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	<title>ギリシャ神話･哲学 | KENブログ 風のように、しなやかに</title>
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	<description>気づいたこと思ったことなどを、気ままに書き連ねています。</description>
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		<title>映画『私を離さないで』の余韻(よいん）人間の定義とは？</title>
		<link>https://kenyu.red/archives/6692.html</link>
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		<dc:creator><![CDATA[kenken]]></dc:creator>
		<pubDate>Tue, 07 Jan 2025 14:46:16 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[ギリシャ神話･哲学]]></category>
		<category><![CDATA[映画]]></category>
		<category><![CDATA[映画考察]]></category>
		<category><![CDATA[科学技術]]></category>
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					<description><![CDATA[<p>この記事は映画を鑑賞した方を対象としています。未鑑賞の方にとってはネタバレとなる内容もありますので、ご注意ください。 本編において、映画のあらすじ紹介や、登場人物の俳優の写真等の掲載はしていません。別の同映画に関するサイ [&#8230;]</p>
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										<content:encoded><![CDATA[<p>
<br />
<p><span class="bold-blue">この記事は映画を鑑賞した方を対象としています。未鑑賞の方にとってはネタバレとなる内容もありますので、ご注意ください。</span></p>
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<br />
<br />
<p class="is-style-clip-box has-box-style">本編において、映画のあらすじ紹介や、登場人物の俳優の写真等の掲載はしていません。別の同映画に関するサイトを参照してください。</p>
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<br />

  <div id="toc" class="toc tnt-number toc-center tnt-number border-element"><input type="checkbox" class="toc-checkbox" id="toc-checkbox-2" checked><label class="toc-title" for="toc-checkbox-2">目次</label>
    <div class="toc-content">
    <ol class="toc-list open"><li><a href="#toc1" tabindex="0">人間の定義、そして現実</a><ol><li><a href="#toc2" tabindex="0">クローンを描くことで揺れ動く人間像</a></li></ol></li><li><a href="#toc3" tabindex="0">噴出する違和感、そして崩壊する固定概念</a><ol><li><a href="#toc4" tabindex="0">そもそも人間の定義とは？</a></li></ol></li><li><a href="#toc5" tabindex="0">映画が語りかけてくる現実世界</a></li></ol>
    </div>
  </div>

<h2 class="wp-block-heading has-text-align-left"><span id="toc1">人間の定義、そして現実</span></h2>
<br />
<br />
<br />
<figure class="wp-block-image aligncenter size-full is-resized"><img fetchpriority="high" decoding="async" width="780" height="506" src="https://kenyu.red/wp-content/uploads/2024/11/camera-4616573_1280.jpg" alt="" class="wp-image-6680" style="width:660px;height:auto" srcset="https://kenyu.red/wp-content/uploads/2024/11/camera-4616573_1280.jpg 780w, https://kenyu.red/wp-content/uploads/2024/11/camera-4616573_1280-300x195.jpg 300w, https://kenyu.red/wp-content/uploads/2024/11/camera-4616573_1280-768x498.jpg 768w" sizes="(max-width: 780px) 100vw, 780px" /><figcaption class="wp-element-caption">写真は映画本編とは関係がありません。</figcaption></figure><br />
<br />
<br />
<br />
<p><strong>&nbsp;</strong>ノーベル賞作家となった日本生まれのイギリス人作家カズオ・イシグロの原作「Never Let Me Go(わたしを離さないで)」を映画化した作品である。原作の世界観は失わないようにはしてあるが、映画独自の脚色がかなり入った作品で題材はSF（サイエンス・フィクション）である。原作は文学性や細かい心の機微を捉えたような繊細さを感じる作品だが、映画はより「人間とは？」という哲学的な問いに重きをおいた印象を受ける。</p>
<br />
<br />
<br />
<h3 class="wp-block-heading"><span id="toc2">クローンを描くことで揺れ動く人間像</span></h3>
<br />
<br />
<br />
<p>映画が描く時代は過去である。すでにクローン技術が開発され、それによる医療技術の発達により人々の平均寿命が100歳を超えたという設定になっている。現実世界では、1996年イギリスでドリーという名前のクローン羊が誕生し、その後各国で次々とクローンが産まれ、2018年には中国で猿のクローンが産みだされてしまった。猿のクローンの成功、このことが意味するものは技術的には人間のクローンも確実に作り出せるということだ。<br>人間が人間を生み出してよいのか？それは神のみ許された領域ではないのか？ すでに事態は科学の分野ではなく、倫理・哲学、そして宗教といった要素を帯びてくる。<br>その倫理・哲学、そして宗教という要素を取り上げて描かれたSFが、この作品である。</p>
<br />
<br />
<br />
<h2 class="wp-block-heading"><span id="toc3">噴出する違和感、そして崩壊する固定概念</span></h2>
<br />
<br />
<br />
<p>作品を鑑賞して、まず純粋に感じたのはSFが持つ圧倒的なパワーだった。凄まじい、映画鑑賞を進めていく中で、自分の常識や固定概念が瞬く間に壊され、まるで宇宙空間に放り出されたかのように、自分で進む方向が制御できない感覚に陥る。間違いなく漂っているのだが、どう漂っていいのか分からない不思議な感覚だ。それは、目の前で繰り広げられる状況を、一体どう受け止め、どう解釈してよいのか分からないとうことでもある。<br><br>映画は、冒頭、トミーの最後の臓器を提供するための手術が、始まるというシーンが映し出される。もちろん、この時点では鑑賞者は何が起きているのか理解はできない、映画の後半になって同シーンは再度映し出され、鑑賞者はそこで全てを理解するという仕掛けになっている。そして、シーンはほどなく主役の子供時代に切り替わり、ヘールシャムというイギリスの伝統校といった雰囲気が漂う学園生活を映し出していく。</p>
<br />
<br />
<br />
<p>筆者は、ここで、いきなり妙な違和感を感じさせられた。<br>校長を筆頭に教師全てにおいて女性しかいないのだ。これが第二次世界大戦といった戦時中であれば徴兵のため、ほとんどの男性は戦争に取られてしまっていると分からせるシーンなのかもしれないが、時代は1978年である。<br>また、これだけ厳格な学校でありながら、キリスト教の礼拝などのシーンはなく、キリストの像や羊といった、キリスト教のモチーフ的な物も一切登場しない。全く宗教色が排除されているのだ。<br></p>
<br />
<br />
<br />
<figure class="wp-block-image aligncenter size-full"><img decoding="async" width="640" height="425" src="https://kenyu.red/wp-content/uploads/2024/12/image.jpg" alt="" class="wp-image-6699" srcset="https://kenyu.red/wp-content/uploads/2024/12/image.jpg 640w, https://kenyu.red/wp-content/uploads/2024/12/image-300x199.jpg 300w" sizes="(max-width: 640px) 100vw, 640px" /><figcaption class="wp-element-caption">写真は映画本編とは関係がありません</figcaption></figure><br />
<br />
<br />
<br />
<p>更に、学校の敷地からは一歩たりとも出てはいけないとう厳格さ、ルーシーという新任の女性教員の違和感は、そのまま鑑賞者の違和感として受け止められている。日本人には感じづらい部分があるかもしれないが、ここの教育に生徒の主体性が感じられない、一方的に教師が教え、それを厳格に守ることを強いられているのだ。これはイギリスの厳格なエリート校では逆にありえないスタイルの教育方法で、これを観たイギリス人は、とても違和感を感じたことであろう。<br>そうした違和感の答えを当のルーシー先生から鑑賞者は聞かされることになっていく。そして、その意味を理解した時、全校集会でタバコが見つかった事を持ち出す意味、ちょっとしたアザまで妙に気にする健康診断、野菜もちゃんと食べなさいという注意の意味、そういったものが、一気に、ただ子供の健康を気遣っているというのではなく、特別な意味を持ち出して理解されていくのである。<br>そして、学校の敷地から全く出ないということは、子供たちには実家もなく帰省もない。つまり親や家族がない存在なのだということを知ることにもなる。<br>学内にキリスト教色が無いのは、この子供達が神によって作られた存在ではなく人間が作り出した存在だからなのであろう。<br><br>ルーシー先生が意を決して語る真実、あなたたちは俳優にはなれない、アメリカに行くこともない、スーパーで働くこともない…と。<br>それは、まさにフランスの哲学者ジャン・ポール・サルトルが語る実存主義の内容に他ならない。人間以外のものは、産みだされた時から何になるかが決められている、目的(存在理由)が先にあって、あとから存在(実存)が作られるが、人間だけは産まれた時点では何になるか決まっていない。存在(実存）が先で、目的(存在理由）は後からくるのが人間、という考えである。<br>このへールシャムの生徒達は、初めから目的(存在理由)が決まった状態で産みだされてしまっている。臓器を自分のオリジナルに提供するという目的のために人間によって産みだされたクローンなのだ。<br></p>
<br />
<br />
<br />
<p>映画は、まず鑑賞者の固定概念が壊され揺らがされる状況が作り出される。そして、このサルトルの実存主義に則った人間と、そうではない人間の二種類がある世界ということを、心に刻み込まれた状態で、彼女ら主役たちの言葉や行動を受け止めていく立場に立たされるのだ。</p>
<br />
<br />
<br />
<h3 class="wp-block-heading has-text-align-left"><span id="toc4">そもそも人間の定義とは？</span></h3>
<br />
<br />
<br />
<figure class="wp-block-image aligncenter size-full"><img decoding="async" width="640" height="400" src="https://kenyu.red/wp-content/uploads/2024/12/android-7098345_640.jpg" alt="" class="wp-image-6700" srcset="https://kenyu.red/wp-content/uploads/2024/12/android-7098345_640.jpg 640w, https://kenyu.red/wp-content/uploads/2024/12/android-7098345_640-300x188.jpg 300w" sizes="(max-width: 640px) 100vw, 640px" /></figure><br />
<br />
<br />
<br />
<p>人間の飽くなき欲望が産みだしプログラム、人間までもが資本主義化されている世界、恐ろしく悲しい、そしてなんとも残酷な世界ではないか。そもそも、このクローンの技術により人間の平均寿命が100歳を超えているということになっているが、20代でほぼ死んでしまうクローン達はもちろん人間ではないという扱いで、この平均寿命の計算外なのであろう（それを計算に入れたら平均寿命ははるかに下がってしまうはず）<br>人間でなければ、彼女・彼たちは一体何者なのか？いや、もっと言えば、何をもって人間といえるのか？ 究極とも言える哲学的な問いが襲い掛かってくる。<br><br>もちろん、現実世界ではクローン人間は倫理の問題として禁止されているが、医療技術の発達により様々な形で人間には機能を回復させる医療が成されている。実用化されているものに、義手や義足、義眼などがあるが、最近は一部の内臓なども疑似的に作れるようになってきている。人間が足や手だけを別の何かに変えても、それは間違いなく人間であるが、全身アンドロイドに脳だけ移植したものも同等に人間なのであろうか？ あるいは脳の大部分を機械に置き換えられたらどうなのだろうか？どこまで自分の元々の肉体が残っていれば人間と定義されるのであろうか… <span style="font-size: revert; font-family: var(--cocoon-default-font);">そもそも、人間とはどういうものなのかという定義自体が、実はまだ成されていないのだということに気付かされる。</span></p>
<br />
<br />
<br />
<h2 class="wp-block-heading"><span id="toc5">映画が語りかけてくる現実世界</span></h2>
<br />
<br />
<br />
<p>人間の遺伝情報は両親から半分ずつ引き継ぐ、親にも、またその親があり同じ様に引き継いでいる、そしてその親もまた、その親から…遺伝情報とは自分のルーツでもあるのだ。自分の顔・姿が親に似る、あるいは似た顔立ちの多い兄弟姉妹たち、そこには、つながりを感じ自己の存在に対して自然と安心感が持てるのだという。<br>それに対して、この映画の主役クローンたちは、どうだろうか？ 当然、親も親戚も存在しない。遺伝子のつながりといえばたった一つ、オリジナルの存在だけである。オリジナルの遺伝子を完璧にコピーした存在がクローンだ。オリジナルは人間の親子以上の深いつながりがあると言えるのではないだろうか。遺伝子のコピーは、ある意味で自分自身の分身と言える存在だからだ。もちろん、その気持ちはクローン側にだけあり、オリジナルにはないというところが残酷なのだが。<br>更に、それだけではないクローンはオリジナルに尽くした後、この世を去る定めにある、自分の命を捧げる存在がオリジナルなのだ。</p>
<br />
<br />
<br />
<p><br>劇中、自分のオリジナルと思われる人物を探しに行くシーンがある。なんとも複雑な思いにさせられる場面である。自分のオリジナルがクズの様な人物だったらと考えると、一体自分の存在とは何なのかと絶望感に<ruby>苛<rt>さいな</rt></ruby>まれる。しかし彼女たちには選択肢はない、<ruby>桟橋<rt>さんばし</rt></ruby>のシーン、キャシーはつぶやくようにトミーに語りかける「戻らなきゃ」。<br>この言葉には、外泊が許されていないため、コテージに帰らなければならないという意味と、オリジナルを探す行動は止めるという意味の両方が込められた言葉としての響きを持つ。<br><br>生き方の選択も出来ず、臓器を提供するために過ごす日々。<br>それはサルトルの実存主義における人間の定義から外れた存在であることは先に述べたとおりであるが、ここで、もう一歩踏み込んで考えてみたい。<br>現実世界で、本当に人間は誰しもが生き方を選択できるのであろうか？<br>実は現実世界で、産まれた時から、その生き方をかなり限定されている人達は存在するのではなかろうか。</p>
<br />
<br />
<br />
<p>ラストに語られる主人公の叫びが心に響く<br><br>「私たちと私たちが救った人々に違いが？」<br><br>もはや、この言葉をフィクションとしてだけ受け止める気持ちにはなれない。</p>
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	</item>
		<item>
		<title>映画『ベイビー・ブローカー』の余韻(よいん)  今揺れ動く家族という存在(ネタバレあり)</title>
		<link>https://kenyu.red/archives/6647.html</link>
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		<dc:creator><![CDATA[kenken]]></dc:creator>
		<pubDate>Mon, 28 Oct 2024 15:01:18 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[ギリシャ神話･哲学]]></category>
		<category><![CDATA[教養・趣味・娯楽]]></category>
		<category><![CDATA[映画]]></category>
		<category><![CDATA[映画考察]]></category>
		<category><![CDATA[海外旅行]]></category>
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		<category><![CDATA[ベイビー・ブローカー]]></category>
		<category><![CDATA[家族]]></category>
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					<description><![CDATA[<p>この記事は映画を鑑賞した方を対象としています。未鑑賞の方にとってはネタバレとなる内容もありますので、ご注意ください。 本編において、映画のあらすじ紹介や、登場人物の俳優の写真等の掲載はしていませんので、そういったものをお [&#8230;]</p>
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										<content:encoded><![CDATA[<p>
<br />
<p><span class="bold-blue">この記事は映画を鑑賞した方を対象としています。未鑑賞の方にとってはネタバレとなる内容もありますので、ご注意ください。</span></p>
<br />
<br />
<br />
<p class="is-style-clip-box has-box-style">本編において、映画のあらすじ紹介や、登場人物の俳優の写真等の掲載はしていませんので、そういったものをお知りになりたい場合には、下記、公式ホームページを、ご参照ください。<br><span class="fz-12px"><a rel="noopener" target="_blank" href="https://www.20thcenturystudios.jp/movies/banshees-of-inisherin" title=""><strong>映画『ベイビー・ブローカー』公式サイト</strong><span class="fa fa-link external-icon anchor-icon"></span></a></span></p>
<br />
<br />
<br />

  <div id="toc" class="toc tnt-number toc-center tnt-number border-element"><input type="checkbox" class="toc-checkbox" id="toc-checkbox-4" checked><label class="toc-title" for="toc-checkbox-4">目次</label>
    <div class="toc-content">
    <ol class="toc-list open"><li><a href="#toc1" tabindex="0">『疑似家族』</a><ol><li><a href="#toc2" tabindex="0">家族ではないものが問いかけてくる「家族」とは？</a></li><li><a href="#toc3" tabindex="0">韓国の美しい景色 ～ロードムービー～</a></li><li><a href="#toc4" tabindex="0">なぜ『疑似家族』なのか？</a></li></ol></li><li><a href="#toc5" tabindex="0">違いが生み出す効果</a></li><li><a href="#toc6" tabindex="0">考えさせられるタイプの映画</a><ol><li><a href="#toc7" tabindex="0">ベイビーブローカーが描く家族</a></li><li><a href="#toc8" tabindex="0">狭間はざまに立たされ、心が揺らぐ…</a></li></ol></li><li><a href="#toc9" tabindex="0">鑑賞後期(余談)</a><ol><li><a href="#toc10" tabindex="0">是枝これえだ監督作品は、なぜカンヌ映画祭で評価を受けるのか</a></li><li><a href="#toc11" tabindex="0">北野作品の特色との比較</a></li><li><a href="#toc12" tabindex="0">印象的か？それとも象徴的か？</a></li><li><a href="#toc13" tabindex="0">カンヌの評価　フランス人の気質</a></li><li><a href="#toc14" tabindex="0">好き嫌いの先にあるもの</a></li></ol></li></ol>
    </div>
  </div>

