが、自身も痴ほうになっていく結末を迎えるという展回をしていく。<br>この映画では、痴ほう介護の大変さや困難さを、ことさらに<ruby>煽<rt>あお</rt></ruby>るようなことはせず、逆に痴ほうによって、その人が持つペルソナ(仮面)が剥がされ、真に自分が持つ思想や視点に行き着いて行く姿が描かれている。<br>では、先生や、その妻が、その一生をかけて行き着いたものが何だったのか？<br>それは「戦争」なのだ、この世代にとっては良くも悪くも戦争を忘却することはできず、痴ほうになって残るのは、そこになってしまうという哀しさを帯びている。元海軍の先生にとって「戦争」とは一体何であったのか？　妻にとって「歌」とは一体何であったのか？画面越しにこちらに向けられる姿を通して、否が応でも、その意味を考えざるを得ない。<br><br>私たちは、戦争の悲惨さ愚かさを伝える存在として、きちんと先人の貴重な体験・メッセージを受け止めたのであろうか？ 次の世代に、それを伝える事の出来る存在になれているのであろうか？<br>「サワさんへ」と書かれたテープ、痴ほうによって出版社の編集者と間違われているとはいえ、彼女宛に残されたメッセージ。単に介護士・ヘルパーではなく、人間サワとして対峙しなければならなかったように、我々も、このメッセージに対しては同じように対峙をしなければならないのであろう。それが、本来、戦後世代を生きる者の使命なのであり、戦後という時代を続けていける唯一の方法なのだ。</p>
<br />
<br />
<br />
<h2 class="wp-block-heading"><span id="toc5">サワの涙に見る『物心両面の幸福』</span></h2>
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<figure class="wp-block-image aligncenter size-full is-resized"><img decoding="async" width="780" height="520" src="https://kenyu.red/wp-content/uploads/2024/11/time-1558037_1280.jpg" alt="" class="wp-image-6681" style="width:714px;height:auto" srcset="https://kenyu.red/wp-content/uploads/2024/11/time-1558037_1280.jpg 780w, https://kenyu.red/wp-content/uploads/2024/11/time-1558037_1280-300x200.jpg 300w, https://kenyu.red/wp-content/uploads/2024/11/time-1558037_1280-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 780px) 100vw, 780px" /><figcaption class="wp-element-caption">写真は映画本編とは関係がありません。</figcaption></figure><br />
<br />
<br />
<br />
<p>劇中、サワが大泣きするシーンが二度ある、一度目は先生(津川雅彦)から渡されたテープを聞いた後であり（さめざめと泣く）、二度目はシゲルから遺産の100万円を車のトランクで見つけた時である(号泣)。<br><br>サワの、この二度の涙の意味を考えた時、それはすでに哲学的な意味を帯びることになる。人間にとって幸福とは何なのか？そんな哲学的な問いに踏み込んでいくからである。<br>サワは、一体何に幸福を感じたのか 一つには、お金という「物」(大号泣)、そして、もう一方は先生の思い「心」である（さめざめと泣く)。<br><br>人間の幸福は複雑である、いくら物、お金があっても、それがイコール幸せになるかと言えば、そうはならない。また、いくら心が豊かでも、それだけでは生きることはできない。量や質の程度はあるにせよ、それなりの『物心両面の幸福』無くしては、人間は幸せを感じて生きることのできない存在なのだ。そんなことが、この映画からキレイごとではなく感じとれるのだ。<br><br>二度目の涙(シゲルからの遺産）では、その時に赤く染められたワンピースを母の形見として、娘のマコトに与えていて、サワとマコト二人して号泣しているシーンでもある。この二人の涙の対比(マコト＝心、サワ＝物）、やはり物心両面の幸福を描いているのである。</p>
<br />
<br />
<br />
<p><br>一度目の涙(先生からのカセットテープ）<br><br>先生が語るメッセージを以下に書き起こしてみた。<br></p>
<br />
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<br />
</p>
<blockquote class="wp-block-quote is-style-default has-light-grey-background-color has-background is-layout-flow wp-block-quote-is-layout-flow"><p>
<p>国と国の戦争とは一人対一人 掛ける何万もの<ruby>凝縮<rt>ぎょうしゅく</rt></ruby>したものに他ならない。<br>それを<ruby>皇国臣民<rt>こうこくしんみん</rt></ruby>の上に立つ権力者らによって決せられたことこそが悪であり罪である。<br>その中の人間一人一人にも<ruby>清濁<rt>せいだく</rt></ruby>備わり、すなわち愛憎が混然としているのである。<br>極限に追い込まれた人の輝きは、極限状態を<ruby>凌駕<rt>りょうが</rt></ruby>し自己の実存として<ruby>覚醒<rt>かくせい</rt></ruby>され、それは山をも動かすこととなる。<br>その山とは一人一人の心、0.5ミリ程度のことかもしれないが、その数ミリが集結し同じ方角に動いた時こそが革命の始まりである。<br>今日的日本人、その魂は残されているだろうか？ 人は生と死をかけて疾走し、一矢の目覚め<ruby>刹那<rt>せつな</rt></ruby>の開放によって究極の光明を見出すのかもしれない。 そして、守るべき愛を見出すのである。現代の日本人は愛されず、その対象も見つけられず偶力によって捻じ曲がり方角を見失い行き止まりの自分しか見えなくなるのである。よって人のために走るのではなく、人の命を断ち切るのである。<br><br><strong>映画：0.5ミリ本編 ～先生からのカセットテープの内容</strong></p>
