印象派の画家で、パッと思い浮かべる人って誰ですか?
美しい女性を描いたルノワール…
不思議な構図のリンゴの静物画のセザンヌ…
それとも、踊り子をたくさん描いたドガ …
これ以外にも、様々な印象派の画家たちが、素晴らしい作品を残していますが、印象派を語る上では外せない人が、この人…
そう、クロード・モネです。
ジヴェルニーの自宅の庭の睡蓮(すいれん)を描いた画家で有名ですよね。
東京上野にある国立西洋美術館や、岡山の倉敷にある大原美術館も所蔵している名画です。
しかし、モネを語る上で、いや『印象派』そのものを語る上で、絶対に外せない絵画があるんです。
それが、今回お伝えする『印象 日の出』です。
実は、印象派のきっかけとなった絵で、印象派という名前の由来にも関係しているんですが、これには面白いいきさつがあるんです。
詳しくは、本編で!
では、さっそく本編に入りたいと思います。
クロード・ロラン(Claude Lorrain)作『日の出の海岸』
クロード・モネ(Claude Monet)の『印象 日の出』と言っておきながら、いきなり別の絵を出してすみません…しかもクロード違い(苦笑)
ですが、モネの『印象 日の出』を見る前に、どうしても、この絵を見てほしいんです。
写実的な美しい絵ですよね。
クロード・ロラン(Claude Lorrain)は、17世紀のフランス古典主義絵画の画家です。
港の絵を描くのが得意な画家でした。
さて、それではお待たせしました。
いよいよ、クロード・モネの『印象 日の出』をご覧ください。
クロード・モネ(Claude Monet) 作 『印象 日の出』
どうですか?
同じ日の出、水辺を描いていても、先ほどのロランの写実的な絵画とは、まるで違うタッチで描かれていますよね。
近くで見ると、筆跡なんかも大胆に残していて、雑に描いた印象さえ持ってしまいます。
現代に生きている私達は、すでに、身の回りに印象派的な絵画があり、更には、抽象主義やポップアートの様な、印象派から先の絵画まで目にしているので、別に、こういう絵に対して違和感を持つ人はいないと思います。
でも、この絵が生まれた19世紀には、こういう絵は、それこそ当時の人は初めて見たことになるんです。
これは、相当アヴァンギャルド(前衛的)な衝撃作だったと思います。
そんなことを是非、クロード比較をしながら想像してみてください。
それでは、次に『印象 日の出』そして印象派(印象主義)という名前の由来について、迫りたいと思います。
このエピソード、本当に傑作なんです。
『印象 日の出』と『印象派』の名前の由来
モネが、この絵を展覧会に出したのは1874年 第一回印象派展。
といっても、印象派展という名前は後につけられました。
開催当時、印象派という言葉は、まだこの世にはありません。
「画家、彫刻家、版画家などによる共同出資会社の第1回展」というのが名前で開催されました。
その時、もともとは絵画の名前を「ル・アーヴルの眺め」というものをモネは希望していたんです。
ル・アーヴルはモネの育った街でもあり、ここからの景色には思い入れがあったので地名を入れたかったのかもしれません。
ただ、カタログの担当者から、平凡なためか、名前にダメ出しをされたようで、それなら…というのでモネが提示した名前が「印象」でした。
「印象」も含め、筆触分割などを使った前衛的な絵画のオンパレードの展覧会、それを見に来たルイ・ルロワという版画家・画家が、印象派(印象主義)という名前のきっかけを作ります。
彼は、ル・シャリヴァリという新聞に、「印象派の展覧会」と題した記事を投稿します。
ここで、ついに印象派という言葉が登場します。
その内容は、本人の受けた感想や考察を、そのまま書き下ろしたものではなく、印象派展を見にきた、一人の画家ジョゼフ・ヴァンサンという架空の人物とのやりとりを通して批評(批判?)を行うというユニークなスタイル。
その中で、ヴァンサンは、あまりにひどい展覧会に憤慨していき、どんどん気が動転し、最後には精神崩壊に至ってしまうという内容。
それだけ、この展覧会の内容がひどい!ということを伝えたかったということですよね。
その記事の中の、まさにモネの『印象 日の出』の絵画を見ている部分の抜粋です。
彼の顔色は真っ赤になっていた。
私には、破局が間近に迫っていることが感じられ、それに最後の一撃を加えたのはモネ氏であった。
「ああ、彼だ、彼」ヴァンサンは、98番の作品の前で叫んだ。
「彼がいた。ヴァンサン父さんのお気に入り! あのキャンバスは何を描いたものかね? カタログを見てくれ。」
「『印象・日の出』です。」
「『印象』、そうだと思った。私は印象を受けたので、作品に何かの印象があるに違いないと思っていたところだった……何という自由さ、何というお手軽な出来栄え! 出来かけの壁紙の方があの海景画より仕上がっている。」
【出典:Wikisource 印象派の展覧会(1874年)】
モネに限らず、ここに出展している画家のほとんどが、単に印象だけで描かれていて、サロンで評価されるような、きちんとした絵画を描けていないと批判した内容になっています。
最後のセザンヌのオランピアの絵を見て、精神崩壊してしまうというなんとも滑稽な内容で、展覧会を揶揄した「印象派の展覧会」という投稿記事です。
印象派という名前の誕生
ルイ・ルロワは、批判の意味をこめてつけた「印象派」という名前が、画家達に好意的に受け入れられ、正式に印象派(印象主義)という名前が誕生することになりました。
正式には、サロン・ド・パリ(Salon de Paris)で、フランスの王立絵画彫刻アカデミーが主催する公式な美術展覧会。
アカデミー だけでなく、国(政府)が主催することもあったため「官展」とも呼ばれる。
サロンは、従来の様式(新古典主義)にそぐわない作品を、ことごとく落選させたために、あまりに多くの作品が落選となってしまった。
ナポレオン三世がサロンに落選んした絵画だけを選んで「落選展」を開いている。
後に印象派と呼ばれる画家達は、落選展の開催を願ったけれども拒否されたために、最終的に、自分たちで展覧会を開くに至った。これが後に、第一回目の印象派展と呼ばれる展覧会である。
『印象 日の出』実は『印象 日の入り』?
このモネの『印象 日の出』は、一度、競売のカタログに『印象 日の入り」と書かれたことあります。
それをもとに、モネの研究者達のなかでも、この絵は日の出ではなく、日の入りを描いたものだという説がありました。
現在は、描かれた当時の絵の様子から、場所まで特定され(モネが滞在したと言われるアミロテホテル)日の出で間違いないということになっています。
あとがき
当時のアカデミーが、サロンで評価するのは、まさにクロード・ロランが描いた様な作品。
モネの「印象 日の出」を見たら、「なんだ、これは!?」になるでしょうね(笑)
ルイ・ルロワが言った、印象派という言葉は、実は絵の本質をとらえた良い表現だったというのは、ちょっと皮肉ですね。
でも、本当に良くできた言葉で、光による印象を見事にとらえた絵が印象派(印象主義)なので、逆に印象派の画家の絵を見るという気持ちで見ると、単に写実的な絵画には見られないような、写実では表せない本物が、そこに見ることができて、絵画の理解を簡単にしてくれたように思います。
実際、この絵画は証明の具合によって、ガラッと表情が変わると言われています。
実は、この絵は日本に来た時に、見に行く予定だったのですが、行った時には展示替えで、モネの別の絵画になっていました(泣)
この絵は時代を変えた絵ですからね。
やっぱり本物を見なくては……
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