<h2 class="wp-block-heading has-text-align-left"><span id="toc1">『疑似家族』</span></h2>
<br />
<br />
<br />
<figure class="wp-block-image aligncenter size-full"><img loading="lazy" decoding="async" width="640" height="430" src="https://kenyu.red/wp-content/uploads/2024/10/family-4937226_640.jpg" alt="写真は映画本編とは関係がありません。" class="wp-image-6657" srcset="https://kenyu.red/wp-content/uploads/2024/10/family-4937226_640.jpg 640w, https://kenyu.red/wp-content/uploads/2024/10/family-4937226_640-300x202.jpg 300w" sizes="(max-width: 640px) 100vw, 640px" /><figcaption class="wp-element-caption">写真は映画本編とは関係がありません。</figcaption></figure><br />
<br />
<br />
<br />
<h3 class="wp-block-heading"><span id="toc2">家族ではないものが問いかけてくる「家族」とは？</span></h3>
<br />
<br />
<br />
<p>是枝監督がライフワークのように描き続けているテーマ「家族」。本作ベイビーブローカーでも、とりあげたテーマも、やはり家族である。その中でも血縁のない者が家族の様な関係となる『疑似家族』をモチーフとして選んでいる。このモチーフは「万引き家族」でも既に取り上げているが、過去作品の焼き直しという感じにはなっていない。同じテーマを韓国という舞台、オールキャスト韓国人俳優、完全に韓国社会の中で描いた点が非常に興味深かった。「家族とは一体何なのか」「人と人とのつながりとは」という哲学的な問いかけが、本作でもしっかりと語られ、そして、鑑賞者は、その問いに答えようと考えさせられる、そんな作品に仕上がっていたように感じた。</p>
<br />
<br />
<br />
<h3 class="wp-block-heading"><span id="toc3">韓国の美しい景色 ～ロードムービー～</span></h3>
<br />
<br />
<br />
<p>映画は、全編に渡って韓国の美しい景色が映し出され、ロードムービーの形式がとられている。街から街へ移る際に目に入る景色、海、山、そして都会も日常とはどこか違う景色として映る。天気も、雨の日、晴れの日、そして昼も夜もと、周囲の風景だけでも十分に楽しめるような、そんな作品に仕上がっている。また、そんな景色の中、老若男女の出演者達が様々な表情を見せ、そこにある種の美しさを感じさせる。感動シーンや、いかにもな場面も多く、ちょっとやりすぎ感もあるが、この辺りは韓国映画・ドラマではお馴染みといったところなのであろうか。</p>
<br />
<br />
<br />
<h3 class="wp-block-heading has-text-align-left"><span id="toc4">なぜ『疑似家族』なのか？</span></h3>
<br />
<br />
<br />
<p>さて、この映画について語る上で、まず押さえておきたいことがある。<br>それは、「家族」について考えさせる映画でありながら、なぜ、本物の家族ではなく、わざわざ『疑似家族』を持ち出す必要があるのか、ということだ。家族映画といえば、山田洋次監督「男はつらいよ」シリーズや、小津安二郎監督「東京物語」といった代表作がある松竹があるが、それらの多くが家族そのものを直接取り上げて描いている。それに対して、このベイビーブローカーは、そういった家族映画の王道とは一線を画しているといえる。あえて「疑似家族」を登場させることで、どの様な効果が出ているのか、そこから順に見ていきたい。</p>
<br />
<br />
<br />
<h2 class="wp-block-heading"><span id="toc5">違いが生み出す効果</span></h2>
<br />
<br />
<br />
<figure class="wp-block-image aligncenter size-full"><img loading="lazy" decoding="async" width="640" height="359" src="https://kenyu.red/wp-content/uploads/2024/10/eggs-3446869_640.jpg" alt="" class="wp-image-6659" srcset="https://kenyu.red/wp-content/uploads/2024/10/eggs-3446869_640.jpg 640w, https://kenyu.red/wp-content/uploads/2024/10/eggs-3446869_640-300x168.jpg 300w, https://kenyu.red/wp-content/uploads/2024/10/eggs-3446869_640-120x68.jpg 120w, https://kenyu.red/wp-content/uploads/2024/10/eggs-3446869_640-160x90.jpg 160w, https://kenyu.red/wp-content/uploads/2024/10/eggs-3446869_640-320x180.jpg 320w" sizes="(max-width: 640px) 100vw, 640px" /><figcaption class="wp-element-caption">写真は映画本編とは関係がありません。</figcaption></figure><br />
<br />
<br />
<br />
<p>あるテーマについて考えた時、そのテーマについてだけを考えていても全く考えが進まないということがある。学校で「このテーマで作文を書いてください」と言われても、なかなか書き出すことができない、あの状況だ。ああでもない、こうでもないとテーマを<ruby>反芻<rt>はんすう</rt></ruby>するだけで、一行として書き進められない。<br>そんな状態の時、先生のちょっとしたアドバイスで、急に書き出すことが出来たという経験はないだろうか？ 実は、先生が出すヒントやアドバイスは、実は大体決まっていて、そのテーマから、ちょっとだけズラした考え、あるいは正反対の考えを取り入れて考えてみるといったものだ。そんなちょっとしたことで、頭のもやもやが晴れ、自分でも驚くほど書きたいことがまとまり、すらすらと書き進めることができたりする。これは一体何なのだろうか？<br>それは、何か比較対象があると、その違いをきっかけに思考を進めることができるということなのではないだろうか。<br>少し、くどいかもしれないが、例を挙げてもう少し説明を加えたい。仮に「手話」というテーマで鑑賞者に何か考えさせるようなタイプの映画を撮ろうとした場合、「ろう者による手話」のシーンだけで映画を作ってしまうと、鑑賞者は恐らく最初は興味を持ってそれを見るが、やがて思考停止に陥るであろう。多くの場合、ただただ感心するばかりで感情が先立ち、それについて考えるという行為をやめてしまうのだ。作文と違って考え続けなくても、それが目に見えた形で自分にフィードバックされないので、ほとんどの場合、思考停止していることにも気が付かない。<br>ところが、この映画に「ろう者による手話」だけでなく「健聴者による手話」のシーンが入ったら、どうなるであろうか？同じ手話ではあるが、鑑賞者は手話を行う人間の立場の違いなどを比較するようになり、より「手話」というものの存在について自然と考えるようになるのだ。更に「中途聴覚障害者の手話」が登場すれば、より重層的に「手話」について捉えることができてくるであろう。<br>人間は、何か比較対象があると、その違いや性質について本能的に探る性質があるのではないだろうか。</p>
<br />
<br />
<br />
<p>さて、そろそろ話を「ベイビーブローカー」に戻そう。<br>この映画で、『家族』の比較対象として登場したのが疑似家族なのである。仮に「本物の家族」を映画で2時間見せられたとしても、鑑賞者は感傷的にはなっても、家族というものについて深く考えるという状況になるのは意外となりにくい。なぜならば、それは自分の家族も含め、ドラマや他の映画でもよく見るいつもの家族の光景として映ってしまうからだ。『疑似家族』という異質なものが登場することによって、鑑賞者はその違和感に揺さぶられ、家族というものについて改めて考えを巡らすようになるのではないだろうか、本当の「家族」とは一体何なのかと…。</p>
<br />
<br />
<br />
<h2 class="wp-block-heading"><span id="toc6">考えさせられるタイプの映画</span></h2>
<br />
<br />
<br />
<figure class="wp-block-image aligncenter size-full is-resized"><img loading="lazy" decoding="async" width="640" height="427" src="https://kenyu.red/wp-content/uploads/2024/10/team-4529717_640.jpg" alt="写真は映画本編とは関係がありません。" class="wp-image-6660" style="width:631px;height:auto" srcset="https://kenyu.red/wp-content/uploads/2024/10/team-4529717_640.jpg 640w, https://kenyu.red/wp-content/uploads/2024/10/team-4529717_640-300x200.jpg 300w" sizes="(max-width: 640px) 100vw, 640px" /><figcaption class="wp-element-caption">写真は映画本編とは関係がありません。</figcaption></figure><br />
<br />
<br />
<br />
<p>一方で、この映画が訴えているものは、何が正しくて何が間違っているのか、といった道徳教育的な話ではない。日本では幼少期からの道徳教育の影響か「良い」「悪い」でしか物事を見ないケースが多いように思う。そういった人の中には、この映画に拒絶反応を起こしてしまい、受け付けないという人も一定数いるのではないだろうか。しかし、この映画が提示するのは、社会的/世間的に正しいとか間違いとかではなく、そういった状況にあえて一歩踏み込んでみて、「あなたにとっての家族とは」と、ただただ考えさせようとしているように感じるのだ。日本では哲学というものは、大学に行かないと学べない。幼少期は道徳で全員が同じ方向を向くような教育を受け、そして、倫理の授業は哲学ではなく、哲学史でしかない。自分で何かに疑問を持ち、それについて考える、そういった大事な時間を日本では幼少期から味わえていない気がしてならない。</p>
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<br />
<br />
<h3 class="wp-block-heading"><span id="toc7">ベイビーブローカーが描く家族</span></h3>
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<br />
<br />
<p>この作品は本当に容赦がない、主役たちの疑似家族以外に、赤ちゃんポストのある教会、母さんと呼ばれている女性が仕切る売春組織、やくざ組織、そして孤児院、これら全て形態は異なるが疑似家族であろう。更には、血縁関係者(娘や甥っ子)も登場するし、警察側の家族(夫)関係までも描かれている。もうこれでもかというほど畳みかけてくるのだから、こちらも揺れ動かされるのは当然ともいえよう。</p>
<br />
<br />
<br />
<h3 class="wp-block-heading"><span id="toc8">狭間はざまに立たされ、心が揺らぐ…</span></h3>
<br />
<br />
<br />
<p>この映画のラストシーン、疑似家族であっても、それが生きる力になっていることを写真(プリクラ）で象徴的に映し出して終わっていく、あのシーンである。明るく前向きな、とても良いエンディングだと思う。そんな、ほっこりした気分で鑑賞を終わろうとした時、ふと考えさせられた。このようなエンディングにする必要があるほど、現実に血縁家族は崩壊しているのだろうか…と。そして、中央大学文学部教授で社会学者の山田昌弘先生の言葉を思い出した。</p>
<br />
<br />
<br />
</p>
<blockquote class="wp-block-quote is-style-default has-light-grey-background-color has-background is-layout-flow wp-block-quote-is-layout-flow"><p>
<p>自分が必要で大切な存在であることを実感するためのものを自分で作らなくてはならなくなりました。そのひとつが家族で、もうひとつが職業です。自分は仕事をしているから、社会の中で必要とされているという感覚を得ることができますし、自分には家族がいて、家族から自分は必要とされ、自分を大切にしてくれる、という家族が重要な存在になってきたのです。<br><strong>社会学者 山田昌弘</strong></p>
</p></blockquote>
<p>
<br />
<br />
<br />
<p>この映画の特色といって差し支えないと思うが、このエンディングの様に、映画の後半になって印象的なシーンが増えていき、思わず気をとられてしまう瞬間がある。考えろと言われているのに同時に思考停止も強いてくる。その狭間に立たされて、気持ちが揺らぎまくるのだ。</p>
<br />
<br />
<br />
<h2 class="wp-block-heading"><span id="toc9">鑑賞後期(余談)</span></h2>
<br />
<br />
<br />
<figure class="wp-block-image aligncenter size-full"><img loading="lazy" decoding="async" width="640" height="427" src="https://kenyu.red/wp-content/uploads/2024/10/architecture-3225214_640.jpg" alt="写真は映画本編とは関係がありません。" class="wp-image-6661" srcset="https://kenyu.red/wp-content/uploads/2024/10/architecture-3225214_640.jpg 640w, https://kenyu.red/wp-content/uploads/2024/10/architecture-3225214_640-300x200.jpg 300w" sizes="(max-width: 640px) 100vw, 640px" /><figcaption class="wp-element-caption">写真は映画本編とは関係がありません。</figcaption></figure><br />
<br />
<br />
<br />
<h3 class="wp-block-heading"><span id="toc10">是枝これえだ監督作品は、なぜカンヌ映画祭で評価を受けるのか</span></h3>
<br />
<br />
<br />
<p>ベイビーブローカーに限らず、是枝監督作品はフランスのカンヌ映画祭でなぜ高い評価を受けるのか、そのあたりも考察してみたい。しかし、これは何かの文献を調べたり過去のデータから検証したものではない、あくまで個人の勝手な妄想程度に思ってもらえるとありがたい。<br>さて、やはりここでも、比較対象を入れて考えてみたい、ここでは北野(たけし)監督作品との比較で説明してみたい。</p>
<br />
<br />
<br />
<h3 class="wp-block-heading"><span id="toc11">北野作品の特色との比較</span></h3>
<br />
<br />
<br />
<p>北野監督作品はヴェネチア映画祭では非常に評価が高いが、カンヌでは今一つである。<br>それは何故なのか？ 北野作品は数本しか鑑賞したことがないので、筆者の勝手な思い込みで書いている部分もあると思うが、その点はご容赦いただきたい。<br>北野作品は何か問いかけがあって、それについて考えさせられる作品というよりは、感情が、良い意味でも悪い意味でも揺れ動かされる、それが特徴といえるのではないだろうか。北野監督作品を鑑賞した後には、どのタイプの映画を見ても程度の差はあれ、何かゾワゾワとした気持ちになるのだ。これは北野映画は、やや<ruby>俯瞰<rt>ふかん</rt></ruby>した状態で鑑賞するということが出来ず、完全に没入させられ、北野映画ワールドというローラーコースターに乗せられている状態になるからであろう。それに対して是枝作品は、これまでも散々述べてきたように、鑑賞者に感じさせるだけではなく、考えさせようとするタイプの映画で、この「考えさせる」という特徴はカンヌ映画祭で、やはり人気のある河瀬監督(代表作：映画あん等）にも同じことが当てはまるのではないだろうか。</p>
<br />
<br />
<br />
<h3 class="wp-block-heading"><span id="toc12">印象的か？それとも象徴的か？</span></h3>
<br />
<br />
<br />
<p>絵画に例えるならば、北野作品はルノアールやモネといった「印象主義」の絵画。光が織り成す一瞬の輝きをキャンパスに描きとり、絵の題材とか、絵の中の建物の意味とか、そういったものは関係なく、美しいと思った瞬間の光の印象をただただ描きとるというものが印象主義。鑑賞者は、その美しさや、その光景に感傷的に浸るのだ。<br>それに対して是枝作品は、モローやクリムトの「象徴主義」の絵画ではないかと思う。<br>こちらは画題や登場人物が象徴的に描かれていて、鑑賞者の想像力を掻き立てる。このポーズの意味は？なぜあそこに時計が描かれているのか？この絵は一体何を言いたいのか？考えはとめどもなく続く。</p>
<br />
<br />
<br />
<h3 class="wp-block-heading"><span id="toc13">カンヌの評価　フランス人の気質</span></h3>
<br />
<br />
<br />
<p>結論として、何かを「考える」作品がカンヌでは評価される傾向にあるということ。もう少し具体的に言えば、現代社会を捉えた視点と、その国独自の文化、そういったものがしっかりと汲み取られ融合した作品、かつ、しっかりとしたテーマ性があり、それについて考えさせられるような作りになっている作品、そういった映画がカンヌでは高い評価を受けているのであろう。<br>ドライブマイカー」のカンヌ映画祭での評価を見ても、それはよくわかる。（ドライブマイカーは脚本賞ほか、国際映画批評家連盟賞、AFCAE賞、エキュメニカル審査員賞という3つの独立賞も受賞し、計4冠に輝いている）</p>
<br />
<br />
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<div class="wp-block-cocoon-blocks-blogcard blogcard-type bct-together">

<a href="https://kenyu.red/archives/6577.html" title="映画『ドライブ・マイ・カー』の余韻(よいん)　ラストの意味にこめられたものとは？(ネタバレ注意)" class="blogcard-wrap internal-blogcard-wrap a-wrap cf"><div class="blogcard internal-blogcard ib-left cf"><div class="blogcard-label internal-blogcard-label"><span class="fa"></span></div><figure class="blogcard-thumbnail internal-blogcard-thumbnail"><img loading="lazy" decoding="async" width="160" height="90" src="https://kenyu.red/wp-content/uploads/2024/10/amber-kipp-Jq-pDDNpJeM-unsplash-160x90.jpg" class="blogcard-thumb-image internal-blogcard-thumb-image wp-post-image" alt="" srcset="https://kenyu.red/wp-content/uploads/2024/10/amber-kipp-Jq-pDDNpJeM-unsplash-160x90.jpg 160w, https://kenyu.red/wp-content/uploads/2024/10/amber-kipp-Jq-pDDNpJeM-unsplash-120x68.jpg 120w, https://kenyu.red/wp-content/uploads/2024/10/amber-kipp-Jq-pDDNpJeM-unsplash-320x180.jpg 320w" sizes="(max-width: 160px) 100vw, 160px" /></figure><div class="blogcard-content internal-blogcard-content"><div class="blogcard-title internal-blogcard-title">映画『ドライブ・マイ・カー』の余韻(よいん)　ラストの意味にこめられたものとは？(ネタバレ注意)</div><div class="blogcard-snippet internal-blogcard-snippet">『ドライブマイカー』 第74回カンヌ映画祭で四冠、更には94回アカデミー賞でも国際長編映画賞を受賞した村上春樹の同名の小説を元に作られた名作映画。『絆』や『仲間』といった言葉が、やや簡単に使われている様に感じる現代、本作は、改めて人が繋がっていくという事の意味、そして言葉だけではない対話について考えさせられる作品です。</div></div><div class="blogcard-footer internal-blogcard-footer cf"><div class="blogcard-site internal-blogcard-site"><div class="blogcard-favicon internal-blogcard-favicon"><img loading="lazy" decoding="async" src="https://www.google.com/s2/favicons?domain=https://kenyu.red" alt="" class="blogcard-favicon-image internal-blogcard-favicon-image" width="16" height="16" /></div><div class="blogcard-domain internal-blogcard-domain">kenyu.red</div></div><div class="blogcard-date internal-blogcard-date"><div class="blogcard-post-date internal-blogcard-post-date">2024.10.09</div></div></div></div></a><br />
</div>
<br />
<br />
<br />
<p>カンヌ映画祭で受賞した作品を見るたびに、フランス人は考えながら映画を鑑賞することに長けた人種なのではなかろうかと思えてならない。これも、もちろん勝手な思い込みとも言えるが、一応、それなりの根拠もある。フランス人は幼少の頃から授業に哲学がある、それは日本の道徳の授業とはまるで違っていて、一方的に価値観を押し付けるものではない。<br>自分で考えて自分で答えを導き出すということを強く求められる授業だ。逆に言えば、考えることが出来ないということは、理性・知性を持たない人間であり、それは躾けられた犬よりも下等とされる（実際、犬は入店できても子供不可の店は多いと聞く）。<br>フランスの多くの人々が、幼少期から考えるクセのようなものが身についているので、自然とそういう作品が評価される土壌があるのではないだろうか。<br>先生が教え、生徒が教わるだけの一方向の教育で育ってしまった我々日本人には、カンヌ受賞の作品は、なかなか「理解しがたいもの」となってしまっているのかもしれない。</p>
<br />
<br />
<br />
<h3 class="wp-block-heading"><span id="toc14">好き嫌いの先にあるもの</span></h3>
<br />
<br />
<br />
<p>この映画は、シリアスな内容で、様々な感情や考えを浮かびあがらせる映画でありながら、個人的な印象としては、場面ごとの<ruby>余韻<rt>よいん</rt></ruby>が少なすぎるように思える。ロードムービーでありながらボーっとさせてもらえず、<ruby>狭間<rt>はざま</rt></ruby>に立たされて考え続けさせられるということは先にも述べたとおり。映画の内容にフック(引っ掛かり)が多くあり、いつまでもそれが頭に残り、映画が進むにつれ、メモリの容量を占めて動作が重くなっていくパソコンの様に<ruby>疲弊<rt>ひへい</rt></ruby>していくのだ。129分間という、それほど長くないこの映画が、まるで3時間以上に感じたのは、そのあたりにあるのではないかと感じている。<br><br>このベイビーブローカーという映画を料理に例えると、ラーメン＋トッピング全部乗せ、ニンニクマシマシで…という感じ、それが抜群に美味しければお腹いっぱいでも、何とかなるのだが、何か余計なスパイスが入った様な違和感があり、鑑賞後もそれがずっと残るため、やや食傷気味である。ただ、これは、その料理が好みか、そうでないかの問題であって、料理自体に問題があるとは言い難い。あるいは、この映画をたった一度見ただけで理解できている、と思っている事自体が間違っているのかもしれない。トッピング全部乗せのマシマシなのは、何度も鑑賞しても、味変できる要素をそれだけ持っている、とも言えなくはない。</p>
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	</item>
		<item>
		<title>映画『イニシェリン島の精霊』の余韻(よいん) この奇妙な映画を考察(ネタバレあり)</title>
		<link>https://kenyu.red/archives/6604.html</link>
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		<dc:creator><![CDATA[kenken]]></dc:creator>
		<pubDate>Sun, 13 Oct 2024 08:37:25 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[ギリシャ神話･哲学]]></category>
		<category><![CDATA[教養・趣味・娯楽]]></category>
		<category><![CDATA[映画]]></category>
		<category><![CDATA[映画考察]]></category>
		<category><![CDATA[イニシェリン島の精霊]]></category>
		<category><![CDATA[友情]]></category>
		<category><![CDATA[戦争]]></category>
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					<description><![CDATA[<p>この記事は映画を鑑賞した方を対象としています。未鑑賞の方にとってはネタバレとなる内容もありますので、ご注意ください。 本編において、映画のあらすじ紹介や、登場人物の俳優の写真等の掲載はしていませんので、そういったものをお [&#8230;]</p>
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										<content:encoded><![CDATA[<p>
<br />
<p class="is-style-memo-box has-box-style"><span class="bold-blue">この記事は映画を鑑賞した方を対象としています。未鑑賞の方にとってはネタバレとなる内容もありますので、ご注意ください。</span></p>
<br />
<br />
<br />
<p class="is-style-clip-box has-box-style">本編において、映画のあらすじ紹介や、登場人物の俳優の写真等の掲載はしていませんので、そういったものをお知りになりたい場合には、下記、公式ホームページを、ご参照ください。<br><span class="fz-12px"><a rel="noopener" target="_blank" href="https://www.20thcenturystudios.jp/movies/banshees-of-inisherin" title=""><strong>映画『イニシェリン島の精霊』公式サイト</strong><span class="fa fa-link external-icon anchor-icon"></span></a></span></p>
<br />
<br />
<br />

  <div id="toc" class="toc tnt-number toc-center tnt-number border-element"><input type="checkbox" class="toc-checkbox" id="toc-checkbox-6" checked><label class="toc-title" for="toc-checkbox-6">目次</label>
    <div class="toc-content">
    <ol class="toc-list open"><li><a href="#toc1" tabindex="0">寄る辺ない感情</a><ol><li><a href="#toc2" tabindex="0">安易にラベリングさせない映画</a></li><li><a href="#toc3" tabindex="0">寄る辺なさを生み出す効果</a></li></ol></li><li><a href="#toc4" tabindex="0">哲学的な問いに溢あふれた映画</a><ol><li><a href="#toc5" tabindex="0">優しさとは？</a></li><li><a href="#toc6" tabindex="0">映画は何も答えない</a></li></ol></li><li><a href="#toc7" tabindex="0">能楽</a></li><li><a href="#toc8" tabindex="0">反戦映画としてのイニシェリン島の精霊</a></li></ol>
    </div>
  </div>