</p></blockquote>
<p>
<br />
<br />
<br />
<p><br>サワは、戦争について語るこのカセットの前半の段落を聞いて泣くのだが、はたして、この内容を理解して泣いたのだろうか？ 内容もそれなりには理解出来ていたのかもしれないが、恐らく、彼女は先生の純粋な想いに、ただただ涙をしていたのではないのかと思う。そこには唐突な別れ(痴ほうと姪の存在)、自分が面倒をみてあげたかったという想い、更には、この先生の想いを汲んであげる人がいないのではないのかという虚無感、そんな様々な気持ちが凝縮された涙でもあろう。</p>
<br />
<br />
<br />
<h2 class="wp-block-heading"><span id="toc6">生きることは、自分の穢けがれを認めていくこと</span></h2>
<br />
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<br />
<figure class="wp-block-image aligncenter size-full is-resized"><img decoding="async" width="780" height="520" src="https://kenyu.red/wp-content/uploads/2024/11/ice-flowers-1985097_1280.jpg" alt="" class="wp-image-6682" style="width:631px;height:auto" srcset="https://kenyu.red/wp-content/uploads/2024/11/ice-flowers-1985097_1280.jpg 780w, https://kenyu.red/wp-content/uploads/2024/11/ice-flowers-1985097_1280-300x200.jpg 300w, https://kenyu.red/wp-content/uploads/2024/11/ice-flowers-1985097_1280-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 780px) 100vw, 780px" /><figcaption class="wp-element-caption">写真は映画本編とは関係がありません。</figcaption></figure><br />
<br />
<br />
<br />
<p>この映画は、サワとマコトの交流で映画が締めくられることとなる。最初の火事から始まる事件が伏線となり、それが最後に結びつく展回だ。ここでは、セリフは極限までそぎ落とされ、ただただ映像を元に鑑賞者は考え、そして感じる作りになっている。セリフやナレーションなど、不用意に説明が多い最近の映画とは違って、とても心地が良い雰囲気のエンディングとなっている。<br>その少ないセリフや映像の中で、マコトが実は女性であったこと、そして、サワには子宮が無い(だから彼女は女ではないと自認している)ことが語られていく。お金や泊まる場所にさえ困ったサワが、なぜ若い男性ではなく、老人であったのか、そういったことも静かに納得させられていくのだ。</p>
<br />
<br />
<br />
<h3 class="wp-block-heading"><span id="toc7">マイノリティとマイノリティ</span></h3>
<br />
<br />
<br />
<p>マイノリティーは、マイノリティーを放っておけない、これが現実かどうかはともかく、映画や小説の中では、よく語られることだ。マコトが母の<ruby>穢<rt>けが</rt></ruby>れの象徴とも言える赤い服を着ることは、もう一度その原点に立ち返る意味での<ruby>胎内回帰<rt>たいないかいき</rt></ruby>ともとれるであろう。そして、サワの車に乗り父の元を去るということの意味は、「自立」なのであろう。<br>サワは語る「知らなくていい真実ってあると思う…」、人間は生きていくうえで綺麗なままではいられない、時に傷つき、時に穢れていくのだ、そういったものをただの汚れと捉えてはいけない、<ruby>蓋<rt>ふた</rt></ruby>をして生きていてもそれらを隠し通すことはできない。そういったものを自分でしっかりと受け入れ、受け止め、それを踏まえた上で、自分の道を進めていく、そんなことがエンディングのシーンでは語られているのではないだろうか。</p>
<br />
<br />
<br />
<h2 class="wp-block-heading"><span id="toc8">人生はダンス(円舞)の様に</span></h2>
<br />
<br />
<br />
<figure class="wp-block-image aligncenter size-full is-resized"><img loading="lazy" decoding="async" width="780" height="520" src="https://kenyu.red/wp-content/uploads/2024/11/beautiful-2941820_1280.jpg" alt="" class="wp-image-6683" style="width:624px;height:auto" srcset="https://kenyu.red/wp-content/uploads/2024/11/beautiful-2941820_1280.jpg 780w, https://kenyu.red/wp-content/uploads/2024/11/beautiful-2941820_1280-300x200.jpg 300w, https://kenyu.red/wp-content/uploads/2024/11/beautiful-2941820_1280-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 780px) 100vw, 780px" /><figcaption class="wp-element-caption">写真は映画本編とは関係がありません。</figcaption></figure><br />
