ルネサンスの絵画シリーズの最後を飾るのは、ラファエロです。
日本では、ダ・ヴィンチ、ミケランジェロ人気がすごくて、ラファエロというと、少し人気は落ちるかもしれませんが、ヨーロッパでは、ルネサンスの絵画といえばラファエロです。
特に、フランスの芸術アカデミーでは、新古典主義といってラファエロの絵画をお手本としたスタイルが確立されていて、あの、ドラクロワのロマン派や、ギュスターブ・モローの象徴主義、そして、モネやルノワールの印象派(印象主義)が登場する時代に至っても、なおラファエロの絵画とは違うものはアカデミーには認められないという流れがありました。
つまり、20世紀になろうという時点に至ってなお、15世紀ルネサンスの画家ラファエロの絵画が、画壇の頂点に君臨し続けたという事なんです。
いや、それってすごいことですよね!
そんな、ルネサンス期の”ラスボス”とも言える、巨匠ラファエロについて、今回は迫っていきたいと思います。
ラファエロ・サンティ 天才でありながら礼儀正しい人格者
ラファエロ・サンティ
これがラファエロのフルネームです。
1483年、ウルビーノ公国(都市国家)で誕生
父 ジョヴァンニ・サンティは、ウルビーノ公国の宮廷画家をしていました。
8歳で母(マージア)を、そして11歳で父(ジョヴァンニ)を亡くし、孤児になっています。
しかし、父が亡くなった時、既に父の工房を助けるほどの存在となっていて、更に、この頃、ペルジーノの工房でも修行をしていました。
基本的に、放浪生活をしていたラファエロですが、フィレンツェには20歳頃、4年間ほど滞在していました。
ウルビーノ公子から、フィレンツェの行政長宛の書簡が残っていますが、ラファエロについて、芸術的才能に溢れ、そして、とても聡明 かつ礼儀正しいことで評判の青年というような内容の文章が書かれています。
天才でありがちな、ちょっと偏屈であったり、人と上手くやっていけない感じではなく、人格者だったことがうかがえます。
ラファエロの人格者ぶりは、これ以外にも、同時期のフィレンツェの巨匠ヴァザーリが、ラファエロの工房の経営について、パトロンや工房で働く者たちをうまくまとめあげていく手腕があったと、著作の中に記しています。
ミケランジェロは、これとは対照的でパトロンや助手達と常にもめごとを起こしていたと記載しています(笑)
さて、話をもとに戻して…
ラファエロは、フィレンツェ滞在の間に、ダ・ヴィンチ(30歳年上)やミケランジェロ(7歳年上)の作品に影響を受けたと考えられています。
特に、ダ・ヴィンチの作品の影響を受けた作品が多く残されています。また、このフィレンツェ時代に、独自の作風が確立されていったと考えられています。
ラファエロは短命で、なんと37歳の若さで亡くなっています。
1508年から、ヴァチカンのローマ教皇ユリウス2世に呼ばれ、以降、亡くなるまで約12年間ほどローマに定住していました。
ヴァチカン宮殿の通称ラファエロの間の中の、ひとつで「署名の間」にある『アテナイの学堂』は彼の最高傑作のひとつといえる作品です。
それにしても、ラファエロは37歳の生涯とは思えなくらい、多くの作品を残しています。特に、聖母子の絵画は50点ほども、描いていていますよね。
さっそく、聖母子の絵画から見ていきましょう。
聖母子の画家ラファエロ 新プラトン主義の真骨頂
ラファエロは多くの、聖母子像の絵画を残していますが、その中でも有名なところを…
これは、ダ・ヴィンチの影響を受けている、聖母子像です。
ダ・ヴィンチは、絵の構図で三角形をとりいれていますが、その構図がまさに使われた聖母子像です。
こっちの聖母子像は、神々しくなく、なんだか普通の家庭の親子のスナップ写真的な感じです。
マリア様が、しっかりカメラ目線でかわいい聖母子になっていますよね。
この絵は、珍しい円形の絵画ですが、これは、新プラトン主義と呼ばれる影響で、円は新プラトン主義では”無限”を意味しています。
神の創造を模倣すること、より美しいものをリアルに描き出すことがイデアの探求であることだという考え
それでは、いよいよ、ラファエロの最高傑作、『アテネの学堂』を見ていきましょう。
ラファエロのオマージュ全開!『アテネの学堂』自分もこっそり登場?
この絵は、ヴァチカンにある署名の間の壁画を飾っている絵画です。
名前からも分かるように、古代ギリシャの都市国家アテナイ(アテネ)のアカデミー(学堂)を描いたものです。
見るだけでわくわくするような、古代ギリシャのスーパースターの偉人達のオンパレードです。
古代ギリシャの哲学者
プラトン
アリストテレス
ヘラクレイトス
ソクラテス
ゼノン
ディオゲネス
数学者・科学者
アルキメデス
ピタゴラス
さて、この中で、プラトンのモデルは、ラファエロが尊敬する大先輩、ダ・ヴィンチ、そして、ヘラクレイトスは、ミケランジェロがモデルだと言われています。
明らかに、これはラファエロのオマージュでしょう。
そして、ストラボンと思われる人の集団の中に、こっそりラファエロ自身が描きこまれています。
巨匠たちに遠慮してか、こっそりと端っこに…
このあたりが、ラファエロの礼儀正しさ、人の良さの現れだと思います。
それにしても、すごい光景ですよね。
こんな学校が本当にあるのなら、本当に通いたいものです(笑)
まとめ
ラファエロ・サンティ
天才ラファエロ 37歳という短い人生
- 37歳という若さで亡くなっているが多くの作品を残している
- 後の新古典主義では、このラファエロの絵画がお手本
天才だが礼儀正しい人格者
- フィレンツェに来る際、ウルビーノ公子からの書簡に、聡明かつ礼儀正しい好青年で定評があるとの記載がある
- ヴァザーリの著作に、パロトンや助手達をうまくまとめあげていく技量があったことを褒めている
- 37歳の生涯で、約50作もの聖母子像を描いた
- スーパースターのオンパレード、そしてフィレンツェの二大巨匠ダ・ヴィンチとミケランジェロへのオマージュ的作品「アテネの学堂」
あとがき
ルネサンスの三大巨匠の中で、ラファエロは、ちょっと地味な印象があるんですが、ヴァチカンの『アテネの学堂』は本当に素晴らしいです。
壁面に合わせて、半円の形状なんですが、それをちゃんと計算した構図で、ドラマチックに古代ギリシャの偉人達を描いた作品は、見ているだけで、本当にドキドキする作品です。
オマージュ作品とはいえ、ダ・ヴィンチをちゃんと敬っている感じ、そして、ミケランジェロは少し、その人の偏屈さもしっかり漂わせているところは、表現者としてさすが…という感じでしょうか。
自分を控えめに、そっと入れているあたりも、ラファエロの人となりを感じさせて、この人が、ダ・ヴィンチやミケランジェロの様に、もっと長生きをして、もっともっと作品を作っていたらと想像をすると、残念でなりません。
知れば知るほど、ラファエロからは、とても知的で真摯な姿が浮かび上がってきます。
まさに、知をもって絵画を通してイデアを目指していく、新プラトン主義を体現したような生き方であったように思います。
コメント