<h2 class="wp-block-heading has-text-align-left"><span id="toc1">寄る辺ない感情</span></h2>
<br />
<br />
<br />
<p>この映画は、見終わった後、何とも言えない「モヤモヤ」が<ruby>余韻<rt>よいん</rt></ruby>となって残る。<br>一体全体何が言いたいのか？監督が伝えたいメッセージは何なのか？そんな寄る辺なさを抱いたままの状態で放り出される感覚である。その寄る辺なさは「この映画は、こういう映画」というレッテルを貼る行為(ラベリング)が出来ないことへの不安と言っても差し支えないように思う。そう「未分類」や「未確認」といった存在は極端に人を不安に陥れるのだ。既知のどのカテゴリーにも収まらない様な映画は、それ自体が不安な存在であり、その映画が人の不安を<ruby>煽<rt>あお</rt></ruby>るような内容であればあるほど、寄る辺ない感情が<ruby>沸<rt>わ</rt></ruby>きだすことは、ごく自然な事なのだと思う。</p>
<br />
<br />
<br />
<figure class="wp-block-image aligncenter size-full"><img loading="lazy" decoding="async" width="780" height="520" src="https://kenyu.red/wp-content/uploads/2024/10/osman-rana-Oi1fJwi35oI-unsplash.jpg" alt="" class="wp-image-6636" srcset="https://kenyu.red/wp-content/uploads/2024/10/osman-rana-Oi1fJwi35oI-unsplash.jpg 780w, https://kenyu.red/wp-content/uploads/2024/10/osman-rana-Oi1fJwi35oI-unsplash-300x200.jpg 300w, https://kenyu.red/wp-content/uploads/2024/10/osman-rana-Oi1fJwi35oI-unsplash-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 780px) 100vw, 780px" /><figcaption class="wp-element-caption">写真は映画本編とは関係がありません</figcaption></figure><br />
<br />
<br />
<br />
<h3 class="wp-block-heading"><span id="toc2">安易にラベリングさせない映画</span></h3>
<br />
<br />
<br />
<p>さて、「イニシェリン島の精霊」を鑑賞中、私はこれをどのようにラベリングしていたかと思い返せば、これは、人間の狂気を描いた「サスペンス」だと受け止めていた。だが、見終わる頃には、そのレッテルはあっけなく<ruby>剥<rt>は</rt></ruby>がれ落ちていた。心の中に残る「モヤモヤ」、そして何とも言えない「寄る辺なさ」が、そのラベリングでは<ruby>払拭<rt>ふっしょく</rt></ruby>できなかったからである。<br>なぜなのか？ 答えは簡単である、登場人物があまりにも<ruby>愚<rt>おろ</rt></ruby>かで<ruby>滑稽<rt>こっけい</rt></ruby>だったのだ。<ruby>滑稽<rt>こっけい</rt></ruby>というと「男はつらいよ」の寅さんや、チャップリンが頭に浮かぶが、これらのキャラクターが登場する映画といえば「喜劇」である。<ruby>滑稽<rt>こっけい</rt></ruby>さというのは喜劇の要素を強く帯びることになる。つまり、この映画は不安感・<ruby>陰鬱<rt>いんうつ</rt></ruby>な気分と同時に、喜劇の様な<ruby>滑稽<rt>こっけい</rt></ruby>さも感じさせる映画であり、そのことが、私に安易なラベリングを許さず、モヤモヤとした寄る辺ない感情を抱かせ続けることになったのだ。それでも、あえてジャンルを特定するとなれば「ブラックコメディ」ということになるのかもしれない、しかしながら、一般的なブラックコメディは、もっと風刺が効いていて、何かを痛烈に批判するなどメッセージ性が高いものが多い。それに対し、この映画は風刺として受け止めた箇所はあるものの、それを伝えるためだけの映画とは、とても思えない。</p>
<br />
<br />
<br />
<h3 class="wp-block-heading has-text-align-left"><span id="toc3">寄る辺なさを生み出す効果</span></h3>
<br />
<br />
<br />
<p>少し具体例を挙げて、この映画の「寄る辺なさ」に迫ってみたい。<br>印象的なのは、まず、あのテーマソング的に流れるBGMである。耳に残る３拍子の曲で、使用楽器はハープ、鉄琴？マリンバ？といったもの。3拍子は哀愁やリラックス効果をもたらすと言われており、使用楽器もリラクゼーション曲に使われることが多いものである。それらが、本作では哀愁も漂わせずリラックスもさせることはない、逆に少し人を不安にさせる様な曲に使われている。そのためか落ち着くようで落ち着かない、なんとも<ruby>拠<rt>よ</rt></ruby>り所のない気持ちにさせられていく。<br>不安を作り出す要素は他にもある、日が差し虹が出ている美しい港町が映し出され、挨拶をしながら笑顔で揚々とその中を歩く主人公パードリックの描写から、この物語は始まる。音楽はやや悲し気ではあるが画面のトーンは明るい。それが、パードリックの心の中に暗雲が立ち込めるのと呼応するかの様に、夜や屋内のシーンが多くなり、昼間の屋外であっても常に<ruby>曇天<rt>どんてん</rt></ruby>であり全体的に暗いトーンの画面が増えていき、鑑賞者もだんだん<ruby>陰鬱<rt>いんうつ</rt></ruby>な気分に引き込まれてしまう。</p>
<br />
<br />
<br />
<figure class="wp-block-image aligncenter size-full"><img loading="lazy" decoding="async" width="640" height="427" src="https://kenyu.red/wp-content/uploads/2024/10/etretat-7391013_640.jpg" alt="" class="wp-image-6640" srcset="https://kenyu.red/wp-content/uploads/2024/10/etretat-7391013_640.jpg 640w, https://kenyu.red/wp-content/uploads/2024/10/etretat-7391013_640-300x200.jpg 300w" sizes="(max-width: 640px) 100vw, 640px" /><figcaption class="wp-element-caption">写真は映画本編とは関係がありません</figcaption></figure><br />
<br />
<br />
<br />
<p>しかし、これらは、あくまで映画的な効果の一部であり、本質的な部分で「寄る辺なさ」を作り出しているのは、やはり登場人物達であろう。この映画には、観客の心を<ruby>掴<rt>つか</rt></ruby>んで離さないようなヒーローやヒロイン、つまり人間的な情にあふれ、人格者で正しい方向に導く聖人の様な人物や、ビルドゥングスロマンに代表されるような成長する人物などは、一人も出てこない。つまり、映画のメッセージを伝える様な役割を担うキャラクターが皆無なのである。パードリックもコルムも、最終的にやることが<ruby>荒唐無稽<rt>こうとうむけい</rt></ruby>(指切り、放火)で鑑賞者はどちらにも感情移入が出来ず、どちらの味方にもなれない。かといって、それらを<ruby>傍観<rt>ぼうかん</rt></ruby>して楽しむこともできない。<br>一見、しっかり者で知識人の様に描かれているパードリックの妹シボーンも、理性よりも感情に振り回され、怒鳴ったりわめいたりしているシーンが多く賢人然とした態度には程遠い。ドミニク青年は愚か者の象徴の様なキャラクター、それ以外の登場人物も、事なかれ主義的なパブのマスター、ゴシップ好きの郵便局兼小売店のおばさんと、ろくなものではない。極めつけは『神父』と『警官』。本来であれば、島民の心の支え、<ruby>安寧<rt>あんねい</rt></ruby>をもらたすべき立場にあるにも関わらず、まるで愚の骨頂の様な描写のされかたである。</p>
<br />
<br />
<br />
<h2 class="wp-block-heading"><span id="toc4">哲学的な問いに溢あふれた映画</span></h2>
<br />
<br />
<br />
<p>では、そんな寄る辺ない映画を２時間弱に渡って見続けさせられるのだから、さぞ退屈な映画かと言えば、そんなことはない。なぜならパードリックやコルムの価値観がはっきりしていて、その争点が話の筋となって展回していくからである。「人生にとって、人間にとって一番大切なことは何なのか？」「人と人が<ruby>繋<rt>つな</rt></ruby>がるということは、どういうことなのか？」といった普遍的かつ哲学的なテーマが核となっているので、誰しもが、それについてつい考えてしまうような親和性の高い物語でもあるのだ。</p>
<br />
<br />
<br />
<h3 class="wp-block-heading"><span id="toc5">優しさとは？</span></h3>
<br />
<br />
<br />
<p>「芸術家は何か後世に残すべき使命がある」という信念を持つコルムに、「人への優しさが最も大事」と主張するパードリック。互いに歩み寄りはないが、映画の鑑賞者は、はたと気づかされる、この映画で最も優しい人物として描かれているのは、実はコルムであることを… そして、そんなコルムも映画の最後では「愛犬」をかばってくれたパードリックの優しさに対して感謝している。だが、優しさなど50年後に残るものではないのだ…とその価値を否定したのもコルムだ。『優しさ』とは一体何なのか、ここでも、また新たな哲学的な問いが現れてくる。<br><br>この映画を後から、様々な視点で振り返ると、疑問や問いは、とめどもなく<ruby>溢<rt>あふ</rt></ruby>れ出てくる。<br>パードリックが言うようにシボーンは本当に優しい妹なのか？ 彼女は単なるブラザーコンプレックスで兄に依存しているだけなのではないのか…。<br>シボーンが言う通りパードリックは本当に「いい人」なのか？ ドミニクと付き合っているのは、自分が優位に立てる唯一の人物だからだけなのではないのか…。<br>ドミニクは本当にただの愚か者なのか？ フランス語を引用したりできる賢さも、ズルさを嫌う<ruby>無垢<rt>むく</rt></ruby>で純粋な部分も持ち合わせている。狭い島で人の顔ばかり<ruby>伺<rt>うかが</rt></ruby>って生きている他の人とは一線を画して自分の純粋な想いで行動しているのは、実はドミニクとコルムだけではないのか…。</p>
<br />
<br />
<br />
<h3 class="wp-block-heading"><span id="toc6">映画は何も答えない</span></h3>
<br />
<br />
<br />
<p>こういったことに、この映画は一切回答を示さない。<br>この映画はひたすら問いかけをしてくるだけの映画なのである。いや、映画が問いかけるのではなく実は自分が勝手に問いかけをしているのである。この映画は、観る人その人の経験や想いなどよって、その人自身の哲学的テーマが浮き彫りにされ、それについて<ruby>否<rt>いや</rt></ruby>が<ruby>応<rt>おう</rt></ruby>でも考えさせられるような仕掛けがされている、まるで鏡の様な映画なのであろう。答えがあるとすれば、それは鑑賞者自身の中にあるのである。</p>
<br />
<br />
<br />
<figure class="wp-block-image aligncenter size-full"><img loading="lazy" decoding="async" width="640" height="427" src="https://kenyu.red/wp-content/uploads/2024/10/light-4697979_640.jpg" alt="" class="wp-image-6641" srcset="https://kenyu.red/wp-content/uploads/2024/10/light-4697979_640.jpg 640w, https://kenyu.red/wp-content/uploads/2024/10/light-4697979_640-300x200.jpg 300w" sizes="(max-width: 640px) 100vw, 640px" /><figcaption class="wp-element-caption">写真は映画本編とは関係がありません</figcaption></figure><br />
<br />
<br />
<br />
<h2 class="wp-block-heading"><span id="toc7">能楽</span></h2>
<br />
<br />
<br />
<p>この映画の様に明確な答えやメッセージを出さずに、全ては観る者次第という演劇が日本に存在する。それが600年以上の伝統芸能で世界無形文化遺産にも指定されている「能楽」である。<br>能楽では、シテと呼ばれる主役が能面をかけ、神や鬼、冥界の者などを演じる。見ている人はあの世のことなのか現実のことなのか曖昧な世界に引きずりこまれていく。そして、能楽が目指すものは決して観客が「意味を理解する」ということではなく「何かを感じる」ことなのである。<br>唐突に「能楽」の話をしたのには実は理由がある、この映画では、コルムの部屋にぶら下げられている能面をパードリックが顔に当てるというシーンがあり、そのシーンの後に二人の対立が描かれていく。また、火事のシーンでは、その能面が燃えていく様が印象的に映し出された後、二人の浜辺のラストシーンへと続いていく。<br>これは明らかに監督が意図してそうさせているのであって、恐らく映画というフィクションの世界と、現実世界の堺を曖昧にする意図として、能面を象徴的に描いているのではないかと勝手に想像している。我々はこの能楽的な映画に、困惑しながらも何かを感じとらされているはずなのだ。</p>
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<br />
<h2 class="wp-block-heading"><span id="toc8">反戦映画としてのイニシェリン島の精霊</span></h2>
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<br />
<br />
<p>この映画を見て唯一監督のメッセージ性を感じたのは「戦争に対して鈍感になるな」ということ。<br>「映画の主人公パードリックとコルムの<ruby>仲違<rt>なかたが</rt></ruby>い」と「アイルランドの内戦(IRAと自由主義国)」は明らかにリンクして語られている。従って、お互いの信条や生き方の違いが個人レベルでは喧嘩だが、集団の場合それが戦争になるということとして描かれている。だが、喧嘩(個人)＝戦争（集団)という単純な図式は成り立たないというメッセージが、この映画には含まれていて、それを象徴的に描いたのが「指切り」と「放火」という行為ではないかと考えられる。<br>つまり、集団で行われる戦争という行為を、個人レベルで当てはめた場合、ただの喧嘩レベルではなく、「指切り」や「放火」といった明らかに<ruby>常軌<rt>じょうき</rt></ruby>を<ruby>逸<rt>いっ</rt></ruby>した行為を伴う喧嘩とみなしているのではないかと思えるのだ。現実世界に目を向ければ、世界中のどこかで戦争が起きている、そうした問題もイニシェリン島と同じで対岸の火事であり、いつもの出来事になり下げてしまい、戦争に対して鈍感になってしまってはいないだろうか？<br>人間の思い通りには物事は進まない、それを戦争や争</p>
<br />
<br />
<br />
<p>いで解決することは非常に愚かなこと。そして戦争に巻き込まれ犠牲になるのは、いつも弱きものたち。この映画でも争いに直接関係のないロバのジェニーが巻き添えとなってしまっている。<br /><br />この映画は様々なとらえ方ができるが、反戦映画という一面も含め、『人間の愚かさ』を取り上げた映画で、それは鑑賞している自分に向かっても投げかけられているように感じてならない。そして次の言葉が頭に浮かんで離れません。</p>
<br />
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</p>
<blockquote class="wp-block-quote is-style-default has-light-grey-background-color has-background is-layout-flow wp-block-quote-is-layout-flow"><p>
<p><strong><span class="fz-12px"><span class="fz-16px"><span class="fz-20px"><span class="fz-18px">「人間の愚かさをけっして過小評価してはならない」<br></span></span></span></span></strong>ユヴァル・ノア・ハラリ<br><span class="fz-12px">引用元：著書 『21 Lessons』より</span></p>
</p></blockquote>
<p>
<br />
<br />
<br />
<p>『サピエンス全史』の著書で、イスラエルの歴史学者ユヴァル・ノア・ハラリが、著書21 Lessonsの中で、こう語っている。まさに、この言葉と共に噛みしめたい、そんな映画である。</p>
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		<title>『実存主義』映画「ブレードランナー」を使って、このサルトルの考えを簡単に解説</title>
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		<dc:creator><![CDATA[kenken]]></dc:creator>
		<pubDate>Thu, 15 Apr 2021 11:14:53 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[ギリシャ神話･哲学]]></category>
		<category><![CDATA[教養・趣味・娯楽]]></category>
		<category><![CDATA[サルトル]]></category>
		<category><![CDATA[ブレードランナー]]></category>
		<category><![CDATA[実存主義]]></category>
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					<description><![CDATA[<p>『実存主義(じつぞんしゅぎ）』という言葉を聞いたことがありますか？「じつぞん…」ちょっと耳慣れない言葉かもしれません。これは哲学で語られる主義で、複数の哲学者が実存主義について、その考えを残していますが、ここでは、20世 [&#8230;]</p>
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										<content:encoded><![CDATA[<p>
<br />
<p>『実存主義(じつぞんしゅぎ）』という言葉を聞いたことがありますか？<br />「じつぞん…」ちょっと耳慣れない言葉かもしれません。<br /><br />これは哲学で語られる主義で、複数の哲学者が実存主義について、その考えを残していますが、ここでは、20世紀の哲学の巨匠ジャン＝ポール・サルトルの提唱する『実存主義』について、解説をしたいと思います。<br /><br />ただ、サルトルの『実存主義』を説明するだけなら、他のサイトや解りやすく図解などで説明されている書籍が、すでにいっぱいあるので、ここでは、映画「ブレードランナー」を引用しながら、なるだけ解りやすく説明したいと思います。<br /><br /></p>

  <div id="toc" class="toc tnt-number toc-center tnt-number border-element"><input type="checkbox" class="toc-checkbox" id="toc-checkbox-8" checked><label class="toc-title" for="toc-checkbox-8">目次</label>
    <div class="toc-content">
    <ol class="toc-list open"><li><a href="#toc1" tabindex="0"> 映画「ブレードランナー」とは一体どんな話？</a></li><li><a href="#toc2" tabindex="0"> 「実存は本質に先立つ」（ジャン＝ポール・サルトル）</a></li><li><a href="#toc3" tabindex="0"> レプリカントは実存が本質に先立つ存在なのか？</a></li><li><a href="#toc4" tabindex="0"> 世界的な視野でみたら、限定的なサルトルの実存主義</a></li><li><a href="#toc5" tabindex="0"> あとがき</a></li></ol>
    </div>
  </div>

<h2 style="border-bottom: 1px solid #426579; border-left: 10px solid #426579; padding: 7px;"><span id="toc1"> 映画「ブレードランナー」とは一体どんな話？</span></h2>
<p>『実存主義』の話を始める前に、引用する映画「ブレードランナー」について簡単に解説をしておきたいと思います。<br /><br />まだ、映画を見たことが無いという人のために、ネタバレぎりぎりの説明にとどめておきます。<br /><br />「ブレードランナー」は、地球の未来を描いたSFです。<br />ブレードランナーは、エイリアンなどで知られる、リドリースコット監督のものと、その続編という形で、ドゥニ・ビルヌーブ監督の「ブレードランナー 2049」があります。<br /><br />ここには、人間以外に『レプリカント』と呼ばれる人造の人間(男女）たちが登場します。<br />このレプリカントは、一見、人間と見分けがつきませんが、レプリカントは当初寿命が短く設計されていて、戦士や愛玩用など目的別に作られていました。<br />しかしながら、設計した人間の想像を超え、レプリカントは自我が芽生えていくため、人間との扱いの違いによる葛藤からドラマが生まれていくという話です。<br /><br />まだ見たことが無い方は、是非、一度ご覧になってください。<br /><br />さて、それでは、サルトルの『実存主義』の説明に入りたいと思います。</p>
<h2 style="border-bottom: 1px solid #426579; border-left: 10px solid #426579; padding: 7px;"><span id="toc2"> 「実存は本質に先立つ」（ジャン＝ポール・サルトル）</span></h2>
<p>哲学らしい、ちょっと小難しい言い回しですが、要は次のとおりです。<br /><br />「実存」というのは、『人間の存在』つまり、私たちのことです。<br />そして、「本質」というのは、その物であることの条件といった意味です。例えば、ノコギリは木や板などを切るために作られていますが、「切る」というのが、ノコギリの本質です。コップは飲み物やうがい用といった液体を中に入れる目的で作られています。<br />「液体を中に入れる」というのが、コップの本質です。<br /><br />では、サルトルがいう「実存は本質に先立つ」とは、どういうことなのか？<br /><br />先にあげた、ノコギリも、コップも、それぞれ切るため、そして液体を入れるためという本質のために作られています。<br />つまり、本質があって、はじめてノコギリもコップも存在しているということになります。<br /><br />それはそうですよね、切ることができないノコギリ、液体を入れられないコップなどは、作り出す理由、つまり存在理由がありません。<br /><a href="https://kenyu.red/wp-content/uploads/2021/04/abcbdb90dd24125362b8c267d48850d4.png" rel="lightbox[5892]"><img loading="lazy" decoding="async" src="https://kenyu.red/wp-content/uploads/2021/04/abcbdb90dd24125362b8c267d48850d4.png" alt="" width="1265" height="518" class="alignnone size-full wp-image-5905" srcset="https://kenyu.red/wp-content/uploads/2021/04/abcbdb90dd24125362b8c267d48850d4.png 1265w, https://kenyu.red/wp-content/uploads/2021/04/abcbdb90dd24125362b8c267d48850d4-300x123.png 300w, https://kenyu.red/wp-content/uploads/2021/04/abcbdb90dd24125362b8c267d48850d4-1024x419.png 1024w, https://kenyu.red/wp-content/uploads/2021/04/abcbdb90dd24125362b8c267d48850d4-768x314.png 768w" sizes="(max-width: 1265px) 100vw, 1265px" /></a><br /><br />それに対して、人間の存在(実存）はそれらとは違うということを、サルトルは言っているのです。<br /><br />人間は、本質が決まって生まれてくるのではなく、生まれてから本質を自らの意思によって作っていく存在です。<br />つまり、生まれて経験や知識、知恵をみにつけていって、「医者になる」「学者になる」「運転手になる」といった本質を獲得していく存在ということです。</p>
<p><a href="https://kenyu.red/wp-content/uploads/2021/04/565b571fd3502a5b4b82fac81b7095c2.jpg" rel="lightbox[5892]"><img loading="lazy" decoding="async" src="https://kenyu.red/wp-content/uploads/2021/04/565b571fd3502a5b4b82fac81b7095c2.jpg" alt="" width="1265" height="520" class="alignnone size-full wp-image-5906" srcset="https://kenyu.red/wp-content/uploads/2021/04/565b571fd3502a5b4b82fac81b7095c2.jpg 1265w, https://kenyu.red/wp-content/uploads/2021/04/565b571fd3502a5b4b82fac81b7095c2-300x123.jpg 300w, https://kenyu.red/wp-content/uploads/2021/04/565b571fd3502a5b4b82fac81b7095c2-1024x421.jpg 1024w, https://kenyu.red/wp-content/uploads/2021/04/565b571fd3502a5b4b82fac81b7095c2-768x316.jpg 768w" sizes="(max-width: 1265px) 100vw, 1265px" /></a><br /><br />サルトルは次の様ないいかたもしています。<br />「人間は最初は何者でもないが、人間は後から自分で人間になるのだ」<br /><br /> これは、逆に言えば人間は、他の物と違って、自分で人間になる努力をしていかなければならないということにもなります。<br /><br />さて、ここで映画「ブレードランナー」の話で、この実存主義を見ていきましょう。</p>
<h2 style="border-bottom: 1px solid #426579; border-left: 10px solid #426579; padding: 7px;"><span id="toc3"> レプリカントは実存が本質に先立つ存在なのか？</span></h2>
<p>ブレードランナーで登場する、レプリカント(人造人間）たち。<br />見た目は人間と全く区別がつかないため、専門家が眼球の光彩を確認しながら、いくつかの質問をして見極めなければ判別がつかないという存在です。<br /><br />でも、このレプリカントは、戦士タイプや、愛玩用など、人間にとって都合よく作られた存在です。<br />つまり、本質(存在理由）が先にあって、あくまで、そのために作られた人間なのです。<br /><a href="https://kenyu.red/wp-content/uploads/2015/05/56d8af310ab642661e826d4d0e8ab537.png" rel="lightbox[5892]"><img loading="lazy" decoding="async" src="https://kenyu.red/wp-content/uploads/2015/05/56d8af310ab642661e826d4d0e8ab537.png" alt="" width="126" height="107" class="alignnone  wp-image-2846" srcset="https://kenyu.red/wp-content/uploads/2015/05/56d8af310ab642661e826d4d0e8ab537.png 357w, https://kenyu.red/wp-content/uploads/2015/05/56d8af310ab642661e826d4d0e8ab537-300x255.png 300w" sizes="(max-width: 126px) 100vw, 126px" /></a><br />従って、実存主義的な分類では、レプリカントはノコギリやコップなどと同じ分類で、いきなり存在して本質を求めていく人間とは、違うカテゴリーということなります。<br /><br />レプリカントは、寿命も4年間という設定がされています。<br />また、レプリカントによっては、自分がレプリカントではなく、人間だと思い込んでいる者もあって、いろいろと感情を揺さぶられ、複雑な思いにさせられる、そんな作品が「ブレードランナー」です。</p>
<p>この作品、世界的な哲学者も大好きで、よく引用されたりします。<br /><br />しかし、人間の存在(実存）は、本当に例外なく「本質」に先立っているのでしょうか？</p>
<h2 style="border-bottom: 1px solid #426579; border-left: 10px solid #426579; padding: 7px;"><span id="toc4"> 世界的な視野でみたら、限定的なサルトルの実存主義</span></h2>
<p>実は、サルトルさん、後にレヴィー・ストロースという「野生の思考」などの著書を残している、構造主義を唱えた哲学者との討論で、この実存主義について批判を受けます。<br /><br />サルトルの主張する実存主義は、西洋文明のある程度裕福な家庭で生まれた子供にしか当てはまらず、貧困を抱えるような子供は生まれた時から、何になるのか決まってしまっているような人生を歩む人達が世界には多くいるということです。<br /><br />映画「ブレードランナー」のレプリカントがやっていることは、昔であれば奴隷と言われていた人達が請け負ってきたことになります。<br /><br />日本でも、少し前までは武士の時代、士農工商があって百姓の子供は、百姓以外の選択などはなかった時代、実存主義は、ある意味で人が自分で自由に生き方を選択できる、理想主義でもあるのです。</p>
<h2 style="border-bottom: 1px solid #426579; border-left: 10px solid #426579; padding: 7px;"><span id="toc5"> あとがき</span></h2>
<div id="attachment_4316" style="width: 111px" class="wp-caption alignright"><a href="https://kenyu.red/wp-content/uploads/2015/08/084160-225x300.png" rel="lightbox[5892]"><img loading="lazy" decoding="async" aria-describedby="caption-attachment-4316" src="https://kenyu.red/wp-content/uploads/2015/08/084160-225x300.png" alt="" width="101" height="136" class=" wp-image-4316" /></a><p id="caption-attachment-4316" class="wp-caption-text">KEN</p></div><br />
<p>それにしても、実存主義というのは何だか、難しい感じの名前ですよね(笑）<br /><br />エヴァンゲリオンの綾波レイというキャラクターにもやはり実存主義を感じてしまいますよね。<br /><br />実存主義ってはまると結構、何でも実存主義で語れてしまう感じがあります（ちょっと乱暴な言い方かもしれませんが…）<br />でも、それはちょっと偏った考え方に陥ってしまうかもしれません。<br /><br />哲学に限らずなのかもしれませんが、「これだ！」といって飛びつくだけでなく、是非、様々な人の考えや思想を吟味して、様々な角度から物事を捉えることができる、そんな者にワタシハ ナリタイ…</p>
<p><br /></p>
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		<item>
		<title>『天使』の絵画　 かわいい系、美しい系、凛々しい系、そして怖い系も…！？</title>
		<link>https://kenyu.red/archives/5855.html</link>
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		<dc:creator><![CDATA[kenken]]></dc:creator>
		<pubDate>Wed, 07 Apr 2021 11:55:13 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[ギリシャ神話･哲学]]></category>
		<category><![CDATA[教養・趣味・娯楽]]></category>
		<category><![CDATA[美術･芸術]]></category>
		<category><![CDATA[アイコン]]></category>
		<category><![CDATA[イコン]]></category>
		<category><![CDATA[ガブリエル]]></category>
		<category><![CDATA[バロック]]></category>
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		<category><![CDATA[ヤコブ]]></category>
		<category><![CDATA[ルネサンス]]></category>
		<category><![CDATA[天使]]></category>
		<category><![CDATA[象徴主義]]></category>
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					<description><![CDATA[<p>天使が描かれた絵画は、多くの画家が題材としてとりあげ描かれてきています。特に宗教画が中心の中世やルネサンスなどは、多くの作品で天使が登場しています。そんな天使の絵画も、改めて『天使』という枠で切り取ると、「かわいい系」だ [&#8230;]</p>
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										<content:encoded><![CDATA[<p>
<br />
<p>天使が描かれた絵画は、多くの画家が題材としてとりあげ描かれてきています。<br /><a href="https://kenyu.red/wp-content/uploads/2021/04/Alewxandre_Cabanel_partial.jpg" rel="lightbox[5855]"><img loading="lazy" decoding="async" src="https://kenyu.red/wp-content/uploads/2021/04/Alewxandre_Cabanel_partial.jpg" alt="" width="331" height="144" class=" wp-image-5890 aligncenter" /></a><br />特に宗教画が中心の中世やルネサンスなどは、多くの作品で天使が登場しています。<br /><br />そんな天使の絵画も、改めて『天使』という枠で切り取ると、「かわいい系」だけでなく、とても美しい天使や、凛々しく、神々しい姿で描かれている天使、さらには、ちょっと怖いものまで様々な種類の天使が描かれています。<br /><br />天使は、実在する人物の肖像画や、イエス・キリストや聖母マリアなど決まったイメージがあるものとは違い、画家がある程度、自由に描きこむことができた存在だったのかもしれません。<br />そのため、この様に多くのバリエーションに富んだ天使の絵画が生まれたと考えることもできます。</p>
<p>今回は、そんな様々な『天使』の絵画について取り上げたいと思います。</p>