<br />
<br />
<br />
<p>映画の冒頭、ウィンナワルツの名曲(スケーターズワルツ）がかかる、サワと情事に及ぶ老人との関係をコミカルに描くBGMとしての効果なのかと思えば、映画の最後のエンディングロールでかかる曲も同じワルツだ。<br>ダンスは男性と女性が一定の距離感を保って踊るもの、男性が引っ張りまわしても、女性がもたれかかっても上手く踊れない、そう、まさに0.5ミリという距離感はダンスを踊る上でちょうどよい距離感なのだ。互いに自立することで、ダンスは踊る者だけでなく観る者をも幸せにできるのだ、そしてワルツは円を中心とした踊りで、一定のリズムに右回りと左回りを繰り返す。<br>そして、見ず知らずの人に声をかけ、一時のダンスを共に楽しむ、互いのことなど知らなくても、多少身体的や精神的に問題を抱えていたとしても何の障壁もない、まして、身分や地位などは踊る上では何の関係もない。ただただ、フラットに相手の踊ろうという意志を尊重し、リードとフォローで一つの踊りを際限なく繰り返すのだ。自分に正直に向き合い、そして、物心両面の幸福も得ていく。依存するのではなく自立した関係、そして相手をおもいやる、そんな距離が0.5ミリなのであろう。<br>筆者が、この映画から受け取ったものは、そういうものであった。</p>
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	</item>
		<item>
		<title>映画『ベイビー・ブローカー』の余韻(よいん)  今揺れ動く家族という存在(ネタバレあり)</title>
		<link>https://kenyu.red/archives/6647.html</link>
					<comments>https://kenyu.red/archives/6647.html#respond</comments>
		
		<dc:creator><![CDATA[kenken]]></dc:creator>
		<pubDate>Mon, 28 Oct 2024 15:01:18 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[ギリシャ神話･哲学]]></category>
		<category><![CDATA[教養・趣味・娯楽]]></category>
		<category><![CDATA[映画]]></category>
		<category><![CDATA[映画考察]]></category>
		<category><![CDATA[海外旅行]]></category>
		<category><![CDATA[社会]]></category>
		<category><![CDATA[車]]></category>
		<category><![CDATA[ベイビー・ブローカー]]></category>
		<category><![CDATA[家族]]></category>
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					<description><![CDATA[<p>この記事は映画を鑑賞した方を対象としています。未鑑賞の方にとってはネタバレとなる内容もありますので、ご注意ください。 本編において、映画のあらすじ紹介や、登場人物の俳優の写真等の掲載はしていませんので、そういったものをお [&#8230;]</p>
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										<content:encoded><![CDATA[<p>
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<p><span class="bold-blue">この記事は映画を鑑賞した方を対象としています。未鑑賞の方にとってはネタバレとなる内容もありますので、ご注意ください。</span></p>
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<p class="is-style-clip-box has-box-style">本編において、映画のあらすじ紹介や、登場人物の俳優の写真等の掲載はしていませんので、そういったものをお知りになりたい場合には、下記、公式ホームページを、ご参照ください。<br><span class="fz-12px"><a rel="noopener" target="_blank" href="https://www.20thcenturystudios.jp/movies/banshees-of-inisherin" title=""><strong>映画『ベイビー・ブローカー』公式サイト</strong><span class="fa fa-link external-icon anchor-icon"></span></a></span></p>
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  <div id="toc" class="toc tnt-number toc-center tnt-number border-element"><input type="checkbox" class="toc-checkbox" id="toc-checkbox-4" checked><label class="toc-title" for="toc-checkbox-4">目次</label>
    <div class="toc-content">
