確信犯 (かくしんはん)
よく聞く言葉ですけど、皆さんは、この言葉どんな意味だと思いますか?
「 知らないフリをしてとぼけてるけど、本当は、分かってやったに違いない・・・確信犯だ! 」
それをすれば問題になることが分かっていながら、する人・・・
そんな人が確信犯ですよね。
しかも、分かっていながら、大体とぼけてる、ごかましている
なんか、そんなイメージですよね(笑)
間違っている
という話があるんです。
今回は、「確信犯(かくしんはん)」に迫ってみたいと思います。
確信犯(かくしんはん)の意味
Wikipedia(ウィキペディア)
Wikipedia(ウィキペディア)で、早速調べてみました。
確信犯(確信犯罪)とは、「自分が行うことは良心に照らし合わせて正しく、周囲(社会)や政府の命令、議会の立法こそが間違っていると信じて」行った 犯罪である。
本人は自らの正当性を確信していることがポイントであり、立法や命令に違犯(「違反」ではない)しているとの認識を持っているかどうか、あるいは処罰を予想しているかどうかは関係ない。
【出典 : Wikipedia(ウィキペディア)】
19 世紀のドイツの法律学者(刑法)の、グスタフ・タートブルフという人が刑法の用語として造った言葉だということです。
確信による犯罪 を意味する、完全に刑法の用語です。
まさかの、刑法の用語!いきなりアカデミック(笑)
それにしても、普段使っている「確信犯」の解釈とは、まるで違いますよね?
「自分の信念に基づき、行動を起こす、そのためには法律を犯すこともいとわない」
そんな人が確信犯だったんですね・・・・
パッと思い浮かんだのが、赤穂浪士
彼らは、まさに典型的な「確信犯」ってことですよね、
なんか、イメージ違いすぎます・・・(笑)
普段使っている「確信犯」は、それを言うなら「故意犯」って
ところなんでしょうか
たしかに、納得は出来るんですが・・・
国語辞典(日本国語大辞典)でも、調べてみました。
国語辞典
[名] ①法律で,政治的,道義的,思想的,宗教的な確信に基づく義務感または使命感によって行われる犯行。
政治犯,思想犯などと呼ばれるものがこれに当たる。
②俗に,トラブルなどをひきおこす結果になるとわかっていて,何事かを行うこと。また,その人。
【出典 : 日本国語大辞典】
やはり、①は、Wikipediaと同じ事が書かれています。
確信犯は、やっぱりそういう意味なんですね。
でも、ここにある ②、これって、普段使っている「確信犯」の
意味ですよね?
国語辞典には、ちゃんと、載っています。
Wikipedia では、この②の意味は、誤用だと明言しています。
一体、どういうことなんでしょう。
Wikipedia または、国語辞典のどちらかが、間違っているんでしょうか?
言葉は、認知度によって変わる
慣用句など、言葉を調べるのには、なんといっても国語辞典ですよね。
しかし、国語辞典、決してバイブルではないんです。
国語辞典も、改訂がされます。
最近では、三省堂が2013年の第7版で、「的を得る」をそれまで誤用としてきたことが間違いであったと、これを改訂しています。
この件に関して言えば、「誤用として扱っていた」 そのこと自体が間違いでしたが、
三省堂国語辞典の編集をされている、「飯間浩明さん」がこの問題に絡んで
興味深いコメントをされています。
言葉は、誤解があっては成立しない
その、コメントとは、次の様なものです。
「私個人としては、ことばを正誤の観点ではなく、
誤解が起こらないかどうかで評価 したいと思います。」
つまり、最初は誤用であっても、それが社会的に認知されてしまえば、
それはもう正式な使い方ということです。
確かに、意味が通じなければ意思の疎通をする言葉としての意味は無いということですよね。
慣用句などの意味って、こうやって改訂されていたんですね。
時代とともに、言葉もその時代に合わせて進化 させていたんです。
国語に関する世論調査
文化庁では、毎年、国語に関する世論調査がされています。
16歳以上の男女2000人程度の回答を元に、統計を出しています。
この調査の一つに、慣用句など言葉の意味があります。
実は、確信犯という言葉も、平成14年の調査で実施されていました。
この時の結果は、先の日本国語大辞典の② の意味で理解をしている人が
約58%でした。
文化庁そのものは、言葉の意味を定義するような事はしませんが、こういった
調査結果を受けて、各書店の辞典が改訂されていくんでしょうね。
結論
結論としては、先の日本語大辞典に載っているように、この言葉には
2種類の意味があるものとします。
しかし、別に、どこかの機関が公式に、この慣用句はこういう意味と定義をしている
わけではありません。
従って、認めているものと、誤っていると2つの解釈が存在することもあります。
辞書間でも、統一されているわけではありません。
また、確信犯が今後、Wikipediaに書いてあるように「誤用」ということが広まり、大多数に認知されたら、また辞書は改訂されるんでしょう。
言葉は生き物です(笑)
確信犯には2種類の意味がある
- 法律に関係無く、自分の価値観・信念で起こす犯罪
- 悪いと分かっていながら、故意に問題を起こすこと(=故意犯)
19世紀の法律学者(刑法)グスタフ・タートブルフ が造った
法律の用語
もともとは、①の意味のみ。
後に、② の意味が広まる。
平成14年の文化庁の調査では、6割近くが②の意味と思っている。
国語辞典には、①と②の両方が記載されているものが多い。
しかし、今でも②を誤用としている考えもある。
あとがき
言葉って面白いですね!