  <div id="toc" class="toc tnt-number toc-center tnt-number border-element"><input type="checkbox" class="toc-checkbox" id="toc-checkbox-10" checked><label class="toc-title" for="toc-checkbox-10">目次</label>
    <div class="toc-content">
    <ol class="toc-list open"><li><a href="#toc1" tabindex="0"> 宗教画(イコン)に見られる『天使』の絵画</a></li><li><a href="#toc2" tabindex="0"> ルネサンス以降にみられる「かわいい」「美しい」『天使』の絵画</a></li><li><a href="#toc3" tabindex="0"> ちょっと不気味？怖い？不思議な『天使』の絵画</a></li><li><a href="#toc4" tabindex="0"> あとがき</a></li></ol>
    </div>
  </div>

<h2 style="border-bottom: 1px solid #426579; border-left: 10px solid #426579; padding: 7px;"><span id="toc1"> 宗教画(イコン)に見られる『天使』の絵画</span></h2>
<p>まずは、この絵です。</p>
<p><a href="https://kenyu.red/wp-content/uploads/2021/04/Mikharkhangel.jpg" rel="lightbox[5855]"><img loading="lazy" decoding="async" src="https://kenyu.red/wp-content/uploads/2021/04/Mikharkhangel.jpg" alt="" width="370" height="450" class="alignnone  wp-image-5877" srcset="https://kenyu.red/wp-content/uploads/2021/04/Mikharkhangel.jpg 384w, https://kenyu.red/wp-content/uploads/2021/04/Mikharkhangel-247x300.jpg 247w" sizes="(max-width: 370px) 100vw, 370px" /></a></p>
<p>中世のヨーロッパにおいては、この様な絵画が一般的です。<br />現代の様な一般的にエンジエルと呼んでいる、かわいい子供の天使は存在しません、天使というのは、キリスト教の聖書に出てくる神の使いとしての存在でしかないため、宗教画でしか描かれない時代です。</p>
<p><a href="https://kenyu.red/wp-content/uploads/2021/03/Simon_Ushakov_Archangel_Mikhail_and_Devil.jpg" rel="lightbox[5855]"><img loading="lazy" decoding="async" src="https://kenyu.red/wp-content/uploads/2021/03/Simon_Ushakov_Archangel_Mikhail_and_Devil.jpg" alt="" width="375" height="422" class="alignnone size-full wp-image-5858" srcset="https://kenyu.red/wp-content/uploads/2021/03/Simon_Ushakov_Archangel_Mikhail_and_Devil.jpg 375w, https://kenyu.red/wp-content/uploads/2021/03/Simon_Ushakov_Archangel_Mikhail_and_Devil-267x300.jpg 267w" sizes="(max-width: 375px) 100vw, 375px" /></a><br /><br />これらの2枚の天使の絵画は、いずれも大天使ミカエルを描いたものです。<br /><br />天使は翼をもっている姿で描かれていて、それが一つの天使を指し示すモチーフとして、鑑賞者の誰しもが天使と分かるような絵画となっています。<br /><br />着ている衣装は当時の貴族の衣装が描かれているものが多く、ミカエルなどは、鎧を着けて剣を持った戦士としての姿で描かれています。<br /><br />この時代は、イコンといって絵画はあくまで礼拝で拝むための絵画として描かれていた時代です。<br /><br />神の使いでもある天使は、信仰の対象としてイエス・キリストや聖母マリアと共に、イコンにされていました。<br />（ちなみに、現在のアイコンという言葉の元が、このイコンです）<br /><br />この、ちょっと窮屈そうな体の動き、少し小首をかしげたような感じ、これがイコンの絵画の特徴の一つです。<br /><br /></p>
<h2 style="border-bottom: 1px solid #426579; border-left: 10px solid #426579; padding: 7px;"><span id="toc2"> ルネサンス以降にみられる「かわいい」「美しい」『天使』の絵画</span></h2>
<p>ルネサンスになり、写実的でギリシャ彫刻にあるような肉体的な動きの表現が出てきます。<br /><a href="https://kenyu.red/wp-content/uploads/2021/04/angel_verokkio_davinci.jpg" rel="lightbox[5855]"><img loading="lazy" decoding="async" src="https://kenyu.red/wp-content/uploads/2021/04/angel_verokkio_davinci.jpg" alt="" width="362" height="582" class="alignnone  wp-image-5874" srcset="https://kenyu.red/wp-content/uploads/2021/04/angel_verokkio_davinci.jpg 508w, https://kenyu.red/wp-content/uploads/2021/04/angel_verokkio_davinci-187x300.jpg 187w" sizes="(max-width: 362px) 100vw, 362px" /></a><br /><br />ルネサンスの巨匠、レオナルド・ダ・ヴィンチと、ダ・ヴィンチの師匠でもある、ヴェロッキオが共作で描いた天使だと言われています。<br />（手前の横顔の天使が、ダ・ヴィンチ作として伝わっています）<br /><br /><a href="https://kenyu.red/wp-content/uploads/2021/04/Rafaero_angel.jpg" rel="lightbox[5855]"><img loading="lazy" decoding="async" src="https://kenyu.red/wp-content/uploads/2021/04/Rafaero_angel.jpg" alt="" width="748" height="309" class="alignnone size-full wp-image-5876" srcset="https://kenyu.red/wp-content/uploads/2021/04/Rafaero_angel.jpg 748w, https://kenyu.red/wp-content/uploads/2021/04/Rafaero_angel-300x124.jpg 300w" sizes="(max-width: 748px) 100vw, 748px" /></a><br /><br />これは、ラファエロが描いた天使です（聖母マリア被昇天を描いた絵画の抜粋）<br />これらの天使を見ると、現代の天使のイメージとほぼ同じではないでしょうか？</p>
<p>ルネサンスになると、ラファエロやダヴィンチの絵画にあるような、子供や美少年の姿で描かれた、いわゆる「かわいい」「美しい」天使が描かれるようになっていきます。<br /><br />ルネサンスに復興したギリシャ神話のモチーフで、アフロディテ(ビーナス)と一緒に描かれることの多いエロス(キューピッド）からイメージされていると考えられます。<br /><br />更に、時代は進んでバロックになり、ルーベンスの絵画などでは、『天使』は画面を構成するデザイン的な要素して描かれているようにも思えます。<br /><br /><a href="https://kenyu.red/wp-content/uploads/2021/04/Baroque_Rubens_maria.jpg" rel="lightbox[5855]"><img loading="lazy" decoding="async" src="https://kenyu.red/wp-content/uploads/2021/04/Baroque_Rubens_maria.jpg" alt="" width="740" height="802" class="alignnone size-full wp-image-5873" srcset="https://kenyu.red/wp-content/uploads/2021/04/Baroque_Rubens_maria.jpg 740w, https://kenyu.red/wp-content/uploads/2021/04/Baroque_Rubens_maria-277x300.jpg 277w" sizes="(max-width: 740px) 100vw, 740px" /></a></p>
<p>この絵画は、バロック絵画の巨匠 ルーベンスの『聖母の被昇天』の上部を抜粋したものですが、昇天していく聖母マリアを囲み、赤ん坊の様な天使から、子供、そして少年の天使へと効果的に、取り囲ませることで、聖母マリアが特別な存在であることの神々しさ、そして、上昇していくという動きが天使を通しても感じることが出来ます。<br /><br />天使が後に、デザイン的に使用されるルーツは、このあたりにあるのではないかと思われてなりません。<br /><br /><a href="https://kenyu.red/wp-content/uploads/2021/04/Guido_Reni_031-1.jpg" rel="lightbox[5855]"><img loading="lazy" decoding="async" src="https://kenyu.red/wp-content/uploads/2021/04/Guido_Reni_031-1.jpg" alt="" width="454" height="679" class="alignnone  wp-image-5878" srcset="https://kenyu.red/wp-content/uploads/2021/04/Guido_Reni_031-1.jpg 552w, https://kenyu.red/wp-content/uploads/2021/04/Guido_Reni_031-1-200x300.jpg 200w" sizes="(max-width: 454px) 100vw, 454px" /></a><br />こちらも、バロックの画家 グイド・レーニの、大天使ミカエルの姿です。勇ましい姿勢体つきとは違い、顔は女性の様な美しさで描かれています。<br /><br />更に…<br /><a href="https://kenyu.red/wp-content/uploads/2021/04/mich_publicDomain-0004330.jpg" rel="lightbox[5855]"><img loading="lazy" decoding="async" src="https://kenyu.red/wp-content/uploads/2021/04/mich_publicDomain-0004330.jpg" alt="" width="655" height="312" class="alignnone size-full wp-image-5875" srcset="https://kenyu.red/wp-content/uploads/2021/04/mich_publicDomain-0004330.jpg 655w, https://kenyu.red/wp-content/uploads/2021/04/mich_publicDomain-0004330-300x143.jpg 300w" sizes="(max-width: 655px) 100vw, 655px" /></a><br /><br />バロックの後期の画家、ルカ・ジョルダーノの描いた、大天使ミカエルです。<br />顔や腕、指先など、まるで美しい女性の様なポーズで描かれています。<br />最初に見たイコンに描かれた大天使ミカエルとは、まるで違っていますよね。<br /><br />そして、いよいよ19世紀に入ります。<br />フランスアカデミズムの、フランスの巨匠ドミニク・アングルの新古典主義の流れをくむ画家達による、天使の絵画を見ていきましょう。</p>
<div id="attachment_5838" style="width: 447px" class="wp-caption alignnone"><a href="https://kenyu.red/wp-content/uploads/2021/03/1863_Alexandre_Cabanel_-_The_Birth_of_Venus.jpg" rel="lightbox[5855]"><img loading="lazy" decoding="async" aria-describedby="caption-attachment-5838" src="https://kenyu.red/wp-content/uploads/2021/03/1863_Alexandre_Cabanel_-_The_Birth_of_Venus.jpg" alt="" width="437" height="253" class="size-full wp-image-5838" srcset="https://kenyu.red/wp-content/uploads/2021/03/1863_Alexandre_Cabanel_-_The_Birth_of_Venus.jpg 437w, https://kenyu.red/wp-content/uploads/2021/03/1863_Alexandre_Cabanel_-_The_Birth_of_Venus-300x174.jpg 300w" sizes="(max-width: 437px) 100vw, 437px" /></a><p id="caption-attachment-5838" class="wp-caption-text">カバネル作「ヴィーナス誕生」</p></div><br />
<p>カバネルの「ヴィーナス誕生」です。<br />ヴィーナス(アフロディテ）につきものの、キューピッド(エロス）が描かれています。<br />しかし、ギリシャ神話では、キューピッドは一人のはずですが、ルーヴェンスの絵画にあったような、画面を構成するデザイン的なモチーフとして天使が描かれている流れがあって、ここでも複数の天使をモチーフとして使って、画面を構成しています。<br /><br /><a href="https://kenyu.red/wp-content/uploads/2021/04/Cupidon.jpg" rel="lightbox[5855]"><img loading="lazy" decoding="async" src="https://kenyu.red/wp-content/uploads/2021/04/Cupidon.jpg" alt="" width="403" height="727" class="alignnone  wp-image-5879" /></a></p>
<p>この絵も、やはりキューピッド(エロス）が描かれています。<br />作者はウィリアム・アドルフ・ブグローという、先ほどのカバネルと同じ時代の画家で、やはりアングルの新古典主義の流れをくむ画家です。<br />美少女と美少年を足したような、中世的な雰囲気が漂うキューピッドです。<br /><br /></p>
<h2 style="border-bottom: 1px solid #426579; border-left: 10px solid #426579; padding: 7px;"><span id="toc3"> ちょっと不気味？怖い？不思議な『天使』の絵画</span></h2>
<p><a href="https://kenyu.red/wp-content/uploads/2021/04/The_Wounded_Angel_-_Hugo_Simberg.jpg" rel="lightbox[5855]"><img loading="lazy" decoding="async" src="https://kenyu.red/wp-content/uploads/2021/04/The_Wounded_Angel_-_Hugo_Simberg.jpg" alt="" width="641" height="516" class="size-full wp-image-5884" srcset="https://kenyu.red/wp-content/uploads/2021/04/The_Wounded_Angel_-_Hugo_Simberg.jpg 641w, https://kenyu.red/wp-content/uploads/2021/04/The_Wounded_Angel_-_Hugo_Simberg-300x241.jpg 300w" sizes="(max-width: 641px) 100vw, 641px" /></a></p>
<p>最後は、少し怖い感じの天使です。<br />『傷ついた天使』という題名がついています。<br />作者は、19世紀から20世紀にかけて活躍したフィンランドの象徴主義の、ヒューゴ・シンベリです。<br /><br />目隠しされた天使が、二人の少年に連れられている姿が描かれていますが、この少年たちに連れ去られているのか？それとも、助け出されたのか？よくわからない絵画です。<br /><br /><a href="https://kenyu.red/wp-content/uploads/2021/04/Paul_Gauguin_137.jpg" rel="lightbox[5855]"><img loading="lazy" decoding="async" src="https://kenyu.red/wp-content/uploads/2021/04/Paul_Gauguin_137.jpg" alt="" width="508" height="401" class="alignnone size-full wp-image-5888" srcset="https://kenyu.red/wp-content/uploads/2021/04/Paul_Gauguin_137.jpg 508w, https://kenyu.red/wp-content/uploads/2021/04/Paul_Gauguin_137-300x237.jpg 300w" sizes="(max-width: 508px) 100vw, 508px" /></a><br /><br />最後は、有名なゴーギャンの「説教のあとの幻影」（ヤコブと天使の闘い）という名前の不思議な天使の絵です。<br /><br />題材は、旧約聖書でヤコブが、兄エサウと和解するための途上、夜中に突然何者かに襲われ一晩中格闘していたのが、実は天使ガブリエルで、これに勝利した時に、「今後はイスラエルと名乗るがよい」と祝福されたシーンを描いたものです。<br />そのシーンを牧師か神父の説教を聞いた後に幻影として現れたということなのですが、なんとも不思議な絵画です。<br /><br />すでにちょっとシュールレアリスムが入っていますよね。</p>
<h2 style="border-bottom: 1px solid #426579; border-left: 10px solid #426579; padding: 7px;"><span id="toc4"> あとがき</span></h2>
<p>今回は、天使をテーマにとりあげてみました。<br />まだまだ、多くの天使があり、堕天使ルシファーなども含めると、様々な表情の天使の絵画があります。</p>
<div id="attachment_4316" style="width: 111px" class="wp-caption alignright"><a href="https://kenyu.red/wp-content/uploads/2015/08/084160-225x300.png" rel="lightbox[5855]"><img loading="lazy" decoding="async" aria-describedby="caption-attachment-4316" src="https://kenyu.red/wp-content/uploads/2015/08/084160-225x300.png" alt="" width="101" height="136" class=" wp-image-4316" /></a><p id="caption-attachment-4316" class="wp-caption-text">KEN</p></div><br />
<p>天使、エンジェルは現代でも、デザイン的なモチーフとしてよく疲れていて、赤ちゃん関連のグッズでは必ずといっていいほど見かけますよね。<br /><br />ルネサンス、バロックでガラリと印象が変わるのが、とても興味深いですよね。<br />個人的には、イコンの天使のぎこちなさがかえって新しいような気もして、さらに宗教絵画らしくとても派手で美しい色合いがとても心地よく、最近は好きになりました。<br /><br />また、機会があれば天使の絵画シリーズ第二弾もやってみたいと思っています。<br /><br /><br /></p>
<p><br /><br /><br /></p>
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		<item>
		<title>サトゥルヌス　この異形の絵画にはどんな意味があるのか？なぜ人の心をつかむのか？</title>
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		<dc:creator><![CDATA[kenken]]></dc:creator>
		<pubDate>Wed, 03 Mar 2021 12:01:29 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[ギリシャ神話･哲学]]></category>
		<category><![CDATA[教養・趣味・娯楽]]></category>
		<category><![CDATA[美術･芸術]]></category>
		<category><![CDATA[クロノス]]></category>
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		<category><![CDATA[サターン]]></category>
		<category><![CDATA[サトゥルヌス]]></category>
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					<description><![CDATA[<p>18世紀スペインの宮廷画家フランシスコ・デ・ゴヤの、この作品をご存知でしょうか？一度見ると絶対に忘れられない、強烈な暗いタッチの絵画、そして、そのタイトル。これは、スペイン マドリードのプラド美術館に飾られている、 縦1 [&#8230;]</p>
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										<content:encoded><![CDATA[<p>
<br />
<div id="attachment_5823" style="width: 180px" class="wp-caption alignleft"><a href="https://kenyu.red/wp-content/uploads/2021/03/Francisco_de_Goya_Saturno_devorando_a_su_hijo_1819-1823.jpg" rel="lightbox[5793]"><img loading="lazy" decoding="async" aria-describedby="caption-attachment-5823" src="https://kenyu.red/wp-content/uploads/2021/03/Francisco_de_Goya_Saturno_devorando_a_su_hijo_1819-1823.jpg" alt="" width="170" height="312" class=" wp-image-5823" srcset="https://kenyu.red/wp-content/uploads/2021/03/Francisco_de_Goya_Saturno_devorando_a_su_hijo_1819-1823.jpg 416w, https://kenyu.red/wp-content/uploads/2021/03/Francisco_de_Goya_Saturno_devorando_a_su_hijo_1819-1823-164x300.jpg 164w" sizes="(max-width: 170px) 100vw, 170px" /></a><p id="caption-attachment-5823" class="wp-caption-text">我が子をくらうサトゥルヌス(ゴヤ作)</p></div><br />
<p>18世紀スペインの宮廷画家フランシスコ・デ・ゴヤの、この作品をご存知でしょうか？<br /><br />一度見ると絶対に忘れられない、強烈な暗いタッチの絵画、そして、そのタイトル。<br /><br />これは、スペイン マドリードのプラド美術館に飾られている、 縦146 × 横83 cm のサイズの油絵です。<br /><br />この強烈な絵画は、例えば実際に当時あった事件とかを元に作られたとか、そういうことではありません。<br />そもそも、人間ではないので安心してください(笑)<br /><br />題材は、ギリシャ神話に出てくる話で、サトゥルヌスというのは、その中に登場する神様です。<br /><br />日本では、普段の生活の中で、ギリシャ神話にまつわるものが無く、あまり馴染みがないかもしれませんが、ヨーロッパでは様々なところで、ギリシャ神話のモチーフが使用されています。<br />ちょっとギリシャ神話を知っている人であれば、この絵柄を見ただけで、あるいはタイトルを聞いただけでピンとくる内容なんです。<br /><br />今回は、そんなサトゥルヌスについて、なるべく分かりやすくお伝えしていきたいと思います。</p>

