「 カオス 」 と 「 渾沌 」(こんとん)
カオスと渾沌(こんとん)、この言葉はよく使われていますよね。
実際の例を挙げてみましょう・・・
「現代の情報社会は、様々な情報が飛びかっていて、まさにカオスの様な状態です」
「この渾沌とした現代では、心のよりどころを求めて・・・」
こんな感じですね。
英語のカオス(Chaos)を日本語にすると「渾沌」と訳されています。
カオス = 渾沌
でも、渾沌(こんとん)って言われても、その言葉も、いまひとつ、よく分かりません・・・(笑)
今回は、そんな「カオス」と 「渾沌」について、迫りたいと思います。
一般的に使われるカオスの意味
まず、会話などで、一般的に使われる「カオス」の意味 を整理しておきましょう。
「カオス」とは「渾沌」(こんとん)のことです。
渾沌とは、もとは「 天地創造の前の状態 」のことを言います。
つまり、神が、この世を作る前の状態ということです。
このことから、次のような意味として使われるようになりました。
- ものごとが入り乱れて、定まっていない様子
- 今後のなりゆきが、見えない状態
さきほどの、使用例にあてはめると・・・
「現代の情報社会は・・・」は 1番の意味、「この渾沌とした現代・・・」は2番の意味で使用されています。
では、カオスの語源は、どうなのか?
早速見ていきましょう。
カオスの語源
カオスの語源は、ギリシャ神話です。
ヘシオドスの創世記にカオスが登場しますが、古代ギリシャ語のカオスは「渾沌」ではなく、次の様な意味で捉えられていたようです。
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- 大口を開けた状態
- 隙間・裂け目
- 何も無い空間
ギリシャ神話における天地創造は、まず、カオスができることから始まります。
そして、このカオスから、ガイア(大地)が生まれ、タルタロス(暗黒)、エレボス(闇)、ニュクス(夜)といった、原始のギリシャの神々が生まれていきます。
大口を開けた様な、何も無い空間(隙間)から、神々が誕生してきたというんですよね。
すごくイメージしづらいですね(笑)
では、次に、渾沌の語源といわれる、日本神話の天地創造を見ていきましょう。
日本神話・中国神話の天地創造
日本書記によると、天地創造は、「渾沌」が天と地に分かれています。
あまり、詳しい表現が無いのですが、これは明らかに「陰陽」という中国の思想からきています。
中国の神話とも、共通点があるようです。
中国神話では、世界を作ったのは、創造神の盤古(ばんこ)ですが、盤古自身は、巨大な卵の中の渾沌とした状態から、卵が割れることで誕生しています。
この時、割れた卵のからの上半分は、陽として清らかな天になり、下半分は陰で、地になったという話です。
カオスと渾沌
カオスと渾沌、語源となっているそれぞれの神話を見てみると、同じ様なところもあれば、違いもあるようですね。
共通点と違いについて、見ていきましょう。
共通点
ギリシャ神話の「カオス」と、日本神話・中国神話の「渾沌」は、次の点で共通です。
「天地創造の前の状態」を指す
ギリシャ神話も、日本・中国の神話も、カオス・渾沌から神々が誕生しています。
そして、天と地が創られていきます。
違い
ギリシャ神話では、カオス自体が生まれ出ている。
それに対して、日本・中国の渾沌の表現は、もとからそこにあり、渾沌そのものが産まれ出るという表現はありません。
カオスは生まれ出たが、渾沌は生まれ出ていない、これが違いです。
鍋がカオスと渾沌のイメージ!?
カオスと渾沌についての、イメージについてです。
「沸騰したフタ付きの鍋」
これをイメージして下さい(笑)
沸騰した鍋は、やがて沸騰した水蒸気やお湯によって
フタが持ち上げられるでしょう。
そのフタが持ち上がった隙間が「カオス」です。
この隙間も、無かったものが、生まれでたものです。
そして、そこから吹きこぼれた、水蒸気やお湯が「原初の神々」です。
カオスから生まれ出たものです。
鍋の中で、グラグラと揺れ動く沸騰したお湯が「渾沌」です。
ギリシャ神話では語られていない、カオスを作った基です。
(カオスはこの渾沌の部分も含むという考え方もできます)
渾沌について
渾沌は、「天地創造の前の状態」以外でも、登場してきます。
それらをご紹介します。
中国の四凶
中国の春秋左氏伝に 四凶(しきょう)と呼ばれる邪神が登場します。
その中の一つが、「渾沌」です。
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- 渾沌(こんとん)大きな犬(悪人と取り入る)
- 窮奇(きゅうき)翼を持つ虎(悪口を言う)
- 饕餮(とうてつ)体は牛または羊、頭が人間 (食べ物をあさる)
- 檮杌(とうこつ)虎の体に人間の顔、猪の牙をもつ(人間正しい道を乱す)
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四凶は、そのまま人間が行う、「四悪行」と言い換えることができます。
こういったことをしていけないというメッセージ性があります。
それにしても、この渾沌、どうして犬なんですかね?
