ルネサンスの絵画について、今回からシリーズでお届けしたいと思います。
まず、初回の今回は、ルネサンスと言えばこの人『レオナルド・ダ・ヴィンチ』をとりあげます。
巨匠中の巨匠、レオナルド・ダ・ヴィンチの『モナリザ』を知らないという人はいませんよね。
また、レオナルド・ダ・ヴィンチは、ルネサンスの絵画の巨匠という顔だけでなく、彫刻や舞台装置、さらには戦車や飛行機まで作ろうとしていたので、万能の天才などと呼ばれています。
しかし、実は、レオナルド・ダ・ヴィンチという人を調べていくと、j実は、けっこうなダメ人間です(笑)
今回は、イタリア 、ルネサンス絵画の巨匠 レオナルド・ダ・ヴィンチについて、掘り下げてみたいと思います。
ヴィンチ村のレオナルド?
レオナルド・ダ・ヴィンチのプロフィールを簡単に紹介します。
1452年 フィレンツェ(当時のフィレンツェ共和国)郊外のヴィンチ村で誕生。
ダ・ヴィンチというのは、「ヴィンチ村の…」 という意味です。
つまり、レオナルド・ダ・ヴィンチとは、「ヴィンチ村のレオナルド」という意味になります。
父は公証人のセル・ピエーロ・ダ・ヴィンチで、母はカテリーナという農夫の娘で、この二人に婚姻関係はありません。つまりレオナルドは、私生児だったんです。
私生児だったため、学校に通う事ができず、ラテン語を学ぶことができず、手に職をつけるため、当時フィレンツェにおいて、絵画や彫刻の工房として名をはせていたヴェロッキオ工房に入ります。
ダ・ヴィンチが14歳の時です。
ここで、少年レオナルドの非凡なる才能が花開いていきます。
そんな、彼の、絵画を見ていきましょう。
『キリストの洗礼』(ヴェロッキオ工房) 師匠を超えてしまった作品!?
さて、この絵画ですが、これは工房の親方である、ヴェロッキオが描いた『キリストの洗礼』です。
題材は、イエス・キリストが聖ヨハネに洗礼を受けるシーンですが、二人の天使が、描かれています。
実は、この二人の天使のうち左の天使を、当時20歳頃だったレオナルド・ダ・ヴィンチが、描いたものと言われています。
ヴェロッキオは、弟子であるダ・ヴィンチの天使の出来栄えに、驚嘆し、以降、二度と絵筆をとらなかったと言われています。
どうですか?
そう言われると、表情が素晴らしいし。
それ以外にも、衣のドレープ(しわ)の感じとか、髪の毛の感じとかが師匠より素晴らしい気もします……
あくまで、そう言われて見ているからという気も(笑)
ヴェロッキオさんだって、当時の大巨匠ですからね。
さて、この後、ダ・ヴィンチは独立していくのですが、どんどん順調に活躍していくのか…というと、ちょっとレオナルド・ダ・ヴィンチは、問題がある人だったんです。
レオナルド・ダ・ヴィンチは普通じゃ満足できない人?そして、完成させられない人?
独立後の最初の大きな仕事が、フィレンツェ共和国の政庁舎であるヴェッキオ宮殿の中にある、サン・ベルナルド礼拝堂の祭壇画でした。
また、サン・ドナート・スコペート修道院からも「東方三博士の礼拝」制作の注文も受けています。
ところが、この両方の作品とも未完成のままとなっています。
未完成の「東方三博士の礼拝」は現在、そのヴェッキオ宮殿とつながっている、ウフィツィ美術館に収蔵されています。
見ると分かると思いますが、構図が斬新です。
それまでの同じ題の絵画では、マリアとイエス・キリストが人々より高い位置にいる構図が当然ですが、マリアとイエス・キリストより上側に一般の人々を描いてしまっています。
普通じゃ満足できない性格なのでしょうか…
斬新すぎたせいなのか、結局完成まで至らないという事が、レオナルド・ダ・ヴィンチには多かったようです。
ミラノに移ってからも、『岩窟の聖母』の注文を受けたのですが、依頼主の希望通り作らず、納期も守らず、支払いのことも含め、おおもめにもめてしまい、最終的に裁判沙汰となっています。
抜群に上手いけれども、仕上げられない画家……
徐々に制作依頼も減っていったようです。
ちょっと困ったルネサンスの巨匠ですよね(苦笑)
やはり、納期を守らない、依頼した通りに作らないというのは問題ありですよね……
『最期の晩餐』ダヴィンチは、ゆっくりじっくり描きたい人だった?