    <ol class="toc-list open"><li><a href="#toc1" tabindex="0">『疑似家族』</a><ol><li><a href="#toc2" tabindex="0">家族ではないものが問いかけてくる「家族」とは？</a></li><li><a href="#toc3" tabindex="0">韓国の美しい景色 ～ロードムービー～</a></li><li><a href="#toc4" tabindex="0">なぜ『疑似家族』なのか？</a></li></ol></li><li><a href="#toc5" tabindex="0">違いが生み出す効果</a></li><li><a href="#toc6" tabindex="0">考えさせられるタイプの映画</a><ol><li><a href="#toc7" tabindex="0">ベイビーブローカーが描く家族</a></li><li><a href="#toc8" tabindex="0">狭間はざまに立たされ、心が揺らぐ…</a></li></ol></li><li><a href="#toc9" tabindex="0">鑑賞後期(余談)</a><ol><li><a href="#toc10" tabindex="0">是枝これえだ監督作品は、なぜカンヌ映画祭で評価を受けるのか</a></li><li><a href="#toc11" tabindex="0">北野作品の特色との比較</a></li><li><a href="#toc12" tabindex="0">印象的か？それとも象徴的か？</a></li><li><a href="#toc13" tabindex="0">カンヌの評価　フランス人の気質</a></li><li><a href="#toc14" tabindex="0">好き嫌いの先にあるもの</a></li></ol></li></ol>
    </div>
  </div>

<h2 class="wp-block-heading has-text-align-left"><span id="toc1">『疑似家族』</span></h2>
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<figure class="wp-block-image aligncenter size-full"><img loading="lazy" decoding="async" width="640" height="430" src="https://kenyu.red/wp-content/uploads/2024/10/family-4937226_640.jpg" alt="写真は映画本編とは関係がありません。" class="wp-image-6657" srcset="https://kenyu.red/wp-content/uploads/2024/10/family-4937226_640.jpg 640w, https://kenyu.red/wp-content/uploads/2024/10/family-4937226_640-300x202.jpg 300w" sizes="(max-width: 640px) 100vw, 640px" /><figcaption class="wp-element-caption">写真は映画本編とは関係がありません。</figcaption></figure><br />
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<h3 class="wp-block-heading"><span id="toc2">家族ではないものが問いかけてくる「家族」とは？</span></h3>
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<p>是枝監督がライフワークのように描き続けているテーマ「家族」。本作ベイビーブローカーでも、とりあげたテーマも、やはり家族である。その中でも血縁のない者が家族の様な関係となる『疑似家族』をモチーフとして選んでいる。このモチーフは「万引き家族」でも既に取り上げているが、過去作品の焼き直しという感じにはなっていない。同じテーマを韓国という舞台、オールキャスト韓国人俳優、完全に韓国社会の中で描いた点が非常に興味深かった。「家族とは一体何なのか」「人と人とのつながりとは」という哲学的な問いかけが、本作でもしっかりと語られ、そして、鑑賞者は、その問いに答えようと考えさせられる、そんな作品に仕上がっていたように感じた。</p>
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<h3 class="wp-block-heading"><span id="toc3">韓国の美しい景色 ～ロードムービー～</span></h3>
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<p>映画は、全編に渡って韓国の美しい景色が映し出され、ロードムービーの形式がとられている。街から街へ移る際に目に入る景色、海、山、そして都会も日常とはどこか違う景色として映る。天気も、雨の日、晴れの日、そして昼も夜もと、周囲の風景だけでも十分に楽しめるような、そんな作品に仕上がっている。また、そんな景色の中、老若男女の出演者達が様々な表情を見せ、そこにある種の美しさを感じさせる。感動シーンや、いかにもな場面も多く、ちょっとやりすぎ感もあるが、この辺りは韓国映画・ドラマではお馴染みといったところなのであろうか。</p>
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<h3 class="wp-block-heading has-text-align-left"><span id="toc4">なぜ『疑似家族』なのか？</span></h3>
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<p>さて、この映画について語る上で、まず押さえておきたいことがある。<br>それは、「家族」について考えさせる映画でありながら、なぜ、本物の家族ではなく、わざわざ『疑似家族』を持ち出す必要があるのか、ということだ。家族映画といえば、山田洋次監督「男はつらいよ」シリーズや、小津安二郎監督「東京物語」といった代表作がある松竹があるが、それらの多くが家族そのものを直接取り上げて描いている。それに対して、このベイビーブローカーは、そういった家族映画の王道とは一線を画しているといえる。あえて「疑似家族」を登場させることで、どの様な効果が出ているのか、そこから順に見ていきたい。</p>