ちなみに、この渾沌、いつも自分の尻尾が気になり、くるくる回ってばかりいるんだそうです。
四凶を創造した人は、そんな犬の姿に、渾沌を、感じたんですかね・・・?(笑)
荘子
荘子に出てくる、三人の帝の話に渾沌が出てきます。
- 南海の帝 : 儵(しゅく)
- 北海の帝 : 忽(こつ)
- 中央の帝 : 渾沌(こんとん)
3人の帝は、仲が良く、渾沌の宮殿で度々会いました。
渾沌は、他の帝と違うところがありました。
顔に、両目、両耳、鼻、口 という7つの孔(穴)がありません。
渾沌は、いつも二人を帝を、手厚くもてなしていました。
儵(しゅく)と忽(こつ)の二人の帝は、もてなしのお返しに、渾沌の顔に7つの孔を作ってあげたら、喜んでもらえるだろう、と考えました。
そして、一日に一つずつ渾沌の顔に、穴を開けていきます。
そうして、七日が経ち、全ての穴を開け終えた時、渾沌は死んでしまいました。
これは、荘子の思想の「無為自然」を表現しています。
(無為自然とは、人為的に手をつけるのではなく、自然のあるがままを受け入れるという思想)
儵(しゅく)と忽(こつ)が行った、目や鼻を作ってあげようということが人為です。
渾沌は自然そのものをあらわしています。
無い事をそのままとして受け入れず、何か自分の価値判断で勝手に人為を行う。
その事が、かえって害を及ぼすということの、痛烈な批判です。
まとめ
カオス・渾沌の一般的な意味
- ものごとが入り乱れて定まっていない様子
- 今後のなりゆきが見えない状態
カオス・渾沌の語源
- ギリシャ神話において、まずカオスが生まれ、そして原始の神々が誕生した
- 古代ギリシャでのカオスの意味は「大口を開ける」「隙間を作る」「何も無い空間」
- 日本書紀や中国の神話では、渾沌から陰陽に従って天と地が誕生している
- まだ形の出来ていない卵の様な状態を指して渾沌としている
渾沌 その他
- 中国の春秋左氏伝には、四凶という邪神がいて、そのうちの一体が渾沌
- 荘子に出てくる三人の帝の中央の帝の名が「渾沌」自然の象徴
あとがき
カオス、渾沌、昔から神話を見るたびに、気になっていました。 一体どんな状態なんだろうって。
子供の頃に、この世を作ったのが神様なら、その神様を作ったのはだれ?
と考えたことありませんか?
神様を作った者がいたとしたら、それは誰が作ったんだ?
神様を作った神様がいるのなら、それは誰が作ったんだ?・・・・
これ、永遠に終わりがありません(笑)
そんな、永遠に答えの出ない疑問を、このカオス・渾沌は含んでいるように思います。
ギリシャ神話では、カオスはできたものなので、一体何から出来たんだ?っていう
疑問がわきます。
合理的な説明が無いと納得できない、科学が発達したギリシャならでは・・・という気がします。
それに対して、渾沌は「もう、そういうものだから・・・」と、初めからそういうものとして
受け入れてしまっている感じがあります。
これは、東洋的な発想だと思います。
荘子に言わせれば、そこに答えを出そうすること自体が、「人為」?
もう一度、荘子に老子、じっくり読み返してみるかな・・・(笑)
コメント
道教では、目で知覚することができない宇宙原理の根源を「虚無」と言い、言葉で言い表せない混沌を表しています。
同時に、数々の神話での天地創造は「創造神」ではなく「混沌」であるとされていますね。
「涬溟」も混沌を表す熟語です。
絵本「こんとん」夢枕獏著・松本大洋絵に、
≪… 足が 六ぽん あるんだって。
それで
つばさが 六まい
あるんだって。 …≫
とある。
[自然数]を渾沌から観てみる。
『数学屋』の6つのシェーマ(符号)【e ⅰ π ∞ 0 1】を『妖怪』≪邪神≫として、
≪神様を作った神様がいるのなら、それは誰が作ったんだ?≫ に当てはめる。
すると、[自然数]を作った『妖怪』がいるのなら、それは[人]が作ったんだ、と生っている。
【十進法による【[桁表示]の[0 1 2 3 4 5 6 7 8 9]】は、6つの『妖怪』たちと言葉を交わした≪こんとんのやつ≫だったということです。
[自然数]の『創造神話』は、≪「無為自然」≫と言う事か・・・。
「絵本」は、≪きみのことが すきだよ。≫
と結んでいる。
≪…永遠に答えの出ない疑問を、このカオス・渾沌は含んでいる…≫を、
[言葉](言語)と[数の言葉](⦅自然数⦆)との[対比](双対性)で観る。
[言葉](言語)では、[カオス] ⇔ [コスモス]
[数の言葉](⦅自然数⦆)では、[十進法の桁表示](1 2 3 …) ⇔ [超越数](π e)
と観てよいようだ。
[コスモス]の[1]への[想い]は[絵本]に、
アン・ランド,ポール・ランド作,谷川 俊太郎訳「ちいさな1」
「アリになった数学者」森田真生文 脇阪克二絵
など[1]との[対話]がある・・・
[数の言葉](⦅自然数⦆)を、[カオス](π e)や『身体がする数学』の[オバケ]とたちと[遊んで]知らず知らずのうちに[仲良く]なれそうな[オバケ]があるそうだ。
「絵本のまち 有田川」が、ミイケ~
ちいさな駅美術館 Ponte del Sogno (JR 藤並駅) に
令和二年一月七日~令和二年一月二十四日
の間だけの[オバケ]との[御対面]が[可能]…