  <div id="toc" class="toc tnt-number toc-center tnt-number border-element"><input type="checkbox" class="toc-checkbox" id="toc-checkbox-12" checked><label class="toc-title" for="toc-checkbox-12">目次</label>
    <div class="toc-content">
    <ol class="toc-list open"><li><a href="#toc1" tabindex="0"> ギリシャ神話に登場するサトゥルヌス(クロノス）の話</a></li><li><a href="#toc2" tabindex="0">同じ題材で、オランダの巨匠ルーベンスも描いていた</a></li><li><a href="#toc3" tabindex="0">まとめ</a></li><li><a href="#toc4" tabindex="0"> あとがき</a></li></ol>
    </div>
  </div>

<h2 style="border-bottom: 1px solid #426579; border-left: 10px solid #426579; padding: 7px;"><span id="toc1"> ギリシャ神話に登場するサトゥルヌス(クロノス）の話</span></h2>
<p>もう一度、大きい画面で見てみてください。<br />鬼気迫る感じの表現がすばらしいですよね。</p>
<div id="attachment_5823" style="width: 514px" class="wp-caption aligncenter"><a href="https://kenyu.red/wp-content/uploads/2021/03/Francisco_de_Goya_Saturno_devorando_a_su_hijo_1819-1823.jpg" rel="lightbox[5793]"><img loading="lazy" decoding="async" aria-describedby="caption-attachment-5823" src="https://kenyu.red/wp-content/uploads/2021/03/Francisco_de_Goya_Saturno_devorando_a_su_hijo_1819-1823.jpg" alt="" width="504" height="924" class=" wp-image-5823" srcset="https://kenyu.red/wp-content/uploads/2021/03/Francisco_de_Goya_Saturno_devorando_a_su_hijo_1819-1823.jpg 416w, https://kenyu.red/wp-content/uploads/2021/03/Francisco_de_Goya_Saturno_devorando_a_su_hijo_1819-1823-164x300.jpg 164w" sizes="(max-width: 504px) 100vw, 504px" /></a><p id="caption-attachment-5823" class="wp-caption-text">我が子をくらうサトゥルヌス(ゴヤ作)</p></div><br />
<p>このサトゥルヌスは、ギリシャ神話でいうところのクロノスで、あのギリシャ神話の最高神ゼウスの父にあたる存在です。<br /><br />ギリシャ神話に登場する神々には、大別すると、ゼウスを中心とするオリュンポス神と、巨神族のティターン（タイタン）神とに分かれます。<br />クロノスは、この巨神族ティターン神の長なんです。</p>
<div style="padding: 0px; padding-bottom: 10px; border: solid 5px lightblue; border-radius: 20px; margin-top: 30px; margin-bottom: 30px;">
<div style="padding: 2px; border-radius: 0px; border: 3px solid lightblue; width: 200px; text-align: center; margin-top: 0px; margin-bottom: 10px; background-color: lightblue;">ギリシャ神話 クロノス </div>
<p>クロノスが父親であるウラヌスを追放し自らが長にとって代わったのですが、彼は自分が父にしたことと同じ様に、今度は自分の子供に、その座を奪われるという予言を受けたために、子供が生まれるたびに取り上げては、飲み込んでしまいました。</p>
<p>ゼウスの母であるレアは、子供が生まれると夫であるクロノスに取り上げられてしまうため、最後に産んだゼウスは隠し、産着でくるんだ石を変わりにクロノスに飲み込ませると、クレタ島で密かに育てさせました。<br /><br />やがて大きくなった、ゼウスがクロノスに対峙し、飲み込んでいた先の兄弟を吐き出させると、兄弟と力を合わせてクロノスを中心とするティターン神族を倒します。</p>
</div>
<p>ちなみに、クロノスに飲み込まれた子供は次のとおり<br />・炉の女神ヘスティア<br />・豊穣の女神デメテル<br />・結婚と出産の女神ヘラ<br />・冥界の神ハーデス<br />・海神ポセイドン</p>
<p>これらの神々は、後にオリュンポス神の中心となる神々ばかりです。</p>
<p>サトゥルヌスというなんとも読みにくい名前ですが、これはローマ神話に登場する名前です。<br />ローマ神話というのは、ギリシャ神話の話をとりこんで神々を名前で対応させて同一化をしています。</p>
<p>つまり、サトゥルヌスは、義理や神話ではクロノス、そして、サトゥルヌスの英語読みがサターンになります。<br />太陽系の惑星は、ローマ神話の英語読みで表現さています。<br />それについては、以下の記事を参照してください。</p>
<div style="padding: 20px; border: solid 2px darkblue; border-radius: 10px; margin-top: 30px; margin-bottom: 30px;"><a href="https://kenyu.red/wp-content/uploads/2015/06/WingAllow_lb1.png" rel="lightbox[5793]"><img loading="lazy" decoding="async" src="https://kenyu.red/wp-content/uploads/2015/06/WingAllow_lb1.png" alt="" width="33" height="33" class=" wp-image-3041 alignleft" srcset="https://kenyu.red/wp-content/uploads/2015/06/WingAllow_lb1.png 201w, https://kenyu.red/wp-content/uploads/2015/06/WingAllow_lb1-150x150.png 150w" sizes="(max-width: 33px) 100vw, 33px" /></a><a href="https://kenyu.red/archives/696.html">ギリシャ神話 <span class="fa fa-sign-out internal-icon anchor-icon"></span></a><a href="https://kenyu.red/archives/696.html">神の名前一覧や おもしろエピソード など<span class="fa fa-sign-out internal-icon anchor-icon"></span></a></div>
<h2 style="border-bottom: 1px solid #426579; border-left: 10px solid #426579; padding: 7px;"><span id="toc2">同じ題材で、オランダの巨匠ルーベンスも描いていた</span></h2>
<p>実は、ゴヤの描いた『我が子をくらうサトゥルヌス』という題材は、16世紀の巨匠ルーベンスによっても描かれています。<br /><br />一説では、ゴヤはルーベンスの、この絵に影響を受けて、作品を作成したともいわれています。</p>
<div id="attachment_5821" style="width: 436px" class="wp-caption aligncenter"><a href="https://kenyu.red/wp-content/uploads/2021/03/Rubens_saturn.jpg" rel="lightbox[5793]"><img loading="lazy" decoding="async" aria-describedby="caption-attachment-5821" src="https://kenyu.red/wp-content/uploads/2021/03/Rubens_saturn.jpg" alt="" width="426" height="890" class=" wp-image-5821" /></a><p id="caption-attachment-5821" class="wp-caption-text">我が子をくらうサトゥルヌス(ルーベンス作)</p></div><br />
<p>この2枚は比較すると非常に面白い違いがわかります。<br /><br />ルーベンスの方は、この絵がサトゥルヌスだと、鑑賞者がすぐに分かるようなもの（アトリビュート）があります。<br /><br />まず、右手に大鎌を持っていますが、これはサトゥルヌス（クロノス）の武器である、万物を切り裂くアダマスの鎌です。<br /><a href="https://kenyu.red/wp-content/uploads/2021/03/saturunus.jpg" rel="lightbox[5793]"><img loading="lazy" decoding="async" src="https://kenyu.red/wp-content/uploads/2021/03/saturunus.jpg" alt="" width="102" height="90" class="wp-image-5822 alignright" srcset="https://kenyu.red/wp-content/uploads/2021/03/saturunus.jpg 841w, https://kenyu.red/wp-content/uploads/2021/03/saturunus-300x263.jpg 300w, https://kenyu.red/wp-content/uploads/2021/03/saturunus-768x672.jpg 768w" sizes="(max-width: 102px) 100vw, 102px" /></a><br />また、頭上に輝く３つの星は、土星（サターン）を表しています。<br /><br />これは、当時ガリレオが土星を発見した時、まだ輪としては確認がされていなかったため、この様なものとして表されていたためです。<br /><a href="https://kenyu.red/wp-content/uploads/2021/03/Galileo_saturnus.jpg" rel="lightbox[5793]"><img loading="lazy" decoding="async" src="https://kenyu.red/wp-content/uploads/2021/03/Galileo_saturnus.jpg" alt="" width="138" height="84" class="wp-image-5820 alignnone" /></a></p>
<p>ルーベンスの絵画は、こういったアトリビュートをちりばめさせるだけでなく、ギリシャ神話のシーンを真に迫るようなタッチで描いています。<br /><br />それに比べると、ゴヤの方は、明確なアトリビュートはなく、何か、サトゥルヌスの内面の狂気じみた暗さを描こうとしているようにも思えます。<br /><br />アトリビュートが無いだけでなく、これがタイトルでサトゥルヌスと分からなければ、子供なのかどうかもわからないような描き方をしています。</p>
<p>権力者が、その権力を奪われるのではないかと、狂気じみた行動をとった人間の愚かな暗さを、普遍的なものとして描いているようにも思えます。</p>
<h2 style="border-bottom: 1px solid #426579; border-left: 10px solid #426579; padding: 7px;"><span id="toc3">まとめ</span></h2>
<div style="padding: 20px; padding-bottom: 0px; border: solid 2px darkblue; border-radius: 10px; background-color: palegreen; margin-top: 30px; margin-bottom: 30px;">
<div style="padding: 20px; border: 2px solid darkblue; border-radius: 10px; margin-top: 30px; margin-bottom: 30px; text-align: center; background-color: darkgreen;"><span style="color: #ffffff;"><strong><span style="font-size: 20px;"><img loading="lazy" decoding="async" src="https://kenyu.red/wp-content/uploads/2015/06/Check-300x141.png" alt="Check" width="60" height="28" class="alignnone  wp-image-3155" srcset="https://kenyu.red/wp-content/uploads/2015/06/Check-300x141.png 300w, https://kenyu.red/wp-content/uploads/2015/06/Check.png 577w" sizes="(max-width: 60px) 100vw, 60px" />サトゥルヌス<br /></span></strong></span></div>
<p><span style="font-size: 20px;"><strong><img loading="lazy" decoding="async" src="https://kenyu.red/wp-content/uploads/2015/06/allowrd_r1-150x150.png" alt="allowrd_r1" width="25" height="25" class="alignnone  wp-image-3044" srcset="https://kenyu.red/wp-content/uploads/2015/06/allowrd_r1-150x150.png 150w, https://kenyu.red/wp-content/uploads/2015/06/allowrd_r1.png 201w" sizes="(max-width: 25px) 100vw, 25px" /> 我が子をくらうサトゥルヌス（ゴヤ作）<br /></strong></span><strong>サトゥルヌスは、ギリシャ神話に登場するティターン神の長<br />クロノスこと。<br />・ギリシャ神話：クロノス<br />・ローマ神話：サトゥルヌス（ローマ語） サターン(英語)<br /><br />父であるウラヌスを追放した、クロノスは、自分も子供から追放されるとの予言を受け、子供を飲み込んだ。<br />妻のレアは、ゼウスを産んだ時、夫クロノスに子供をのみこまれないように石でごまかし、隠して育てた。<br />やがて、その子が飲み込んだ兄弟たちを助け、そして父を含めたティターン神を打ち破る。<br />（オリュンポス神の誕生）<br /></strong><strong><span style="font-size: 20px;"><br /><img loading="lazy" decoding="async" src="https://kenyu.red/wp-content/uploads/2015/06/allowrd_g1-150x150.png" alt="allowrd_g1" width="25" height="25" class="alignnone  wp-image-3042" srcset="https://kenyu.red/wp-content/uploads/2015/06/allowrd_g1-150x150.png 150w, https://kenyu.red/wp-content/uploads/2015/06/allowrd_g1.png 201w" sizes="(max-width: 25px) 100vw, 25px" /> ゴヤより前に、ルーベンスが描いている<br /></span></strong><strong>16世紀のオランダの巨匠ルーベンスが、同じ題材で描いているが、ゴヤの作品と比較すると、ギリシャ神話であることが、分かるモチーフ（アトリビュート）が使われている。<br /><br />ゴヤの方は、ギリシャ神話のシーンを切り取るというより、何か人間の持つ内面の暗さを象徴的に描いたように思われる。</strong></p>
</div>
<h2 style="border-bottom: 1px solid #426579; border-left: 10px solid #426579; padding: 7px;"><span id="toc4"> あとがき</span></h2>
<p>この絵は、本物をプラド美術館で探し回って、ようやく見つけた記憶があります。<br /><a href="https://kenyu.red/wp-content/uploads/2015/08/084160-225x300.png" rel="lightbox[5793]"><img loading="lazy" decoding="async" src="https://kenyu.red/wp-content/uploads/2015/08/084160-225x300.png" alt="" width="109" height="146" class="wp-image-4316 alignright" /></a><br />その時は、同じ題材の、ルーベンスの絵もプラド美術館にあるということを知らず、見逃してしまいました（泣）<br />是非、比較して見てみたかった…</p>
<p>実際にプラド美術館に行くまでは、ゴヤの絵をそれほど見たことが無くて、どちらかというとベラスケスの絵に興味があったのですが、実物を鑑賞していると、ゴヤの絵画に目が釘付けになる感じで、思わず見入ってしまう不思議な力のある絵です。</p>
<p>この絵の前にも、数分はたたずんでいたと思います。<br />なんていうか、時代性みたいなものは、もちろん描きこんでいるんだとは思いますが、このサトゥルヌスの様に、時代を超越した哲学的なテーマの様なものが、作品に盛り込まれていて、自分の心に刺さってくる感じがすごくするんですよね。</p>
</p>The post <a href="https://kenyu.red/archives/5793.html">サトゥルヌス　この異形の絵画にはどんな意味があるのか？なぜ人の心をつかむのか？</a> first appeared on <a href="https://kenyu.red">KENブログ　風のように、しなやかに</a>.]]></content:encoded>
					
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		<title>ルネサンスの絵画とは？ボッティチェリ　『プリマヴェーラ(春)』ギリシャ神話の詰め合わせ？</title>
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		<dc:creator><![CDATA[kenken]]></dc:creator>
		<pubDate>Sun, 28 Feb 2021 12:37:28 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[ギリシャ神話･哲学]]></category>
		<category><![CDATA[教養・趣味・娯楽]]></category>
		<category><![CDATA[春]]></category>
		<category><![CDATA[美術･芸術]]></category>
		<category><![CDATA[プリマヴェーラ]]></category>
		<category><![CDATA[ヘルメス]]></category>
		<category><![CDATA[ヴィーナス]]></category>
		<category><![CDATA[三美神]]></category>
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					<description><![CDATA[<p>今回は、ルネサンスの絵画の第5弾で、再度ボッティチェリについてとりあげます。前回は、『ヴィーナス登場』ならぬ『ヴィーナス誕生』についてとりあげましたが、今回は、ボッティチェリのもう一つの名画プリマヴェーラ（春）についてと [&#8230;]</p>
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										<content:encoded><![CDATA[<p>
<br />
<p>今回は、ルネサンスの絵画の第5弾で、再度ボッティチェリについてとりあげます。<br /><br />前回は、『ヴィーナス登場』ならぬ『ヴィーナス誕生』についてとりあげましたが、今回は、ボッティチェリのもう一つの名画プリマヴェーラ（春）についてとりあげたいと思います。<br /><br />この絵画は、『ヴィーナス誕生』の様にシンプルではなく、登場する神々も多いため、少し理解が難しいのかもしれません。<br />また、背景が割と黒い色で書かれているため、プリマヴェーラ(春)というタイトルにしては、少し暗いイメージがある絵画なのだと思います。<br /><br />しかしながら、そんな絵画も、ちゃんと見ていくと、この絵画の意図が見えてきて、とても興味深いものになります。<br /><br />今回は、そんなボッティチェリの春(プリマヴェーラ)について、見ていきたいと思います。</p>

  <div id="toc" class="toc tnt-number toc-center tnt-number border-element"><input type="checkbox" class="toc-checkbox" id="toc-checkbox-14" checked><label class="toc-title" for="toc-checkbox-14">目次</label>
    <div class="toc-content">
    <ol class="toc-list open"><li><a href="#toc1" tabindex="0"> ボッティチェリ作「プリマヴェーラ（春）」</a></li><li><a href="#toc2" tabindex="0">まとめ</a></li><li><a href="#toc3" tabindex="0"> あとがき</a></li></ol>
    </div>
  </div>