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<h2 class="wp-block-heading"><span id="toc5">違いが生み出す効果</span></h2>
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<figure class="wp-block-image aligncenter size-full"><img loading="lazy" decoding="async" width="640" height="359" src="https://kenyu.red/wp-content/uploads/2024/10/eggs-3446869_640.jpg" alt="" class="wp-image-6659" srcset="https://kenyu.red/wp-content/uploads/2024/10/eggs-3446869_640.jpg 640w, https://kenyu.red/wp-content/uploads/2024/10/eggs-3446869_640-300x168.jpg 300w, https://kenyu.red/wp-content/uploads/2024/10/eggs-3446869_640-120x68.jpg 120w, https://kenyu.red/wp-content/uploads/2024/10/eggs-3446869_640-160x90.jpg 160w, https://kenyu.red/wp-content/uploads/2024/10/eggs-3446869_640-320x180.jpg 320w" sizes="(max-width: 640px) 100vw, 640px" /><figcaption class="wp-element-caption">写真は映画本編とは関係がありません。</figcaption></figure><br />
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<p>あるテーマについて考えた時、そのテーマについてだけを考えていても全く考えが進まないということがある。学校で「このテーマで作文を書いてください」と言われても、なかなか書き出すことができない、あの状況だ。ああでもない、こうでもないとテーマを<ruby>反芻<rt>はんすう</rt></ruby>するだけで、一行として書き進められない。<br>そんな状態の時、先生のちょっとしたアドバイスで、急に書き出すことが出来たという経験はないだろうか？ 実は、先生が出すヒントやアドバイスは、実は大体決まっていて、そのテーマから、ちょっとだけズラした考え、あるいは正反対の考えを取り入れて考えてみるといったものだ。そんなちょっとしたことで、頭のもやもやが晴れ、自分でも驚くほど書きたいことがまとまり、すらすらと書き進めることができたりする。これは一体何なのだろうか？<br>それは、何か比較対象があると、その違いをきっかけに思考を進めることができるということなのではないだろうか。<br>少し、くどいかもしれないが、例を挙げてもう少し説明を加えたい。仮に「手話」というテーマで鑑賞者に何か考えさせるようなタイプの映画を撮ろうとした場合、「ろう者による手話」のシーンだけで映画を作ってしまうと、鑑賞者は恐らく最初は興味を持ってそれを見るが、やがて思考停止に陥るであろう。多くの場合、ただただ感心するばかりで感情が先立ち、それについて考えるという行為をやめてしまうのだ。作文と違って考え続けなくても、それが目に見えた形で自分にフィードバックされないので、ほとんどの場合、思考停止していることにも気が付かない。<br>ところが、この映画に「ろう者による手話」だけでなく「健聴者による手話」のシーンが入ったら、どうなるであろうか？同じ手話ではあるが、鑑賞者は手話を行う人間の立場の違いなどを比較するようになり、より「手話」というものの存在について自然と考えるようになるのだ。更に「中途聴覚障害者の手話」が登場すれば、より重層的に「手話」について捉えることができてくるであろう。<br>人間は、何か比較対象があると、その違いや性質について本能的に探る性質があるのではないだろうか。</p>
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<p>さて、そろそろ話を「ベイビーブローカー」に戻そう。<br>この映画で、『家族』の比較対象として登場したのが疑似家族なのである。仮に「本物の家族」を映画で2時間見せられたとしても、鑑賞者は感傷的にはなっても、家族というものについて深く考えるという状況になるのは意外となりにくい。なぜならば、それは自分の家族も含め、ドラマや他の映画でもよく見るいつもの家族の光景として映ってしまうからだ。『疑似家族』という異質なものが登場することによって、鑑賞者はその違和感に揺さぶられ、家族というものについて改めて考えを巡らすようになるのではないだろうか、本当の「家族」とは一体何なのかと…。</p>
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<h2 class="wp-block-heading"><span id="toc6">考えさせられるタイプの映画</span></h2>
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<figure class="wp-block-image aligncenter size-full is-resized"><img loading="lazy" decoding="async" width="640" height="427" src="https://kenyu.red/wp-content/uploads/2024/10/team-4529717_640.jpg" alt="写真は映画本編とは関係がありません。" class="wp-image-6660" style="width:631px;height:auto" srcset="https://kenyu.red/wp-content/uploads/2024/10/team-4529717_640.jpg 640w, https://kenyu.red/wp-content/uploads/2024/10/team-4529717_640-300x200.jpg 300w" sizes="(max-width: 640px) 100vw, 640px" /><figcaption class="wp-element-caption">写真は映画本編とは関係がありません。</figcaption></figure><br />