レオナルド・ダ・ヴィンチの絵画は、完成品が少なく、日本に来ればどれも話題になります。
そんな、ダ・ヴィンチの作品の中でも、この二つは群を抜いて有名でしょう。
『モナ・リザ』は、世界一有名な絵画といっても過言ではないでしょう。
さて、さっそく『最後の晩餐』から見てみましょう。
これは、イエス・キリストが、弟子たちと食事をしているさなか、「この中に、私を裏切る者がいる」と告げた場面です。
その言葉を受けて、揺れ動く弟子たちの反応が、ダイナミックに描かれている作品です。
実は、このイエス・キリストと弟子全員が横並びになっている構図も、当時としては斬新すぎる構図。
このテーマを描く時は、基本的には裏切る弟子イスカリオテのユダ一人だけがテーブルの前に描かれるのが、常識でした。
ここにも、普通じゃ満足できないダ・ヴィンチの新しいもの好きが、現れています。
この絵画は、サンタ・マリア・デッレ・グラッツィエ教会の食堂の壁に描かれてられていました。
キリストの下の部分が、入り口だったそうです(そこだけ絵が切れています)
当時の壁画は「フレスコ画」という手法が一般的でしたが、この手法は急いで描かなくてはならず、ダ・ヴィンチが好きだった重ね塗りもできないため、ダ・ヴィンチは、テンペラ画という、本来は壁画には用いない方法をとります。
しかし、これが実は大問題で、漆喰への馴染みが悪い上に、カビも生えやすく、完成後、すぐにも劣化が始まり顔料の剥離が起きていたようです。
とりあえず三年間という歳月をかけて、無事に完成させた作品の一つです。
「三年間もかかったの??」と思う方もいると思いますが、実は、三年間で仕上げるのは、レオナルドにとっては短い方なんですよね(笑)
また、油絵の様に上から描き直すという事はできません。
紙や布には定着しやすく長期保存に向いています。
『モナ・リザ』 ダ・ヴィンチは何度も何度も重ね描きをしたい人
さて、次に、いよいよ大トリ「モナ・リザ」を見てみましょう。
素晴らしいですね。
ず~っと見ていても飽きない、まさにそんな絵画ですよね。
さて、モナ・リザの作成には四年間をかけたようですが、レオナルド・ダ・ヴィンチは、この作品を肌身離さず持ち歩き、いつまでたっても加筆を続けていたと言われています。
この絵画にはレオナルド・ダ・ヴィンチの特徴、「空気遠近法」そして「スフマート」という特徴的な技法が見られます。
特に、スフマートは本当に素晴らしく、謎の微笑と言われる口元は、このスフマートあってこそなのでしょうね。
まとめ
レオナルド・ダ・ヴィンチ
ヴェロッキオ工房で絵画の才能を開花
師匠のヴェロッキオも驚嘆するほどの実力
新しいもの好き、じっくり何度も描く
結果的に完成作品が少なくなる
- 依頼主の言う通りに作らない、ちょっと困ったところも
- 空気遠近法、スフマートなど、後の画家に多大な影響を与える。
あとがき
もう随分前の話ですが、最後の晩餐の大掛かりな修復が終わり、上に塗り重ねられていた、後世の修復の顔料を取り除いた直後位に、サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会を尋ねました。
今はWebで出来るのだと思いますが、当時は日本から国際電話で事前予約をする必要がありました(苦笑)
妻と二人で行ったのですが、受付で一人分しか予約が入っていないと言われ、そんなバカな!と粘りに粘って二人で入れてもらったことを思い出します。
入場制限があって鑑賞時間も限られているんですが、本当に、特別な時間でした。
絵画の鑑賞で、何度か心の底から感動するような震えみたいなものが起こることがありますが、まさに、この絵を見た時がそうでした。
ダ・ヴィンチは、依頼を受けて、それをその通り描くより、自分が描きたいものを描く、現代の芸術家の様な人だったと思います。
もしも、レオナルド・ダ・ヴィンチが現代にいたら、現代の様々な油絵の顔料を使って、一体どんな絵画を描いたのか?本当に興味が沸きます。
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