<h2 style="border-bottom: 1px solid #426579; border-left: 10px solid #426579; padding: 7px;"><span id="toc1"> ボッティチェリ作「プリマヴェーラ（春）」</span></h2>
<p>早速、ボッティチェリ作、春（プリマヴェーラ）についてみていきましょう。<br /><br /><a href="https://kenyu.red/wp-content/uploads/2021/02/Botticelli-primavera.jpg" rel="lightbox[5673]"><img loading="lazy" decoding="async" src="https://kenyu.red/wp-content/uploads/2021/02/Botticelli-primavera.jpg" alt="" width="625" height="411" class="alignnone  wp-image-5677" srcset="https://kenyu.red/wp-content/uploads/2021/02/Botticelli-primavera.jpg 493w, https://kenyu.red/wp-content/uploads/2021/02/Botticelli-primavera-300x197.jpg 300w" sizes="(max-width: 625px) 100vw, 625px" /></a><br /><br />登場人物が多くて、少し困惑するかもしれません。<br />でも、その一人一人を、ちゃんと理解することで、この絵画の意味するところが、グッと理解することができますので、まずは、一人ずつ誰で何を意味しているのかをひも解いていきましょう。<br /><br />まず右端から、青い体で、ほおを膨らませている、まるで二日酔いのちょっとやばそうな男性が描かれていますが、これは、西風の神ゼフィロスです。<br /><br />そして、その彼が後ろから、つかまえているのが、ニンフ(精霊)であるクロリス、クロリスは、神であるゼフィロスと結ばれることで、花の神フローラになっていくのです。<a href="https://kenyu.red/wp-content/uploads/2021/02/Primavera_rigith_side.jpg" rel="lightbox[5673]"><img loading="lazy" decoding="async" src="https://kenyu.red/wp-content/uploads/2021/02/Primavera_rigith_side.jpg" alt="" width="209" height="271" class=" wp-image-5678 alignright" /></a><br /><br /><br />この二人は夫婦で、ヴィーナス誕生でも、二人で描かれています。<br /><br />そして、これが面白いところなのですが、花の女神フローラとして自立した姿が、そのクロリスの左隣りに描かれています。<br /><a href="https://kenyu.red/wp-content/uploads/2021/02/primavera_translatte.jpg" rel="lightbox[5673]"><img loading="lazy" decoding="async" src="https://kenyu.red/wp-content/uploads/2021/02/primavera_translatte.jpg" alt="" width="150" height="198" class="wp-image-5680 alignleft" /></a><br />まさに、この西風が吹いて、春の花をもたらすという姿が、「春」プリマヴェーラという題材を最もよく表している姿ということが言えます。<br /><br />花の女神フローラは威厳ある姿で、ある意味最も堂々と描かれています。<br />そして、この女神フローラは、春の女神プリマヴェーラで、この絵画の題名ということになります。<br /><br />その横、この絵画で、中心に描かれているのが、ギリシャ神話の愛と美の女神アフロディテ、ローマ神話名でいうヴィーナスになります。<br /><br />その上を飛ぶのは、いつもヴィーナスと一緒にいる、キューピッド(エロス)で、恋の弓矢をつがえています。<br /><br />中心のヴィーナスの左側にいる三人の女性は、三美神で、左から「愛欲」「貞潔」「美」となります。<br /><br />この絵を見てもらうと、左側の「魅力」の女神と、中央の「美貌」の女神は、お互いに見合っています。<br />つまり、魅力と美貌の女神は互いに、対立しているのですが、それを、右端の想像力の女神が上手く取り持つ形で、三美神としての統一を保っているという事を意味しています。<br /><br />そして、最後、左端には神の伝令係的な役割を担う、ヘルメス(マーキュリー)がいます。<br /><a href="https://kenyu.red/wp-content/uploads/2021/02/primavera_helmes.jpg" rel="lightbox[5673]"><img loading="lazy" decoding="async" src="https://kenyu.red/wp-content/uploads/2021/02/primavera_helmes.jpg" alt="" width="94" height="264" class="wp-image-5681 alignright" /></a><br />一体、ヘルメスは何をしているのでしょうか？<br /><br />これは、頭上の霧を杖で払っていると言われています。<br />神々の使いとして、人間界との行き来をしているヘルメスをここに描くことで、神々の国の春の訪れを、人間の世界にも伝える、そんな役割としてヘルメスを描いているのではないかと言われています。<br /><br />さて、この登場人物(神々)の中で、キューピッドが実は目隠しをしている問うことにお気づきでしょうか？<a href="https://kenyu.red/wp-content/uploads/2021/02/primavera_qupid.jpg" rel="lightbox[5673]"><img loading="lazy" decoding="async" src="https://kenyu.red/wp-content/uploads/2021/02/primavera_qupid.jpg" alt="" width="134" height="185" class=" wp-image-5679 alignleft" /></a><br /><br />キューピッドは、弓に矢をつがえて、今にもそれを放とうとしていますが、目隠しをされています。<br /><br />その弓の先は、どうみても三美神のうち、真ん中の「貞潔」につがえています。<br /><br />これが、どういう意味を持つのか？<br />研究者の中でも意見が大きく分かれるところなのですが、キューピッドの矢に打たれると、自制心を失いただひたすらに愛を求めて行動するというのは、ギリシャ神話の中でよく描かれているところです。<br /><br />普通は、愛欲と貞潔は見合っているように、常に対立している関係にあるのですが、この「春」の訪ればかりは、キューピッドもその自身の行いに目をつむり、貞潔を愛の矢で射貫くことで、心をただただ愛に目覚めていく、それを春の象徴として描いているのではないでしょうか？<br /><br />愛と美の女神に、この花の女神フローラが描かれているということは、春という季節が愛というものと強く関連づけられて表現されています。</p>
<h2 style="border-bottom: 1px solid #426579; border-left: 10px solid #426579; padding: 7px;"><span id="toc2">まとめ</span></h2>
<div style="padding: 20px; padding-bottom: 0px; border: solid 2px darkblue; border-radius: 10px; background-color: palegreen; margin-top: 30px; margin-bottom: 30px;">
<div style="padding: 20px; border: 2px solid darkblue; border-radius: 10px; margin-top: 30px; margin-bottom: 30px; text-align: center; background-color: darkgreen;"><span style="color: #ffffff;"><strong><span style="font-size: 20px;"><img loading="lazy" decoding="async" src="https://kenyu.red/wp-content/uploads/2015/06/Check-300x141.png" alt="Check" width="60" height="28" class="alignnone  wp-image-3155" srcset="https://kenyu.red/wp-content/uploads/2015/06/Check-300x141.png 300w, https://kenyu.red/wp-content/uploads/2015/06/Check.png 577w" sizes="(max-width: 60px) 100vw, 60px" />ルネサンスの絵画<br />ボッティチェリ(春‐プリマヴェーラ)</span></strong></span></div>
<p><span style="font-size: 20px;"><strong><img loading="lazy" decoding="async" src="https://kenyu.red/wp-content/uploads/2015/06/allowrd_r1-150x150.png" alt="allowrd_r1" width="25" height="25" class="alignnone  wp-image-3044" srcset="https://kenyu.red/wp-content/uploads/2015/06/allowrd_r1-150x150.png 150w, https://kenyu.red/wp-content/uploads/2015/06/allowrd_r1.png 201w" sizes="(max-width: 25px) 100vw, 25px" /> 春(プリマヴェーラ) 絵の構成(右より）<br /></strong></span></p>
<ul>
<li><strong>西風の神 ゼフィロス</strong></li>
<li><b>ニンフ(精霊) クロリス → 花の女神フローラ<br /></b></li>
<li><strong>愛と美の女神ヴィーナス</strong></li>
<li><strong>キュービッド</strong></li>
<li><strong>三美神(愛欲、貞潔、愛）</strong></li>
<li><strong>ヘルメス</strong></li>
</ul>
<p><strong><span style="font-size: 20px;"><img loading="lazy" decoding="async" src="https://kenyu.red/wp-content/uploads/2015/06/allowrd_g1-150x150.png" alt="allowrd_g1" width="25" height="25" class="alignnone  wp-image-3042" srcset="https://kenyu.red/wp-content/uploads/2015/06/allowrd_g1-150x150.png 150w, https://kenyu.red/wp-content/uploads/2015/06/allowrd_g1.png 201w" sizes="(max-width: 25px) 100vw, 25px" /> 絵画の意味するところ<br /></span><span style="font-size: 20px;"><span style="font-size: 14px;"><span style="font-size: 20px;">・</span>西風によって花の神フローラが生まれ、そしてそれが、ヴィーナス、　　キューピッドによって、愛というものになって、ヘルメスにより神々の世界から人間の世界に伝えらていく。<br />春という言葉は、愛というものに置き換えられて、愛の讃歌としての意味がこめられていると思われる。</span></span></strong></p>
</div>
<h2 style="border-bottom: 1px solid #426579; border-left: 10px solid #426579; padding: 7px;"><span id="toc3"> あとがき</span></h2>
<p>この絵は、意味を理解するという意味では、とても難しい絵画なのだと思います。<br /><br />ただ、ギリシャ神話は、神々の愛憎劇を、まるで実在の人間界にあるものの様に描いています。<a href="https://kenyu.red/wp-content/uploads/2015/06/084160.png" rel="lightbox[5673]"><img loading="lazy" decoding="async" src="https://kenyu.red/wp-content/uploads/2015/06/084160.png" alt="" width="93" height="124" class="wp-image-3055 alignright" srcset="https://kenyu.red/wp-content/uploads/2015/06/084160.png 822w, https://kenyu.red/wp-content/uploads/2015/06/084160-225x300.png 225w, https://kenyu.red/wp-content/uploads/2015/06/084160-767x1024.png 767w" sizes="(max-width: 93px) 100vw, 93px" /></a><br /><br />つまり、この絵で描いている愛というものは、キリスト教の愛ではなく、あくまで人間界の愛を描いているのは自明です。<br /><br />そして、今まで、そんな人間界と愛を結びつけるような絵画は皆無といっていいでしょう。<br /><br />まさに、このルネサンスにおいて、そんな人間界の生き生きとした愛の讃歌を、ギリシャ神話を通して生き生きと伝えている、絵画なのだと思います。<br /><br />そういう意味では、とても人間を感じさせる絵画なのではないかと思います。<br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /></p>
<p> </p>
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	</item>
		<item>
		<title>『哲学的ゾンビ』不思議な世界を漫画で読み解く。あなた以外はゾンビかも？</title>
		<link>https://kenyu.red/archives/5650.html</link>
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		<dc:creator><![CDATA[kenken]]></dc:creator>
		<pubDate>Sun, 28 Feb 2021 08:24:37 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[ギリシャ神話･哲学]]></category>
		<category><![CDATA[言葉]]></category>
		<category><![CDATA[チャーマーズ]]></category>
		<category><![CDATA[哲学ゾンビ]]></category>
		<category><![CDATA[哲学的ゾンビ]]></category>
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					<description><![CDATA[<p>哲学的ゾンビ（哲学ゾンビ）というものを知っていますか？哲学の話というと、何か難しそうなイメージがあるかもしれません、また、ゾンビというと、ジョージ・A・ロメロ監督のホラー映画『ゾンビ(原題：Dawn of the Dea [&#8230;]</p>
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										<content:encoded><![CDATA[<p>
<br />
<p>哲学的ゾンビ（哲学ゾンビ）というものを知っていますか？<br /><br />哲学の話というと、何か難しそうなイメージがあるかもしれません、また、ゾンビというと、ジョージ・A・ロメロ監督のホラー<em>映画『ゾンビ(原題：Dawn of the Dead）』を思い浮かべる人も多いでしょう。<br /><br />でも、哲学は用語がちょっと馴染みがないだけで、人間とはなんだろう？幸せになるには？といった、普段、誰しもが考えることをまとめただけのものです。<br />また、映画のゾンビとは、全く別物です。<br /><br />今回、このテーマをとりあげようと思ったのは、『下校時刻の哲学的ゾンビ』(ダヴィンチ・恐山作）という、簡潔だけど素晴らしくよく出来た漫画に出会ったからです。<br /><br />この『下校時刻の哲学的ゾンビ』という漫画を通して、哲学的ゾンビについて、ひも解いていきたいと思います。</em></p>

  <div id="toc" class="toc tnt-number toc-center tnt-number border-element"><input type="checkbox" class="toc-checkbox" id="toc-checkbox-16" checked><label class="toc-title" for="toc-checkbox-16">目次</label>
    <div class="toc-content">
    <ol class="toc-list open"><li><a href="#toc1" tabindex="0"> 『下校時刻の哲学的ゾンビ』から読み解く</a></li><li><a href="#toc2" tabindex="0"> 哲学的ゾンビは、いわゆるゾンビとは、まるで違う</a></li><li><a href="#toc3" tabindex="0"> 哲学的ゾンビの産みの親  デイビッド・ジョン・チャーマーズ</a></li><li><a href="#toc4" tabindex="0">『下校時刻の哲学的ゾンビ』についての解釈</a></li><li><a href="#toc5" tabindex="0">まとめ</a></li><li><a href="#toc6" tabindex="0">あとがき</a></li></ol>
    </div>
  </div>

<h2 style="border-bottom: 1px solid #426579; border-left: 10px solid #426579; padding: 7px;"><span id="toc1"> 『下校時刻の哲学的ゾンビ』から読み解く</span></h2>
<p>早速ですが、是非、ダヴィンチ・恐山さんの『下校時刻の哲学的ゾンビ』を以下のリンクから見てください。<br /><br /><a rel="noopener" target="_blank" href="https://omocoro.jp/kiji/64616/">【漫画】下校時刻の哲学的ゾンビ<span class="fa fa-link external-icon anchor-icon"></span></a><br /><br />どうですか？<br /><br />さて、漫画の解説の前に、哲学的ゾンビとは一体何なのかについて、簡単に説明をしたいと思います。<br /><br /></p>
<h2 style="border-bottom: 1px solid #426579; border-left: 10px solid #426579; padding: 7px;"><span id="toc2"> 哲学的ゾンビは、いわゆるゾンビとは、まるで違う</span></h2>
<p>さて、ゾンビというと、真っ先に目に浮かぶのは、こんな感じですよね？<br /><a href="https://kenyu.red/wp-content/uploads/2021/02/240693.jpg" rel="lightbox[5650]"><img loading="lazy" decoding="async" src="https://kenyu.red/wp-content/uploads/2021/02/240693.jpg" alt="" width="288" height="296" class="wp-image-5667 aligncenter" srcset="https://kenyu.red/wp-content/uploads/2021/02/240693.jpg 1072w, https://kenyu.red/wp-content/uploads/2021/02/240693-292x300.jpg 292w, https://kenyu.red/wp-content/uploads/2021/02/240693-996x1024.jpg 996w, https://kenyu.red/wp-content/uploads/2021/02/240693-768x789.jpg 768w" sizes="(max-width: 288px) 100vw, 288px" /></a><br /><br />見た目で、普通の人間ではないということが、すぐに分かります。<br />でも、哲学的ゾンビ（又は 哲学ゾンビ）は、見た目、そして行動では普通の人間とは区別がつかない存在です。<br /><br />では、普通の人間と哲学的ゾンビでは、何が違うのか？<br /><br />それは、クオリアがあるか、ないかというとこです。<br />哲学的ゾンビは、クオリアを持たない人間なのです。<br /><br /><br /></p>
<div style="padding: 0px; padding-bottom: 10px; border: solid 5px darkorange; border-radius: 20px; margin-top: 30px; margin-bottom: 30px;">
<div style="padding: 2px; border-radius: 0px; border: 3px solid darkorange; width: 200px; text-align: center; margin-top: 0px; margin-bottom: 10px; background-color: darkorange;"><strong>クオリア</strong> </div>
簡単に言うと、私たちが主観的に体感する<strong>『<span style="border-bottom: solid 3px tomato;">感じ</span>』</strong>のことです。<br />例えば、立派な赤いリンゴがあったとします。<br /><br />それを見て「<strong>赤くて綺麗だなぁ～</strong>」<br />匂いを嗅いで「<strong>あ～いい香りだなぁ～</strong>」<br />食べてみて「<strong>うわぁ～甘酸っぱくて美味しいなぁ～</strong>」<br /><br />こういった自分が何かを体感する『感じ』です。<br />この『感じ』は極端に言ってしまえば、『<span class="marker_green"><span style="font-size: 20px;"><strong>心</strong></span></span>』と言い換えられるかと思います。</div>
<p>つまり、『心』があるのが普通の人間<br />『心』が無い、主観的に何かを感じることが出来ないのが、哲学的ゾンビだということができます。<br /><br /><a href="https://kenyu.red/wp-content/uploads/2021/02/312178.jpg" rel="lightbox[5650]"><img loading="lazy" decoding="async" src="https://kenyu.red/wp-content/uploads/2021/02/312178.jpg" alt="" width="333" height="258" class="wp-image-5669 aligncenter" srcset="https://kenyu.red/wp-content/uploads/2021/02/312178.jpg 1579w, https://kenyu.red/wp-content/uploads/2021/02/312178-300x232.jpg 300w, https://kenyu.red/wp-content/uploads/2021/02/312178-1024x791.jpg 1024w, https://kenyu.red/wp-content/uploads/2021/02/312178-768x593.jpg 768w, https://kenyu.red/wp-content/uploads/2021/02/312178-1536x1186.jpg 1536w" sizes="(max-width: 333px) 100vw, 333px" /></a><br />でも、心が無いような人間（哲学的ゾンビ）は、すぐにでも、その違いに気づくのではないか？ そんな疑問がわくと思います。<br /><br />しかし、ここが哲学的ゾンビのことを理解するうえで、大事なところなのですが、哲学的ゾンビは、心はないにもかかわらず、「君は心を持っているの？」と問われれば、「もちろん、私は心を持っているよ」と答えます。<br />そして、先に挙げたリンゴを見れば、「赤くて美しい」って答えます。<br /><br />つまり、喜怒哀楽の感情も含め、生理科学的な反応としては、普通の人間と全く同じで、違いを認めることは誰にもできない存在なのです。<br /><br />でも、哲学的ゾンビは、普通の人間とは全く異なる存在です。<br /><br />さて、ここで哲学的ゾンビとは、一体何のために生まれた概念なのか？ということを、説明したいと思います。<br /><br /></p>
<p> </p>
<h2 style="border-bottom: 1px solid #426579; border-left: 10px solid #426579; padding: 7px;"><span id="toc3"> 哲学的ゾンビの産みの親  デイビッド・ジョン・チャーマーズ</span></h2>
<div id="attachment_5668" style="width: 249px" class="wp-caption aligncenter"><a href="https://kenyu.red/wp-content/uploads/2021/02/David_Chalmers.jpg" rel="lightbox[5650]"><img loading="lazy" decoding="async" aria-describedby="caption-attachment-5668" src="https://kenyu.red/wp-content/uploads/2021/02/David_Chalmers.jpg" alt="" width="239" height="130" class="wp-image-5668" /></a><p id="caption-attachment-5668" class="wp-caption-text">By en:Image:Sea8.jpg, from David Chalmer&#8217;s website: http://consc.net/chalmers/ with permission., CC BY-SA 3.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=1429727</p></div><br />
<p>哲学的ゾンビは、チャーマーズというオーストラリアの哲学者が思考実験として提唱したものです。<br /><br />これを使って彼は一体何を、明らかにしたかったのか？<br /><br />それは、人間が物理化学的なものだけで構成されているという、物理主義を否定するために、生まれた概念です。<br /><br />『クオリア』を持つ普通の人間と、持たない哲学的ゾンビ（物理化学的に物質として作られただけ）、この二つは、見た目は区別はつかないが明らかにそれらは違うということで、『心』という物質では説明がつかないものが存在するということを主張したのです。<br /><br />さて、ここで改めて、最初に見て頂いた漫画『下校時刻の哲学的ゾンビ』について、私なりの解釈を説明していきたいと思います。</p>
<h2 style="border-bottom: 1px solid #426579; border-left: 10px solid #426579; padding: 7px;"><span id="toc4">『下校時刻の哲学的ゾンビ』についての解釈</span></h2>
<p>この漫画は、コマ割りがちょっと変わっていることにお気づきだと思います。<br /><br />普通の漫画としての画面、つまりカメラ視点的な画面が真ん中にあって、左右に小さなコマがあります。<br /><br />左の画面は、最初、主人公の大朋さんの視点として描かれています。<br />右の画面は、常に、真っ黒です。<br /><br />でも、意識がなくなる(つまりクオリアを失う）キャラメルもどきを食べた後、目をつむった状態から、目を開け、かすかに龍野さんが映った後に目は開けているのに左のコマは黒くなります。<br /><br />この時点で左のコマは、視点ではなく意識に置き換わっているということが言えるのではないかと思います。<br /><br />右側のコマが常に黒いのは、龍野さんの意識（前日にクオリアを失うキャラメルを食べているので最初から黒）を表しているのではないかと思います。<br /><a href="https://kenyu.red/wp-content/uploads/2021/02/komawari.jpg" rel="lightbox[5650]"><img loading="lazy" decoding="async" src="https://kenyu.red/wp-content/uploads/2021/02/komawari.jpg" alt="" width="413" height="228" class="size-full wp-image-5671 aligncenter" srcset="https://kenyu.red/wp-content/uploads/2021/02/komawari.jpg 413w, https://kenyu.red/wp-content/uploads/2021/02/komawari-300x166.jpg 300w" sizes="(max-width: 413px) 100vw, 413px" /></a><br />つまり、二人とも、キャラメルを食べてしまったために、哲学的ゾンビになってしまったということを表しているということになります。<br /><br />一見、冗談だったとして終わらせていますが、絶対に区別がつかないというところが重要で、クオリアがあるないを漫画ならではのコマ割りという手法で、うまく描いていると思います。<br />小説では、ちょっとどう表現してよいのか難しい題材だと思います。</p>
<h2 style="border-bottom: 1px solid #426579; border-left: 10px solid #426579; padding: 7px;"><span id="toc5">まとめ</span></h2>
<div style="padding: 20px; padding-bottom: 0px; border: solid 2px darkblue; border-radius: 10px; background-color: palegreen; margin-top: 30px; margin-bottom: 30px;">
<div style="padding: 20px; border: 2px solid darkblue; border-radius: 10px; margin-top: 30px; margin-bottom: 30px; text-align: center; background-color: darkgreen;"><span style="color: #ffffff;"><strong><span style="font-size: 20px;"><img loading="lazy" decoding="async" src="https://kenyu.red/wp-content/uploads/2015/06/Check-300x141.png" alt="Check" width="60" height="28" class="alignnone  wp-image-3155" srcset="https://kenyu.red/wp-content/uploads/2015/06/Check-300x141.png 300w, https://kenyu.red/wp-content/uploads/2015/06/Check.png 577w" sizes="(max-width: 60px) 100vw, 60px" />『哲学的ゾンビ』</span></strong></span></div>
<p><span style="font-size: 20px;"><strong><img loading="lazy" decoding="async" src="https://kenyu.red/wp-content/uploads/2015/06/allowrd_r1-150x150.png" alt="allowrd_r1" width="25" height="25" class="alignnone  wp-image-3044" srcset="https://kenyu.red/wp-content/uploads/2015/06/allowrd_r1-150x150.png 150w, https://kenyu.red/wp-content/uploads/2015/06/allowrd_r1.png 201w" sizes="(max-width: 25px) 100vw, 25px" /> 　デイヴィット・ジョン・チャーマーズ<br /></strong></span><span style="font-size: 14px;">オーストラリアの哲学者<br /></span><span style="font-size: 14px;">クオリアや哲学的ゾンビを提唱し、心を物質とみなす物理主義を批判 <br /></span><strong><span style="font-size: 20px;"><img loading="lazy" decoding="async" src="https://kenyu.red/wp-content/uploads/2015/06/allowrd_g1-150x150.png" alt="allowrd_g1" width="25" height="25" class="alignnone  wp-image-3042" srcset="https://kenyu.red/wp-content/uploads/2015/06/allowrd_g1-150x150.png 150w, https://kenyu.red/wp-content/uploads/2015/06/allowrd_g1.png 201w" sizes="(max-width: 25px) 100vw, 25px" />　クオリア<br /></span></strong><span style="font-size: 20px;"><span style="font-size: 14px;">主観的に体感する『感じ』<br />例：痛い、おいしい、嬉しい、楽しいといった心の中の感覚<br /><br /></span></span><span style="font-size: 20px;"><strong><img loading="lazy" decoding="async" src="https://kenyu.red/wp-content/uploads/2015/06/allowrd_or1-150x150.png" alt="allowrd_or1" width="25" height="25" class="alignnone  wp-image-3043" srcset="https://kenyu.red/wp-content/uploads/2015/06/allowrd_or1-150x150.png 150w, https://kenyu.red/wp-content/uploads/2015/06/allowrd_or1.png 201w" sizes="(max-width: 25px) 100vw, 25px" /> 　哲学的ゾンビ<br /></strong><span style="font-size: 14px;">物質で作られた『クオリア』を持たない哲学的ゾンビは、普通の人間とは違うが、それを傍目に見極めることは出来ない。<br />そういう存在を提示することで、チャーマーズは心の存在を主張した。</span></span></p>
</div>
<h2 style="border-bottom: 1px solid #426579; border-left: 10px solid #426579; padding: 7px;"><span id="toc6">あとがき</span></h2>
<p>心をめぐる哲学は、身心二元論など、様々な哲学者が挑み続けている問題です。<br />また、心をどうとらえるかは、様々な哲学があり、それらをもとにした小説や漫画なども多くあります。<br />攻殻機動隊なども、その中の一つですよね。<br /><a href="https://kenyu.red/wp-content/uploads/2015/08/084160-225x300.png" rel="lightbox[5650]"><img loading="lazy" decoding="async" src="https://kenyu.red/wp-content/uploads/2015/08/084160-225x300.png" alt="" width="91" height="123" class="wp-image-4316 alignright" /></a><br />下校時刻の哲学的ゾンビについては、右側のコマが本当に龍野さんの視点なのかどうかは、正直言うと自信がありません。<br /><br />というのも、左のコマが視点として使用していたものが、唐突に「意識・クオリア」を失うものとして描かれていることに少し違和感を感じています。<br /><br />視点＝意識ではない（視点が無くても意識は存在するのは自明）ので、あそこで急にコマの意味を変えるというのは、ちょっとナンセンスな気もしていて、つまり、そう解釈した私の理解が違っていて、本当は右側のコマにもっと深い意味があって真っ黒なのではないのか…という気持ちがありました。<br /><br />ただ、いくら考えても理由付けが自分の中でできなかったので、こういう理解にしました。<br />でも、作者の立場に立てば、逆に、ちょっとした引っ掛かりを作って、読み手が様々に解釈することを目指したのかな？とも思えて、色んな意味でよく出来た作品だと感心しています。<br /><br /><br /><br /><br /></p>
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		<title>ルネサンスの絵画とは？ボッティチェリ　『ヴィーナス誕生』にみる美しさとは？</title>
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		<dc:creator><![CDATA[kenken]]></dc:creator>
		<pubDate>Sat, 27 Feb 2021 07:47:48 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[ギリシャ神話･哲学]]></category>
		<category><![CDATA[教養・趣味・娯楽]]></category>
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		<category><![CDATA[美術･芸術]]></category>
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					<description><![CDATA[<p>ルネサンスの絵画というと、レオナルド・ダ・ヴィンチ、ミケランジェロ・ブオナローティー、ラファエロ・サンティ という三大巨匠が有名ですが、ボッティチェリ（サンドロ・ボッティチェリ）という画家も、ルネサンス絵画を代表する一人 [&#8230;]</p>
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										<content:encoded><![CDATA[<p>
<br />
<p>ルネサンスの絵画というと、レオナルド・ダ・ヴィンチ、ミケランジェロ・ブオナローティー、ラファエロ・サンティ という三大巨匠が有名ですが、ボッティチェリ（サンドロ・ボッティチェリ）という画家も、ルネサンス絵画を代表する一人です。<br /><br />名画も多数残っていますが、その代表作が『プリマヴェーラ(春)』と『ヴィーナス誕生』<br /><a href="https://kenyu.red/wp-content/uploads/2021/02/Venus_botticelli_detail.jpg" rel="lightbox[5634]"><img loading="lazy" decoding="async" src="https://kenyu.red/wp-content/uploads/2021/02/Venus_botticelli_detail.jpg" alt="" width="162" height="124" class="wp-image-5643 alignright" /></a><br />特に、ヴィーナス誕生という絵画は、美術の教科書に載っているだけでなく、現代でもファッションのアイコンとなっていて、イタリアの10セント硬貨にも使われていたり、様々な形で目にすることがあるのではないかと思います。</p>
<p>今まで、ルネサンスの絵画としてダ・ヴィンチ・ミケランジェロ・ラファエロの三大巨匠はとりあげていましたが、やはりボッティチェリをとりあげずして、ルネサンス絵画は語れない気がしています。<br />ルネサンスとは一体何か？ということに迫ると、やはりボッティチェリは外せない一人です。</p>
<p>今回は、そんなボッティチェリについて、特に『ヴィーナスの誕生』を中心に、とりあげたいと思います。</p>