今回は、あらためてその面白さにワクワクしてしまいました。
それにしても、三省堂日本語辞典の編集をされている、日本語学者の飯間浩明さん
「的を得る」の訂正をし、その事を自身のTwitterでお詫びと共に報告されています。
「的を得る」は誤用だけど、時代が変わりほとんどの人が、それで認識しているので・・・
という理由でもいいのに、はっきりと間違いだった潔く訂正されました。
研究者、学者として、この姿は本当、素晴らしいと思います。
この方の著書、是非読んでみようと思います。
コメント
本来の正しい意味が転じて、今の使われ方が認められ出しているだけのこと。 時代の流れ〜という事でしょうね。しかし、アナウンサーまでもが、分かっていて行う人の意で使用しているのを聞くと、いささか情けない思いにかられます。
せめて、本来は逆の意だったことを知った上で使いたいものです。
ゆうなさん、コメントありがとうございます。
『本来は逆の意だったことを知って使う』本当にそうですね。
ただ単純に、皆が使うから・・・では、なんだか寂しいですもんね。
「破天荒」・・・日常から果ては、出版物・小説・楽曲などでプレスされてしまっていて、取り返しがつかない状態で用いられている。
普通に言いっぱなしの誤用なら、見逃しもできるが、問題は、この言葉は、日本だけでは終わらない、中国での「故事成語」という、歴史的事実や伝説=古典を伴いセットで成立しているのが厄介である。つまり、未来永劫、事あるごとに誤用の指摘を伴うのである。最大の問題は「破天」の本当の意味だ。
破天荒(はてんこう)とは、故事成語のひとつ。意味は、「今まで人がなし得なかったことを初めて行うこと」、「前人未到の境地を切り開くこと」。 読み下しは「天荒を破る」。
中国の唐代、王朝成立から100年以上経た後も、荊州(現在の湖北省)から官吏登用試験である科挙の合格者が出ず、世の人はこの状況を「天荒」と称した。天荒とは本来「未開の地」もしくは「凶作などで雑草の生い茂る様」を言う。やがて劉蛻(中国語版)(りゅうぜい)という人物が荊州から初めて科挙に合格すると、人々は「天荒を破った」と言った故事に由来する。旧説には、天地未開の混沌した状態(天荒)を破り開く意がある。
「的を得る」の方は「的を射る」「正鵠を射る」「正鵠を得る」などからの派生だと言う説もあるようです。
http://biff1902.way-nifty.com/biff/2010/04/post-63d8.html
ですので、単に時代の移り変わり、と言うだけではない(「得る」のほうが「射る」よりも古い)じゃないと思います。
そういう意味で、確信犯の話とは微妙に違うのではないでしょうか。
コメントありがとうございます。
ルーツは、ともかく今その言葉、言い回しが通用するかどうかで辞書や辞典の内容が変わるという意味で、時代という表現をしています、
この記事が正に確信ですね
本当に正確な意味で確信とは
それが法律や道徳や風俗に基づき絶対に正しいと思い込んでしまう事なのですよ
間違った事をほったらかす今の世の一番悪い風潮です
コメントありがとうございます。
本当にそうですよね。マイケル・サンデル教授の正義とは何か?という問いにも通じるものがありますよね。
本来の意味と違った使われ方をして、結果的に声言されたからと言って「正しい」などと言うならば、それは誤だろう。
他の表現が無いのなら、まだ百歩譲って分かるが、故意や故意犯、殊更、作為などなど、表現法は多数あるのです。
雰囲気がふいんきでも容認されるようになったり、確信犯が故意に犯罪を犯したものをさしたりと、馬鹿に合わせて言葉が変えること自体にはまぁ、しょうがないと思う。
正しくとも、軋轢を生むよりは現状に合わせて使っていったほうが円滑にすすめるから普段使うこともある。