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<p>一方で、この映画が訴えているものは、何が正しくて何が間違っているのか、といった道徳教育的な話ではない。日本では幼少期からの道徳教育の影響か「良い」「悪い」でしか物事を見ないケースが多いように思う。そういった人の中には、この映画に拒絶反応を起こしてしまい、受け付けないという人も一定数いるのではないだろうか。しかし、この映画が提示するのは、社会的/世間的に正しいとか間違いとかではなく、そういった状況にあえて一歩踏み込んでみて、「あなたにとっての家族とは」と、ただただ考えさせようとしているように感じるのだ。日本では哲学というものは、大学に行かないと学べない。幼少期は道徳で全員が同じ方向を向くような教育を受け、そして、倫理の授業は哲学ではなく、哲学史でしかない。自分で何かに疑問を持ち、それについて考える、そういった大事な時間を日本では幼少期から味わえていない気がしてならない。</p>
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<h3 class="wp-block-heading"><span id="toc7">ベイビーブローカーが描く家族</span></h3>
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<p>この作品は本当に容赦がない、主役たちの疑似家族以外に、赤ちゃんポストのある教会、母さんと呼ばれている女性が仕切る売春組織、やくざ組織、そして孤児院、これら全て形態は異なるが疑似家族であろう。更には、血縁関係者(娘や甥っ子)も登場するし、警察側の家族(夫)関係までも描かれている。もうこれでもかというほど畳みかけてくるのだから、こちらも揺れ動かされるのは当然ともいえよう。</p>
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<h3 class="wp-block-heading"><span id="toc8">狭間はざまに立たされ、心が揺らぐ…</span></h3>
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<p>この映画のラストシーン、疑似家族であっても、それが生きる力になっていることを写真(プリクラ）で象徴的に映し出して終わっていく、あのシーンである。明るく前向きな、とても良いエンディングだと思う。そんな、ほっこりした気分で鑑賞を終わろうとした時、ふと考えさせられた。このようなエンディングにする必要があるほど、現実に血縁家族は崩壊しているのだろうか…と。そして、中央大学文学部教授で社会学者の山田昌弘先生の言葉を思い出した。</p>
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</p>
<blockquote class="wp-block-quote is-style-default has-light-grey-background-color has-background is-layout-flow wp-block-quote-is-layout-flow"><p>
<p>自分が必要で大切な存在であることを実感するためのものを自分で作らなくてはならなくなりました。そのひとつが家族で、もうひとつが職業です。自分は仕事をしているから、社会の中で必要とされているという感覚を得ることができますし、自分には家族がいて、家族から自分は必要とされ、自分を大切にしてくれる、という家族が重要な存在になってきたのです。<br><strong>社会学者 山田昌弘</strong></p>
</p></blockquote>
<p>
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<p>この映画の特色といって差し支えないと思うが、このエンディングの様に、映画の後半になって印象的なシーンが増えていき、思わず気をとられてしまう瞬間がある。考えろと言われているのに同時に思考停止も強いてくる。その狭間に立たされて、気持ちが揺らぎまくるのだ。</p>
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<h2 class="wp-block-heading"><span id="toc9">鑑賞後期(余談)</span></h2>
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<figure class="wp-block-image aligncenter size-full"><img loading="lazy" decoding="async" width="640" height="427" src="https://kenyu.red/wp-content/uploads/2024/10/architecture-3225214_640.jpg" alt="写真は映画本編とは関係がありません。" class="wp-image-6661" srcset="https://kenyu.red/wp-content/uploads/2024/10/architecture-3225214_640.jpg 640w, https://kenyu.red/wp-content/uploads/2024/10/architecture-3225214_640-300x200.jpg 300w" sizes="(max-width: 640px) 100vw, 640px" /><figcaption class="wp-element-caption">写真は映画本編とは関係がありません。</figcaption></figure><br />