  <div id="toc" class="toc tnt-number toc-center tnt-number border-element"><input type="checkbox" class="toc-checkbox" id="toc-checkbox-18" checked><label class="toc-title" for="toc-checkbox-18">目次</label>
    <div class="toc-content">
    <ol class="toc-list open"><li><a href="#toc1" tabindex="0"> ルネサンス(再生・復興）とは、何を再生・復興したのか？</a></li><li><a href="#toc2" tabindex="0"> 『ヴィーナス誕生』古代ギリシャ文化の風を感じる名画</a></li><li><a href="#toc3" tabindex="0"> 『ヴィーナスの誕生』は、ルネサンス絵画として奇跡的な誕生？</a></li><li><a href="#toc4" tabindex="0"> ボッティチェリとは、小さな樽の意味</a></li><li><a href="#toc5" tabindex="0">まとめ</a></li><li><a href="#toc6" tabindex="0"> あとがき</a></li></ol>
    </div>
  </div>

<h2 style="border-bottom: 1px solid #426579; border-left: 10px solid #426579; padding: 7px;"><span id="toc1"> ルネサンス(再生・復興）とは、何を再生・復興したのか？</span></h2>
<p>ルネサンスという言葉は、フランス語で「再生・復興」を意味する言葉ですが、では、一体何を再生・復興したのか？<br /><br />ルネサンス絵画においては、ダ・ヴィンチのスフマート(ぼかし表現)、遠近法や安定した構図など、立体感を伴った絵画の技法などが展開されたことは、技術的な絵画の表現ではルネサンスの特徴として挙げられます。<br /><br />しかし、大事なのは、そういった技法を用いて、この時代の画家達が描こうした、再生しようとしたもの、復興させようしたものが何であったのか？　だと思います。</p>
<p> </p>
<p>この時代、再生・復興しようとしたものとは…<br />古代ギリシャやローマ文明 です。<br /><br />この時代14世紀から15世紀にかけては、キリスト教による教えが支配をしていた時代。<br />禁欲的で抑圧的な生活を人々は強いられてきました。<br />古代ギリシャの彫刻や、古代ローマの絵画など、様々な人間が生き生きと表現されている、その事が一気に花開いた時代が、このルネサンス期ということになります。<br /><br />でも、古代ギリシャ・ローマの復興といっても、その生き生きとした技法は活かされているものの、実際に描かれた絵画といえば、「最後の晩餐」「最後の審判」「小椅子の聖母」等、キリスト教(聖書)に関するものばかりです。<br /><br />キリスト教世界なので、スポンサーが教皇を始めとして教会関係なので、当然といえば当然なのです。<br /><br />しかし、そんな中にあって、古代ギリシャの復興を分かりやすい形で表現されている絵画が、まさしくボッティチェリの『ヴィーナス誕生』でしょう。</p>
<p>それでは、『ヴィーナス誕生』を詳しく見ていきましょう。<br /><br /></p>
<h2 style="border-bottom: 1px solid #426579; border-left: 10px solid #426579; padding: 7px;"><span id="toc2"> 『ヴィーナス誕生』古代ギリシャ文化の風を感じる名画</span></h2>
<p><a href="https://kenyu.red/wp-content/uploads/2021/02/Venus_botticelli.jpg" rel="lightbox[5634]"><img loading="lazy" decoding="async" src="https://kenyu.red/wp-content/uploads/2021/02/Venus_botticelli.jpg" alt="" width="567" height="358" class="alignnone  wp-image-5642" srcset="https://kenyu.red/wp-content/uploads/2021/02/Venus_botticelli.jpg 447w, https://kenyu.red/wp-content/uploads/2021/02/Venus_botticelli-300x190.jpg 300w" sizes="(max-width: 567px) 100vw, 567px" /></a><br />この名画、イタリアのフィレンツェのウフィツィ美術館にあります。<br />この絵を見るためだけに、フィレンツェを訪れる人もいるくらい、名画中の名画と言えるでしょう。<br /><br />絵画の内容を簡単に説明すると、女神ヴィーナスは、海の泡から誕生し（何から誕生したかは、実は衝撃の事実があるのですが…それは、本稿とは関係がないので、また別の機会に…）、貝殻を船にして、風に運ばれ、陸地にたどりついた瞬間を描いたものです。<br /><br />なので、正確に言えば、本来は『ヴィーナス誕生』ではなく、『ヴィーナス登場』でしょうか(笑)<br /><br />画面の左端の男が、西風の神ゼフィロスで、ヴィーナスを運ぶ風を吹いています。<br />そして、そのゼフィロスと一緒にいるのが、その妻の花の女神フローラが花をヴィーナスにまいて祝福しています。<br /><br />この花、割としっかりと描きこまれているのですが、実は何の花なのかはわかっていません。<br />薔薇(バラ)という説や、いずれにしても春の花だというのが有力な説です。<br /><br />そして、陸地にだとりついたヴィーナスを衣でくるもうとしているのが、季節と秩序を守る、時の女神ホーラです。<br /><br />愛と美の女神、ヴィーナスを、神々が祝福している様子が描かれた見事な作品です。</p>
<div style="padding: 0px; padding-bottom: 10px; border: solid 5px darkorange; border-radius: 20px; margin-top: 30px; margin-bottom: 30px;">
<div style="padding: 2px; border-radius: 0px; border: 3px solid darkorange; width: 200px; text-align: center; margin-top: 0px; margin-bottom: 10px; background-color: darkorange;"><strong> 何の花？</strong></div>
この花は、ボッティチェリの、もう一つの名画『プリマヴェーラ（春）』に登場するフローラの周りには描かれていません。<strong><a href="https://kenyu.red/wp-content/uploads/2021/02/Botti_flower01.jpg" rel="lightbox[5634]"><img loading="lazy" decoding="async" src="https://kenyu.red/wp-content/uploads/2021/02/Botti_flower01.jpg" alt="" width="155" height="135" class="wp-image-5640 alignright" /></a></strong><br /><br />似た様な花で、平べったいけど薔薇(バラ)の様な似た花はえがかれているが、ヴィーナス誕生の方は、花の中心に「めしべ」の箇所がしっかりと丸い形で描かれています。</div>
<p>構図も柔らかい半円をイメージされていて、貝殻の半円と、そして、画面の左端にある植物から、ゼフィロス、フローラが形作る曲線、フローラのまいた花も曲線を描いています。<br /><br />そして、ゼフィロスの吹く風によって、結構激しく揺れ動くヴィーナスの髪の毛、そして、その延長線上に、ホーラの腕と衣、さらにホーラの髪へとながり、また、ホーラの後ろにある樹木も、その濃い色の葉をつけた枝が曲線を描いています。<br /><br />つまり、貝殻の半円から、大きな円へと拡大する構図が、ヴィーナスの誕生という言葉の特徴をより際立たせる効果があるのではないかと思います。<br /><br />それにしても、この風を感じさせる表現は本当に見事です。</p>
<p> </p>
<h2 style="border-bottom: 1px solid #426579; border-left: 10px solid #426579; padding: 7px;"><span id="toc3"> 『ヴィーナスの誕生』は、ルネサンス絵画として奇跡的な誕生？</span></h2>
<p><a href="https://kenyu.red/wp-content/uploads/2021/02/Venus_botticelli_detail2.jpg" rel="lightbox[5634]"><img loading="lazy" decoding="async" src="https://kenyu.red/wp-content/uploads/2021/02/Venus_botticelli_detail2.jpg" alt="" width="115" height="322" class="wp-image-5647 alignleft" /></a>このヴィーナスの体に注目してください、直立不動ではありませんよね。この美しさを強調しているのが、その少しS字をとった体にあります。<br /><br />これって、ギリシャ彫刻の特徴なんです。<br /><br />ルーブル美術館にある、あの「ミロのヴィーナス」も少し体をS字にしていますよね。<br /><br />ちなみに、ミロのヴィーナスは1820年にミロス島で発見されていますので、15世紀初頭に活躍していたボッティチェリは見ていません。<br /><br />キリスト教の支配する時代の真っ只中、聖書ではないギリシャ神話は、異教徒の話です、その女神を描くことは、ルネサンス以前には当然できないことでした。<br /><br />また、ルネサンス以前の絵画は、官能的な裸体の絵画を描くことは不道徳として許されませんでした。<br />唯一、許されるとしたら、それはイエス・キリストの誕生(赤ちゃん）や磔刑(十字架に貼り付け）のみで、それは神聖なものだからです。<br /><br />では、なぜ、この様なギリシャ神話を題材にしたものや、リアルな裸体を描くことが許されることになったのか？<br /><br />それは、それまで絵画のスポンサーが、教会や国王、貴族といった身分から、商人などの庶民がスポンサーになったことが大きな理由です。<br /><br />ルネサンス期の、フィレンツェ共和国では、薬売りから銀行家になった家柄のメディチ家が統治していました。<br /><br />このメディチ家は、プラトン哲学を推奨する新プラトン主義を奨励し、古代ギリシャや古代ローマの芸術作品を集めていました。<br />メディチ家には、多くの芸術家や人文主義者と呼ばれる人達が集まり、メディチ家自体が、そういった人たちを庇護し、また若い芸術家を育てました。その中の一人が、ボッティチェリです。<br /><br />この『ヴィーナスの誕生』も、メディチ家三代目当主ロレンツォが注文したものです。<br /><br />それまでの時代には、絶対存在してはならない絵画、ここに誕生が出来たという奇跡的な記念すべき作品ともいえるのではないでしょうか。<br /><br /></p>
<p> </p>
<h2 style="border-bottom: 1px solid #426579; border-left: 10px solid #426579; padding: 7px;"><span id="toc4"> ボッティチェリとは、小さな樽の意味</span></h2>
<p>さて、最後に作者ボッティチェリについても、少しだけご紹介しておきます。<br /><a href="https://kenyu.red/wp-content/uploads/2021/02/Sandro_Botticelli_083.jpg" rel="lightbox[5634]"><img loading="lazy" decoding="async" src="https://kenyu.red/wp-content/uploads/2021/02/Sandro_Botticelli_083.jpg" alt="" width="126" height="136" class=" wp-image-5641 alignright" /></a><br />サンドロ・ボッティチェリ<br /><br />このボッティチェリという名前は、お兄さんがすごく太っていたためにつけられた、「小さな樽」という意味の、あだ名です。<br /><br />先にも書いたように、メディチ家の庇護によりプラトン哲学を学んだり、古代文明の作品に触れて、『ヴィーナス誕生』や『プリマヴェーラ』の様な古代文明を題材とした作品を作っていきます。<br /><br />しかしながら、メディチ家がフィレンツェから追放され、狂信的な修道士であるサヴォナローラがフィレンツェを治めるようになると、一気にそれまでスタイルを捨てて、自ら異教の作品として描いた絵画を焼き捨て、キリスト教を主題とした作品に転向し、最後は画家をやめてしまったということです。</p>
<h2 style="border-bottom: 1px solid #426579; border-left: 10px solid #426579; padding: 7px;"><span id="toc5">まとめ</span></h2>
<div style="padding: 20px; padding-bottom: 0px; border: solid 2px darkblue; border-radius: 10px; background-color: palegreen; margin-top: 30px; margin-bottom: 30px;">
<div style="padding: 20px; border: 2px solid darkblue; border-radius: 10px; margin-top: 30px; margin-bottom: 30px; text-align: center; background-color: darkgreen;"><span style="color: #ffffff;"><strong><span style="font-size: 20px;"><img loading="lazy" decoding="async" src="https://kenyu.red/wp-content/uploads/2015/06/Check-300x141.png" alt="Check" width="60" height="28" class="alignnone  wp-image-3155" srcset="https://kenyu.red/wp-content/uploads/2015/06/Check-300x141.png 300w, https://kenyu.red/wp-content/uploads/2015/06/Check.png 577w" sizes="(max-width: 60px) 100vw, 60px" />ルネサンスの絵画<br />サンドロ・ボッティチェリ</span></strong></span></div>
<p><span style="font-size: 20px;"><strong><img loading="lazy" decoding="async" src="https://kenyu.red/wp-content/uploads/2015/06/allowrd_r1-150x150.png" alt="allowrd_r1" width="25" height="25" class="alignnone  wp-image-3044" srcset="https://kenyu.red/wp-content/uploads/2015/06/allowrd_r1-150x150.png 150w, https://kenyu.red/wp-content/uploads/2015/06/allowrd_r1.png 201w" sizes="(max-width: 25px) 100vw, 25px" /> ルネサンス(再生・復興）の意味<br /></strong></span></p>
<ul>
<li><b>古代ギリシャ・古代ローマの文化の再生・復興</b></li>
<li><b>キリスト教一辺倒の絵画からの変化</b></li>
</ul>
<p><strong><span style="font-size: 20px;"><img loading="lazy" decoding="async" src="https://kenyu.red/wp-content/uploads/2015/06/allowrd_g1-150x150.png" alt="allowrd_g1" width="25" height="25" class="alignnone  wp-image-3042" srcset="https://kenyu.red/wp-content/uploads/2015/06/allowrd_g1-150x150.png 150w, https://kenyu.red/wp-content/uploads/2015/06/allowrd_g1.png 201w" sizes="(max-width: 25px) 100vw, 25px" /> 代表作『ヴィーナスの誕生』とその背景</span></strong><span style="font-size: 20px;"><span style="font-size: 16px;">　　</span></span></p>
<ul>
<li><b>それまではギリシャ神話は、異教として絶対に描けなかった題材だが、パトロンが教会だけでなく、メディチ家の様に、商人・庶民がスポンサーとなること、そして、当時流行した新プラトン主義により、この絵画が描ける状況が、奇跡的に出来上がった。</b></li>
<li><b>ギリシャ彫刻を思わせるヴィーナスのS字の体、ややリアルで少し官能的な肉体表現が特徴的</b></li>
</ul>
<p><span style="font-size: 20px;"><strong> <a href="https://kenyu.red/wp-content/uploads/2015/06/allowrd_or1.png" rel="lightbox[5634]"><img loading="lazy" decoding="async" src="https://kenyu.red/wp-content/uploads/2015/06/allowrd_or1.png" alt="" width="24" height="23" class="alignnone  wp-image-3043" srcset="https://kenyu.red/wp-content/uploads/2015/06/allowrd_or1.png 201w, https://kenyu.red/wp-content/uploads/2015/06/allowrd_or1-150x150.png 150w" sizes="(max-width: 24px) 100vw, 24px" /> </a>ボッティチェリはあだ名(小さな樽）<br /></strong></span></p>
<ul>
<li><b>兄が太っていたため(小さな樽＝ボッティチェリ)</b></li>
<li><strong>メディチ家が失脚し、修道士サヴォナローラがフィレンツェを支配すると、一転、それまでのスタイルを捨ててキリスト教の絵画を描くようになる。そして画家廃業</strong></li>
</ul>
</div>
<h2 style="border-bottom: 1px solid #426579; border-left: 10px solid #426579; padding: 7px;"><span id="toc6"> あとがき</span></h2>
<p>個人的には、風や空気感を感じさせる様な絵画が好きなのですが、このヴィーナス誕生は、本当に風を感じさせてくれて好みの絵画です。<br />ラファエロやダ・ヴィンチと比較してしまうと、ちょっと人体表現に、少しぎこちなさがあるのは否定できませんが、ヴィーナスの髪の毛から、時の女神ホーラへとつながる風の流れは、本当に感動します。<br /><img loading="lazy" decoding="async" src="https://kenyu.red/wp-content/uploads/2015/08/084160-225x300.png" width="126" height="167" class="alignright" />そして、この絵画、最近になって気が付きました。<br /><br />貝の上で静かにたたずんでいる、裸であることを少し恥ずかしがっている、そんなおしとやかなヴィーナスの姿が描かれているのかと思ったら…<br /><br />足元をよく見たら、ヴィーナスは既に貝の殻の中から外に足を出しているんですね。<br /><br />つまり、この絵は、いままさにヴィーナスが陸地に降り立というとしている瞬間を捉えたものですよね（いや、あくまで自説です…）<br /><br />それにしても、絵画は時代を映すといいますが、ボッティチェリは本当にその通りですよね。<br /><br />この絵の誕生、そして後の画風、画家を辞めてしまったことも含めて、当時のフィレンツェの様子がうかがえるのではないでしょうか。</p>
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	</item>
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		<title>ルネサンスの絵画とは？ラファエロ 巨匠二人を押さえて美術の頂点に</title>
		<link>https://kenyu.red/archives/5602.html</link>
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		<dc:creator><![CDATA[kenken]]></dc:creator>
		<pubDate>Mon, 15 Feb 2021 10:55:36 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[ギリシャ神話･哲学]]></category>
		<category><![CDATA[教養・趣味・娯楽]]></category>
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					<description><![CDATA[<p>ルネサンスの絵画シリーズの最後を飾るのは、ラファエロです。日本では、ダ・ヴィンチ、ミケランジェロ人気がすごくて、ラファエロというと、少し人気は落ちるかもしれませんが、ヨーロッパでは、ルネサンスの絵画といえばラファエロです [&#8230;]</p>
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										<content:encoded><![CDATA[<p>
<br />
<p>ルネサンスの絵画シリーズの最後を飾るのは、ラファエロです。<br /><br />日本では、ダ・ヴィンチ、ミケランジェロ人気がすごくて、ラファエロというと、少し人気は落ちるかもしれませんが、ヨーロッパでは、ルネサンスの絵画といえばラファエロです。<br /><br />特に、フランスの芸術アカデミーでは、新古典主義といってラファエロの絵画をお手本としたスタイルが確立されていて、あの、ドラクロワのロマン派や、ギュスターブ・モローの象徴主義、そして、モネやルノワールの印象派(印象主義)が登場する時代に至っても、なおラファエロの絵画とは違うものはアカデミーには認められないという流れがありました。<br /><br />つまり、20世紀になろうという時点に至ってなお、15世紀ルネサンスの画家ラファエロの絵画が、画壇の頂点に君臨し続けたという事なんです。<br /><br />いや、それってすごいことですよね！</p>
<p>そんな、ルネサンス期の”ラスボス”とも言える、巨匠ラファエロについて、今回は迫っていきたいと思います。<br /><br /></p>

  <div id="toc" class="toc tnt-number toc-center tnt-number border-element"><input type="checkbox" class="toc-checkbox" id="toc-checkbox-20" checked><label class="toc-title" for="toc-checkbox-20">目次</label>
    <div class="toc-content">
    <ol class="toc-list open"><li><a href="#toc1" tabindex="0">ラファエロ・サンティ　天才でありながら礼儀正しい人格者</a></li><li><a href="#toc2" tabindex="0">聖母子の画家ラファエロ　新プラトン主義の真骨頂</a></li><li><a href="#toc3" tabindex="0"> ラファエロのオマージュ全開！『アテネの学堂』自分もこっそり登場？</a></li><li><a href="#toc4" tabindex="0">まとめ</a></li><li><a href="#toc5" tabindex="0"> あとがき</a></li></ol>
    </div>
  </div>