ただ、ふいんきがもともとの意味だ、確信犯は元来より故意にやった人を指す言葉だと思い込んで、本来のものを間違いだという奴を見ると何とも言えない気分になる。
はじめまして。
「あぐら物語日記」というブログを書いておりますrokoと申します。
本日、コチラの記事を紹介させていただきましたのでご連絡いたします。
とてもわかりやすく、また楽しく拝見しました。
不都合な点がございましたらお知らせいただけると有り難いです。
言葉っておもしろい!「確信犯的手口」にヤラレて得た「資産」
http://roko1107.blog.fc2.com/blog-entry-3730.html
三省堂国語辞典の撤回ごときで「的を得るは誤りではなかった」と論じることなど不可能です。
下記ブログを読んでください。
スライム国のおへや「三省堂国語辞典第7版で誤り撤回で決着」論への反論
http://surakokuheya.blog.fc2.com/blog-entry-3.html
スライム国のおへや的を得る正当論を滅ぼすためのテンプレ
http://surakokuheya.blog.fc2.com/blog-entry-2.html
本文にもあるように、確信犯は法律用語。
法律用語は厳密に使用されるなければならないものであり、みんながそういうからといって、誤用じゃなくなるような言葉ではありません。
ありがとうございます。
返信が遅くなりすみません。
コメントありがとうございました。
法律や政治用語は本来の意味通りに使わなければなりません。
日常的に軽々しく使うのも謹んだ方が良いと思います。
皆んなが同じ意味で認識すれば大丈夫という考え方は
ただ自分の無知を正当化するだけではなく、ちょっと
大袈裟かもしれないが社会の根幹を揺るがすことにも
なり兼ねない。
民主主義という言葉が正にそうですね。実に多様な意味で
解釈できる用語ですが、憲法上の意味は一般的な意味とは
違う。そして憲法上に意味を正確に守らなければならないのが
民主主義という言葉です。
「大丈夫」と言う用法もかなり意味不明なことが多い。
ビジネスの局面ではトラブルになる恐れがある。
肯定なのか否定なのかはっきりしない。
ある高齢者に「お茶が」ほしいか欲しくないのか聞かれたら、
若者が「大丈夫です」と答えた。
高齢者は、「あんたの体の話でなく、お茶の話だ」と繰り返した。
意味が時代の流れで変わるのは結果的なもので、推奨すべきではないかなーというのが個人的な感想ですね。
あまり変化が早いと1世代のうちに意思の疎通が難しいレベルになってしまいますし、実害が出てくるかと。
新世代は誤用であるとしっかり意識しつつ、前世代は程々に許容しつつやっていくのがいいでしょうね。
危ないのは、言葉の 正しい意味を知っている人と そうでない人の存在。つまり、取引や、商売の局面で交わす言葉を、正反対で捉えられ、誤解が起こり、取引撤回や契約破棄が起きる可能性がある。以下は実話。
例:「煮詰まる」
ある企画のプランをA代理店に依頼したクライアント。期日までに時間がなく、一刻も早いプレゼンを期待しており、進捗確認を電話した。
すると担当社員が応対し「今、煮詰まってます」と言ってしまった。
クライアントは、翌日A社を突然訪問「もうすぐ出来ると聞いたので」とのこと。
そこで担当が、あわてて応対。
「まだできてないと言ったのですが・・・・。」
そこでクライアントが怒り出した。「君は、煮詰まっていると言った。」と。
そこで担当者の上司の顔が青ざめた・・・。
「きみ・・・煮詰まるの本当の意味は・・・もうすぐ仕上がるという意味だ。」と・・・。
担当者は、左遷され、契約は破棄された。
(笑)と…がいちいち鬱陶しいです
和ませようとして書いているのかもしれませんが、テンポも悪いし煽ってるみたいで非常に不快な文章です