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<h3 class="wp-block-heading"><span id="toc10">是枝これえだ監督作品は、なぜカンヌ映画祭で評価を受けるのか</span></h3>
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<p>ベイビーブローカーに限らず、是枝監督作品はフランスのカンヌ映画祭でなぜ高い評価を受けるのか、そのあたりも考察してみたい。しかし、これは何かの文献を調べたり過去のデータから検証したものではない、あくまで個人の勝手な妄想程度に思ってもらえるとありがたい。<br>さて、やはりここでも、比較対象を入れて考えてみたい、ここでは北野(たけし)監督作品との比較で説明してみたい。</p>
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<h3 class="wp-block-heading"><span id="toc11">北野作品の特色との比較</span></h3>
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<p>北野監督作品はヴェネチア映画祭では非常に評価が高いが、カンヌでは今一つである。<br>それは何故なのか？ 北野作品は数本しか鑑賞したことがないので、筆者の勝手な思い込みで書いている部分もあると思うが、その点はご容赦いただきたい。<br>北野作品は何か問いかけがあって、それについて考えさせられる作品というよりは、感情が、良い意味でも悪い意味でも揺れ動かされる、それが特徴といえるのではないだろうか。北野監督作品を鑑賞した後には、どのタイプの映画を見ても程度の差はあれ、何かゾワゾワとした気持ちになるのだ。これは北野映画は、やや<ruby>俯瞰<rt>ふかん</rt></ruby>した状態で鑑賞するということが出来ず、完全に没入させられ、北野映画ワールドというローラーコースターに乗せられている状態になるからであろう。それに対して是枝作品は、これまでも散々述べてきたように、鑑賞者に感じさせるだけではなく、考えさせようとするタイプの映画で、この「考えさせる」という特徴はカンヌ映画祭で、やはり人気のある河瀬監督(代表作：映画あん等）にも同じことが当てはまるのではないだろうか。</p>
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<h3 class="wp-block-heading"><span id="toc12">印象的か？それとも象徴的か？</span></h3>
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<p>絵画に例えるならば、北野作品はルノアールやモネといった「印象主義」の絵画。光が織り成す一瞬の輝きをキャンパスに描きとり、絵の題材とか、絵の中の建物の意味とか、そういったものは関係なく、美しいと思った瞬間の光の印象をただただ描きとるというものが印象主義。鑑賞者は、その美しさや、その光景に感傷的に浸るのだ。<br>それに対して是枝作品は、モローやクリムトの「象徴主義」の絵画ではないかと思う。<br>こちらは画題や登場人物が象徴的に描かれていて、鑑賞者の想像力を掻き立てる。このポーズの意味は？なぜあそこに時計が描かれているのか？この絵は一体何を言いたいのか？考えはとめどもなく続く。</p>
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<h3 class="wp-block-heading"><span id="toc13">カンヌの評価　フランス人の気質</span></h3>
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<p>結論として、何かを「考える」作品がカンヌでは評価される傾向にあるということ。もう少し具体的に言えば、現代社会を捉えた視点と、その国独自の文化、そういったものがしっかりと汲み取られ融合した作品、かつ、しっかりとしたテーマ性があり、それについて考えさせられるような作りになっている作品、そういった映画がカンヌでは高い評価を受けているのであろう。<br>ドライブマイカー」のカンヌ映画祭での評価を見ても、それはよくわかる。（ドライブマイカーは脚本賞ほか、国際映画批評家連盟賞、AFCAE賞、エキュメニカル審査員賞という3つの独立賞も受賞し、計4冠に輝いている）</p>
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<div class="wp-block-cocoon-blocks-blogcard blogcard-type bct-together">

<a href="https://kenyu.red/archives/6577.html" title="映画『ドライブ・マイ・カー』の余韻(よいん)　ラストの意味にこめられたものとは？(ネタバレ注意)" class="blogcard-wrap internal-blogcard-wrap a-wrap cf"><div class="blogcard internal-blogcard ib-left cf"><div class="blogcard-label internal-blogcard-label"><span class="fa"></span></div><figure class="blogcard-thumbnail internal-blogcard-thumbnail"><img loading="lazy" decoding="async" width="160" height="90" src="https://kenyu.red/wp-content/uploads/2024/10/amber-kipp-Jq-pDDNpJeM-unsplash-160x90.jpg" class="blogcard-thumb-image internal-blogcard-thumb-image wp-post-image" alt="" srcset="https://kenyu.red/wp-content/uploads/2024/10/amber-kipp-Jq-pDDNpJeM-unsplash-160x90.jpg 160w, https://kenyu.red/wp-content/uploads/2024/10/amber-kipp-Jq-pDDNpJeM-unsplash-120x68.jpg 120w, https://kenyu.red/wp-content/uploads/2024/10/amber-kipp-Jq-pDDNpJeM-unsplash-320x180.jpg 320w" sizes="(max-width: 160px) 100vw, 160px" /></figure><div class="blogcard-content internal-blogcard-content"><div class="blogcard-title internal-blogcard-title">映画『ドライブ・マイ・カー』の余韻(よいん)　ラストの意味にこめられたものとは？