<h2 style="border-bottom: 1px solid #426579; border-left: 10px solid #426579; padding: 7px;"><span id="toc1">ラファエロ・サンティ　天才でありながら礼儀正しい人格者</span></h2>
<div id="attachment_5614" style="width: 141px" class="wp-caption alignright"><a href="https://kenyu.red/wp-content/uploads/2021/02/Raffaello_Sanzio.jpg" rel="lightbox[5602]"><img loading="lazy" decoding="async" aria-describedby="caption-attachment-5614" src="https://kenyu.red/wp-content/uploads/2021/02/Raffaello_Sanzio.jpg" alt="" width="131" height="179" class="wp-image-5614" /></a><p id="caption-attachment-5614" class="wp-caption-text">ラファエロ</p></div><br />
<p><strong><span style="border-bottom: solid 3px orange;">ラファエロ・サンティ</span></strong><br /><br />これがラファエロのフルネームです。<br /><br />1483年、ウルビーノ公国(都市国家）で誕生<br />父 ジョヴァンニ・サンティは、ウルビーノ公国の宮廷画家をしていました。<br /><br />8歳で母（マージア）を、そして11歳で父（ジョヴァンニ）を亡くし、孤児になっています。<br /><br />しかし、父が亡くなった時、既に父の工房を助けるほどの存在となっていて、更に、この頃、ペルジーノの工房でも修行をしていました。<br /><br />基本的に、放浪生活をしていたラファエロですが、フィレンツェには20歳頃、4年間ほど滞在していました。<br /><br />ウルビーノ公子から、フィレンツェの行政長宛の書簡が残っていますが、ラファエロについて、芸術的才能に溢れ、そして、とても聡明 かつ礼儀正しいことで評判の青年というような内容の文章が書かれています。<br /><br />天才でありがちな、ちょっと偏屈であったり、人と上手くやっていけない感じではなく、人格者だったことがうかがえます。<br /><br />ラファエロの人格者ぶりは、これ以外にも、同時期のフィレンツェの巨匠ヴァザーリが、ラファエロの工房の経営について、パトロンや工房で働く者たちをうまくまとめあげていく手腕があったと、著作の中に記しています。<br />ミケランジェロは、これとは対照的でパトロンや助手達と常にもめごとを起こしていたと記載しています(笑)<br /><br />さて、話をもとに戻して…<br />ラファエロは、フィレンツェ滞在の間に、ダ・ヴィンチ(30歳年上)やミケランジェロ(7歳年上)の作品に影響を受けたと考えられています。<br /><br />特に、ダ・ヴィンチの作品の影響を受けた作品が多く残されています。また、このフィレンツェ時代に、独自の作風が確立されていったと考えられています。</p>
<p>ラファエロは短命で、なんと37歳の若さで亡くなっています。<br /><br />1508年から、ヴァチカンのローマ教皇ユリウス2世に呼ばれ、以降、亡くなるまで約12年間ほどローマに定住していました。<br /><br />ヴァチカン宮殿の通称ラファエロの間の中の、ひとつで「署名の間」にある<span style="border-bottom: solid 3px tomato;"><strong>『アテナイの学堂』</strong></span>は彼の最高傑作のひとつといえる作品です。</p>
<p>それにしても、ラファエロは37歳の生涯とは思えなくらい、多くの作品を残しています。特に、聖母子の絵画は50点ほども、描いていていますよね。</p>
<p>さっそく、聖母子の絵画から見ていきましょう。<br /><br /></p>
<h2 style="border-bottom: 1px solid #426579; border-left: 10px solid #426579; padding: 7px;"><span id="toc2">聖母子の画家ラファエロ　新プラトン主義の真骨頂</span></h2>
<p>ラファエロは多くの、聖母子像の絵画を残していますが、その中でも有名なところを…</p>
<div id="attachment_5626" style="width: 296px" class="wp-caption alignnone"><a href="https://kenyu.red/wp-content/uploads/2021/02/Raffael_030.jpg" rel="lightbox[5602]"><img loading="lazy" decoding="async" aria-describedby="caption-attachment-5626" src="https://kenyu.red/wp-content/uploads/2021/02/Raffael_030.jpg" alt="" width="286" height="369" class=" wp-image-5626" /></a><p id="caption-attachment-5626" class="wp-caption-text">牧場の聖母</p></div><br />
<p>これは、ダ・ヴィンチの影響を受けている、聖母子像です。<br />ダ・ヴィンチは、絵の構図で三角形をとりいれていますが、その構図がまさに使われた聖母子像です。<br /><br /><br /></p>
<div id="attachment_5627" style="width: 410px" class="wp-caption aligncenter"><a href="https://kenyu.red/wp-content/uploads/2021/02/Raphael_Madonna_della_seggiola.jpg" rel="lightbox[5602]"><img loading="lazy" decoding="async" aria-describedby="caption-attachment-5627" src="https://kenyu.red/wp-content/uploads/2021/02/Raphael_Madonna_della_seggiola.jpg" alt="" width="400" height="409" class="size-full wp-image-5627" srcset="https://kenyu.red/wp-content/uploads/2021/02/Raphael_Madonna_della_seggiola.jpg 400w, https://kenyu.red/wp-content/uploads/2021/02/Raphael_Madonna_della_seggiola-293x300.jpg 293w" sizes="(max-width: 400px) 100vw, 400px" /></a><p id="caption-attachment-5627" class="wp-caption-text">小椅子の聖母</p></div><br />
<p>こっちの聖母子像は、神々しくなく、なんだか普通の家庭の親子のスナップ写真的な感じです。<br />マリア様が、しっかりカメラ目線でかわいい聖母子になっていますよね。<br /><br />この絵は、珍しい円形の絵画ですが、これは、新プラトン主義と呼ばれる影響で、円は新プラトン主義では”無限”を意味しています。<br /><br /></p>
<div style="padding: 0px; padding-bottom: 10px; border: solid 5px darkorange; border-radius: 20px; margin-top: 30px; margin-bottom: 30px;">
<div style="padding: 2px; border-radius: 0px; border: 3px solid darkorange; width: 200px; text-align: center; margin-top: 0px; margin-bottom: 10px; background-color: darkorange;">新プラトン主義 </div>
<div> メディチ家の庇護のもと、プラトン・アカデミーというサークルの中心となったのが、マルシリオ・フィチーノという思想家。<br /><br /></div>
<div>古代ギリシャの哲学書プラトンのイデア(完全なもの）の考えで、人間は円や完全なもの、愛や善、美という概念を理解できるのは、イデア界というものをかつて天上界で見て知っているため、現世においてそれを想起でき模倣できるのだと考えていた。<br /><br />神の創造を模倣すること、より美しいものをリアルに描き出すことがイデアの探求であることだという考え</div>
</div>
<p>それでは、いよいよ、ラファエロの最高傑作、『アテネの学堂』を見ていきましょう。</p>
<p> </p>
<h2 style="border-bottom: 1px solid #426579; border-left: 10px solid #426579; padding: 7px;"><span id="toc3"> ラファエロのオマージュ全開！『アテネの学堂』自分もこっそり登場？</span></h2>
<div id="attachment_5615" style="width: 566px" class="wp-caption alignnone"><a href="https://kenyu.red/wp-content/uploads/2021/02/The_School_of_Athens__by_Raffaello_Sanzio_da_Urbino.jpg" rel="lightbox[5602]"><img loading="lazy" decoding="async" aria-describedby="caption-attachment-5615" src="https://kenyu.red/wp-content/uploads/2021/02/The_School_of_Athens__by_Raffaello_Sanzio_da_Urbino.jpg" alt="" width="556" height="431" class=" wp-image-5615" srcset="https://kenyu.red/wp-content/uploads/2021/02/The_School_of_Athens__by_Raffaello_Sanzio_da_Urbino.jpg 431w, https://kenyu.red/wp-content/uploads/2021/02/The_School_of_Athens__by_Raffaello_Sanzio_da_Urbino-300x232.jpg 300w" sizes="(max-width: 556px) 100vw, 556px" /></a><p id="caption-attachment-5615" class="wp-caption-text">アテネの学堂</p></div><br />
<p>この絵は、ヴァチカンにある署名の間の壁画を飾っている絵画です。<br />名前からも分かるように、古代ギリシャの都市国家アテナイ(アテネ）のアカデミー(学堂）を描いたものです。<br /><br />見るだけでわくわくするような、古代ギリシャのスーパースターの偉人達のオンパレードです。<br /><br /><span style="border-bottom: solid 3px teal;"><strong>古代ギリシャの哲学者<br /></strong></span><br /><strong>プラトン</strong></p>
<div id="attachment_5619" style="width: 236px" class="wp-caption alignnone"><a href="https://kenyu.red/wp-content/uploads/2021/02/Platon.jpg" rel="lightbox[5602]"><img loading="lazy" decoding="async" aria-describedby="caption-attachment-5619" src="https://kenyu.red/wp-content/uploads/2021/02/Platon.jpg" alt="" width="226" height="533" class=" wp-image-5619" srcset="https://kenyu.red/wp-content/uploads/2021/02/Platon.jpg 215w, https://kenyu.red/wp-content/uploads/2021/02/Platon-127x300.jpg 127w" sizes="(max-width: 226px) 100vw, 226px" /></a><p id="caption-attachment-5619" class="wp-caption-text">プラトン(ダ・ヴィンチ)</p></div><br />
<p><strong>アリストテレス</strong></p>
<div id="attachment_5621" style="width: 230px" class="wp-caption alignnone"><a href="https://kenyu.red/wp-content/uploads/2021/02/aristoteles.jpg" rel="lightbox[5602]"><img loading="lazy" decoding="async" aria-describedby="caption-attachment-5621" src="https://kenyu.red/wp-content/uploads/2021/02/aristoteles.jpg" alt="" width="220" height="479" class=" wp-image-5621" srcset="https://kenyu.red/wp-content/uploads/2021/02/aristoteles.jpg 238w, https://kenyu.red/wp-content/uploads/2021/02/aristoteles-138x300.jpg 138w" sizes="(max-width: 220px) 100vw, 220px" /></a><p id="caption-attachment-5621" class="wp-caption-text">アリストテレス</p></div><br />
<p><strong>ヘラクレイトス<br /></strong></p>
<div id="attachment_5618" style="width: 261px" class="wp-caption alignnone"><a href="https://kenyu.red/wp-content/uploads/2021/02/Heracleitos.jpg" rel="lightbox[5602]"><img loading="lazy" decoding="async" aria-describedby="caption-attachment-5618" src="https://kenyu.red/wp-content/uploads/2021/02/Heracleitos.jpg" alt="" width="251" height="374" class=" wp-image-5618" srcset="https://kenyu.red/wp-content/uploads/2021/02/Heracleitos.jpg 371w, https://kenyu.red/wp-content/uploads/2021/02/Heracleitos-201x300.jpg 201w" sizes="(max-width: 251px) 100vw, 251px" /></a><p id="caption-attachment-5618" class="wp-caption-text">ヘラクレイトス(ミケランジェロ)</p></div><br />
<p><strong>ソクラテス<br /></strong></p>
<div id="attachment_5625" style="width: 270px" class="wp-caption alignnone"><a href="https://kenyu.red/wp-content/uploads/2021/02/socrates.jpg" rel="lightbox[5602]"><img loading="lazy" decoding="async" aria-describedby="caption-attachment-5625" src="https://kenyu.red/wp-content/uploads/2021/02/socrates.jpg" alt="" width="260" height="379" class="size-full wp-image-5625" srcset="https://kenyu.red/wp-content/uploads/2021/02/socrates.jpg 260w, https://kenyu.red/wp-content/uploads/2021/02/socrates-206x300.jpg 206w" sizes="(max-width: 260px) 100vw, 260px" /></a><p id="caption-attachment-5625" class="wp-caption-text">ソクラテス</p></div><br />
<p><strong>ゼノン<br /></strong></p>
<div id="attachment_5616" style="width: 188px" class="wp-caption alignnone"><a href="https://kenyu.red/wp-content/uploads/2021/02/zenon.jpg" rel="lightbox[5602]"><img loading="lazy" decoding="async" aria-describedby="caption-attachment-5616" src="https://kenyu.red/wp-content/uploads/2021/02/zenon.jpg" alt="" width="178" height="231" class=" wp-image-5616" /></a><p id="caption-attachment-5616" class="wp-caption-text">ゼノン</p></div><br />
<p><strong>ディオゲネス<br /></strong></p>
<div id="attachment_5624" style="width: 323px" class="wp-caption alignnone"><a href="https://kenyu.red/wp-content/uploads/2021/02/Diogenes.jpg" rel="lightbox[5602]"><img loading="lazy" decoding="async" aria-describedby="caption-attachment-5624" src="https://kenyu.red/wp-content/uploads/2021/02/Diogenes.jpg" alt="" width="313" height="279" class=" wp-image-5624" srcset="https://kenyu.red/wp-content/uploads/2021/02/Diogenes.jpg 447w, https://kenyu.red/wp-content/uploads/2021/02/Diogenes-300x268.jpg 300w" sizes="(max-width: 313px) 100vw, 313px" /></a><p id="caption-attachment-5624" class="wp-caption-text">ディオゲネス</p></div><br />
<p><strong> </strong></p>
<p><strong><span style="border-bottom: solid 3px teal;">数学者・科学者</span></strong></p>
<p><strong>アルキメデス<br /></strong></p>
<div id="attachment_5623" style="width: 300px" class="wp-caption alignnone"><a href="https://kenyu.red/wp-content/uploads/2021/02/Archimedes.jpg" rel="lightbox[5602]"><img loading="lazy" decoding="async" aria-describedby="caption-attachment-5623" src="https://kenyu.red/wp-content/uploads/2021/02/Archimedes.jpg" alt="" width="290" height="412" class=" wp-image-5623" srcset="https://kenyu.red/wp-content/uploads/2021/02/Archimedes.jpg 331w, https://kenyu.red/wp-content/uploads/2021/02/Archimedes-211x300.jpg 211w" sizes="(max-width: 290px) 100vw, 290px" /></a><p id="caption-attachment-5623" class="wp-caption-text">アルキメデス</p></div><br />
<p><strong>ピタゴラス<br /></strong></p>
<div id="attachment_5617" style="width: 301px" class="wp-caption alignnone"><a href="https://kenyu.red/wp-content/uploads/2021/02/pythagoras.jpg" rel="lightbox[5602]"><img loading="lazy" decoding="async" aria-describedby="caption-attachment-5617" src="https://kenyu.red/wp-content/uploads/2021/02/pythagoras.jpg" alt="" width="291" height="497" class=" wp-image-5617" srcset="https://kenyu.red/wp-content/uploads/2021/02/pythagoras.jpg 309w, https://kenyu.red/wp-content/uploads/2021/02/pythagoras-176x300.jpg 176w" sizes="(max-width: 291px) 100vw, 291px" /></a><p id="caption-attachment-5617" class="wp-caption-text">ピタゴラス</p></div><br />
<p><strong>ストラボン<br /><a href="https://kenyu.red/wp-content/uploads/2021/02/Strabo.jpg" rel="lightbox[5602]"><img loading="lazy" decoding="async" src="https://kenyu.red/wp-content/uploads/2021/02/Strabo.jpg" alt="" width="299" height="267" class="alignnone  wp-image-5622" /></a><br /></strong></p>
<p>さて、この中で、プラトンのモデルは、ラファエロが尊敬する大先輩、ダ・ヴィンチ、そして、ヘラクレイトスは、ミケランジェロがモデルだと言われています。<br /><br />明らかに、これはラファエロのオマージュでしょう。<br /><br />そして、ストラボンと思われる人の集団の中に、こっそりラファエロ自身が描きこまれています。</p>
<div id="attachment_5620" style="width: 170px" class="wp-caption alignnone"><a href="https://kenyu.red/wp-content/uploads/2021/02/Raffael.jpg" rel="lightbox[5602]"><img loading="lazy" decoding="async" aria-describedby="caption-attachment-5620" src="https://kenyu.red/wp-content/uploads/2021/02/Raffael.jpg" alt="" width="160" height="255" class=" wp-image-5620" /></a><p id="caption-attachment-5620" class="wp-caption-text">ラファエロ</p></div><br />
<p>巨匠たちに遠慮してか、こっそりと端っこに…<br />このあたりが、ラファエロの礼儀正しさ、人の良さの現れだと思います。<br /><br />それにしても、すごい光景ですよね。<br />こんな学校が本当にあるのなら、本当に通いたいものです(笑)</p>
<h2 style="border-bottom: 1px solid #426579; border-left: 10px solid #426579; padding: 7px;"><span id="toc4">まとめ</span></h2>
<div style="padding: 20px; padding-bottom: 0px; border: solid 2px darkblue; border-radius: 10px; background-color: palegreen; margin-top: 30px; margin-bottom: 30px;">
<div style="padding: 20px; border: 2px solid darkblue; border-radius: 10px; margin-top: 30px; margin-bottom: 30px; text-align: center; background-color: darkgreen;"><span style="color: #ffffff;"><strong><span style="font-size: 20px;"><img loading="lazy" decoding="async" src="https://kenyu.red/wp-content/uploads/2015/06/Check-300x141.png" alt="Check" width="60" height="28" class="alignnone  wp-image-3155" srcset="https://kenyu.red/wp-content/uploads/2015/06/Check-300x141.png 300w, https://kenyu.red/wp-content/uploads/2015/06/Check.png 577w" sizes="(max-width: 60px) 100vw, 60px" />ルネサンスの絵画<br />ラファエロ・サンティ</span></strong></span></div>
<p><span style="font-size: 20px;"><strong><img loading="lazy" decoding="async" src="https://kenyu.red/wp-content/uploads/2015/06/allowrd_r1-150x150.png" alt="allowrd_r1" width="25" height="25" class="alignnone  wp-image-3044" srcset="https://kenyu.red/wp-content/uploads/2015/06/allowrd_r1-150x150.png 150w, https://kenyu.red/wp-content/uploads/2015/06/allowrd_r1.png 201w" sizes="(max-width: 25px) 100vw, 25px" /> 天才ラファエロ 37歳という短い人生<br /></strong></span></p>
<ul>
<li><b>37歳という若さで亡くなっているが多くの作品を残している</b></li>
<li><b>後の新古典主義では、このラファエロの絵画がお手本</b></li>
</ul>
<p><strong><span style="font-size: 20px;"><img loading="lazy" decoding="async" src="https://kenyu.red/wp-content/uploads/2015/06/allowrd_g1-150x150.png" alt="allowrd_g1" width="25" height="25" class="alignnone  wp-image-3042" srcset="https://kenyu.red/wp-content/uploads/2015/06/allowrd_g1-150x150.png 150w, https://kenyu.red/wp-content/uploads/2015/06/allowrd_g1.png 201w" sizes="(max-width: 25px) 100vw, 25px" /> 天才だが礼儀正しい人格者</span></strong><span style="font-size: 20px;"><span style="font-size: 16px;">　　</span></span></p>
<ul>
<li><b>フィレンツェに来る際、ウルビーノ公子からの書簡に、聡明かつ礼儀正しい好青年で定評があるとの記載がある</b></li>
<li><strong>ヴァザーリの著作に、パロトンや助手達をうまくまとめあげていく技量があったことを褒めている</strong></li>
</ul>
<p><span style="font-size: 20px;"><strong> <a href="https://kenyu.red/wp-content/uploads/2015/06/allowrd_or1.png" rel="lightbox[5602]"><img loading="lazy" decoding="async" src="https://kenyu.red/wp-content/uploads/2015/06/allowrd_or1.png" alt="" width="24" height="23" class="alignnone  wp-image-3043" srcset="https://kenyu.red/wp-content/uploads/2015/06/allowrd_or1.png 201w, https://kenyu.red/wp-content/uploads/2015/06/allowrd_or1-150x150.png 150w" sizes="(max-width: 24px) 100vw, 24px" /> <span class="fa fa-sign-out internal-icon anchor-icon"></span></a>聖母子の画家、そして大作『アテネの学堂』<br /></strong></span></p>
<ul>
<li><b>37歳の生涯で、約50作もの聖母子像を描いた</b></li>
<li><strong>スーパースターのオンパレード、そしてフィレンツェの二大巨匠ダ・ヴィンチとミケランジェロへのオマージュ的作品「アテネの学堂」</strong></li>
</ul>
</div>
<h2 style="border-bottom: 1px solid #426579; border-left: 10px solid #426579; padding: 7px;"><span id="toc5"> あとがき</span></h2>
<p>ルネサンスの三大巨匠の中で、ラファエロは、ちょっと地味な印象があるんですが、ヴァチカンの『アテネの学堂』は本当に素晴らしいです。</p>
<div id="attachment_4316" style="width: 117px" class="wp-caption alignright"><a href="https://kenyu.red/wp-content/uploads/2015/08/084160-225x300.png" rel="lightbox[5602]"><img loading="lazy" decoding="async" aria-describedby="caption-attachment-4316" src="https://kenyu.red/wp-content/uploads/2015/08/084160-225x300.png" alt="" width="107" height="143" class=" wp-image-4316" /></a><p id="caption-attachment-4316" class="wp-caption-text">KEN</p></div><br />
<p>壁面に合わせて、半円の形状なんですが、それをちゃんと計算した構図で、ドラマチックに古代ギリシャの偉人達を描いた作品は、見ているだけで、本当にドキドキする作品です。<br /><br /><br />オマージュ作品とはいえ、ダ・ヴィンチをちゃんと敬っている感じ、そして、ミケランジェロは少し、その人の偏屈さもしっかり漂わせているところは、表現者としてさすが…という感じでしょうか。<br /><br />自分を控えめに、そっと入れているあたりも、ラファエロの人となりを感じさせて、この人が、ダ・ヴィンチやミケランジェロの様に、もっと長生きをして、もっともっと作品を作っていたらと想像をすると、残念でなりません。<br /><br />知れば知るほど、ラファエロからは、とても知的で真摯な姿が浮かび上がってきます。<br />まさに、知をもって絵画を通してイデアを目指していく、新プラトン主義を体現したような生き方であったように思います。</p>
<p> </p>
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<p> </p>
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<p> </p>
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