(ネタバレ注意)</div><div class="blogcard-snippet internal-blogcard-snippet">『ドライブマイカー』 第74回カンヌ映画祭で四冠、更には94回アカデミー賞でも国際長編映画賞を受賞した村上春樹の同名の小説を元に作られた名作映画。『絆』や『仲間』といった言葉が、やや簡単に使われている様に感じる現代、本作は、改めて人が繋がっていくという事の意味、そして言葉だけではない対話について考えさせられる作品です。</div></div><div class="blogcard-footer internal-blogcard-footer cf"><div class="blogcard-site internal-blogcard-site"><div class="blogcard-favicon internal-blogcard-favicon"><img loading="lazy" decoding="async" src="https://www.google.com/s2/favicons?domain=https://kenyu.red" alt="" class="blogcard-favicon-image internal-blogcard-favicon-image" width="16" height="16" /></div><div class="blogcard-domain internal-blogcard-domain">kenyu.red</div></div><div class="blogcard-date internal-blogcard-date"><div class="blogcard-post-date internal-blogcard-post-date">2024.10.09</div></div></div></div></a><br />
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<p>カンヌ映画祭で受賞した作品を見るたびに、フランス人は考えながら映画を鑑賞することに長けた人種なのではなかろうかと思えてならない。これも、もちろん勝手な思い込みとも言えるが、一応、それなりの根拠もある。フランス人は幼少の頃から授業に哲学がある、それは日本の道徳の授業とはまるで違っていて、一方的に価値観を押し付けるものではない。<br>自分で考えて自分で答えを導き出すということを強く求められる授業だ。逆に言えば、考えることが出来ないということは、理性・知性を持たない人間であり、それは躾けられた犬よりも下等とされる（実際、犬は入店できても子供不可の店は多いと聞く）。<br>フランスの多くの人々が、幼少期から考えるクセのようなものが身についているので、自然とそういう作品が評価される土壌があるのではないだろうか。<br>先生が教え、生徒が教わるだけの一方向の教育で育ってしまった我々日本人には、カンヌ受賞の作品は、なかなか「理解しがたいもの」となってしまっているのかもしれない。</p>
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<h3 class="wp-block-heading"><span id="toc14">好き嫌いの先にあるもの</span></h3>
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<p>この映画は、シリアスな内容で、様々な感情や考えを浮かびあがらせる映画でありながら、個人的な印象としては、場面ごとの<ruby>余韻<rt>よいん</rt></ruby>が少なすぎるように思える。ロードムービーでありながらボーっとさせてもらえず、<ruby>狭間<rt>はざま</rt></ruby>に立たされて考え続けさせられるということは先にも述べたとおり。映画の内容にフック(引っ掛かり)が多くあり、いつまでもそれが頭に残り、映画が進むにつれ、メモリの容量を占めて動作が重くなっていくパソコンの様に<ruby>疲弊<rt>ひへい</rt></ruby>していくのだ。129分間という、それほど長くないこの映画が、まるで3時間以上に感じたのは、そのあたりにあるのではないかと感じている。<br><br>このベイビーブローカーという映画を料理に例えると、ラーメン＋トッピング全部乗せ、ニンニクマシマシで…という感じ、それが抜群に美味しければお腹いっぱいでも、何とかなるのだが、何か余計なスパイスが入った様な違和感があり、鑑賞後もそれがずっと残るため、やや食傷気味である。ただ、これは、その料理が好みか、そうでないかの問題であって、料理自体に問題があるとは言い難い。あるいは、この映画をたった一度見ただけで理解できている、と思っている事自体が間違っているのかもしれない。トッピング全部乗せのマシマシなのは、何度も鑑賞しても、味変できる要素をそれだけ持っている、とも言えなくはない。</p>
</p>The post <a href="https://kenyu.red/archives/6647.html">映画『ベイビー・ブローカー』の余韻(よいん)  今揺れ動く家族という存在(ネタバレあり)</a> first appeared on <a href="https://kenyu.red">KENブログ　風のように、しなやかに</a>.]]></content:encoded>
					
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