マネの『草上の昼食』です。
男女四人が、森にピクニックにでも来たのでしょうか?
それにしても、この一団は奇妙です。
女性の一人は水浴中、そしてもう一人は、はだか…
男性の方はいうと、二人ともピクニックには似つかないくらい、しっかりとした正装です。
男性同士は何か話し合っているようにも見えますが、女性は意味ありげな完全なカメラ目線。
見れば見るほど、不思議だし、なんだか怪しさも漂う絵画ですよね。
黒子の様な男性二人をバックにして、女性の白さが際立って、目に飛び込んできます。そして、その女性がこちらを見ているという、なんともインパクト大な絵画です。
しかし、実は、この絵には作者の功名な狙いがあったんです。
そして、この絵はルノアールやモネといった印象派の人達にも大きな影響を与えた記念碑的とも呼べる作品でもありました。
今回は、そんなセンセーショナルな問題作『草上の昼食』についてとりあげたいと思います。
エドゥアール・マネ作 『草上の昼食』 1863年サロンドパリ落選作品
さて、まずこの絵画について簡単に説明します。
作者は、19世紀 フランスを代表する画家 エドゥアール・マネ(1832年1月23日 ~ 1883年4月30日)です。
この「草上の昼食」は、1863年のサロン(サロンドパリ)と呼ばれる、フランス政府が主催する公式美術展覧会 、通称「官展」に応募した作品です。
しかし、結果は落選。
サロンで落選したようなダメな作品が、なぜこんなにも有名なのか?というと…
1863年、この年の審査は厳しく、あまりにも落選が多かったために、落選作品だけを集めた、落選展というものが特別に開催されました。当時は、ナポレオン3世の第二帝政の時期で、ナポレオン三世による特別な命令で、落選展が開催されたと伝えられています。
しかし、この『草上の昼食』はスキャンダルを巻き起こします。
超が付く問題作として、芸術アカデミーの人達から大バッシングを受けることになります。
その理由が、普通のリアルな女性の裸体を描くとはなにごとか!という、風紀を乱す破廉恥な許されざる作品としてのレッテルを貼られたのです。
ちなみに、この年(1863年)のサロンで絶賛された作品が、アレクサンドル・カバネルの『ヴィーナスの誕生』という絵画です。
確かに美しい絵画ですね。
でも、この絵画も横たわる女性の裸体であることには変わりなく、なぜ、マネの『草上の昼食』が非難ごうごうで、カバネルの『ヴィーナス誕生』は大絶賛なのか?
その答えは、神話の神を描いたカバネルに対し、マネはリアルな普通の人間を描いたからです。
時代を先取りした前衛芸術家としてのマネ
現在の私たちの世界では、ヌードデッサンや、そういった絵画は、ごく普通ですし、絵画展でもよく見かける題材です。
マネが活躍する、19世紀でもヌードは描かれていましたが、それは人間の女性としては描けない時代でした。
先ほどのカバネルの絵画も、人間ではなくヴィーナスとして描かれています。
ルネサンスの絵画などでも同じで、裸体として描かれるのは、必ずキリスト教関係、ギリシャ・ローマ神話関連の神々です。
特に女性ということであれば、それはほぼギリシャ・ローマ神話の女神たち(特にヴィーナス)といって間違いないでしょう。
この様に、どこにでもいるピクニックを楽しむ人々を、この様に描いてしまい、それを人の目にさらすということは、当時の空気としては許されざる作品として美術界の権威たちから、大バッシングを受けてしまったんですね。
しかし、実はこの絵画には、マネによって実は巧みな仕掛けが入り込んでいました。
それを次に、紹介します。
マネによって巧みに仕掛けられた『草上の昼食』の秘密
『草上の昼食』でピクニックを楽しむ四人の内、水浴をしている女性以外の三人ですが、くつろいで談笑する感じが、とてもよく表現されていて、安定した構図ですよね。
実は、これはマネによるオリジナルではなくて、この絵画の、この三人には元ネタがあるんです。
それが、16世紀にマルカントニオ・ライモンディの銅版画であり、この銅版画は、ラファエロの『パリスの審判』を基にしたものです。
この絵画の右下の三人の構図が、まさに『草上の昼食』とまったく同じです。
さて、アカデミーは写実的な新古典主義を進めていて、先ほどの、カバネルの『ヴィーナス誕生』の様な絵画がサロンでは入選していました。
そして、そんな新古典主義が、そのお手本としていたのが、「ラファエロ」です。
マネからすれば、あなたたちが、お手本とするラファエロを、ほとんどそのまま模写したに過ぎないのに、何がそんなに問題があるのですか? まさか、この構図が、ラファエロの『パリスの審判』であることを知らないわけではありませんよね??
そんな皮肉が込められているのではないかと、思われてなりません。
新しい絵画を模索し、時代、権威といったものと戦う、そんなマネを慕う若い画家達が集るのは当然といえば当然かもしれません。
落選展で、この作品を見た、そんな画家達からは、今まで見たことのない絵画であり、マネの絵の上手さもあって絶大な信頼を受け支持されることになります。
その画家たちこそが、後に印象派(印象主義)の画家となる、モネ達です。
頼れるマネ兄貴!印象派(印象主義)の画家たちのリーダー的存在
マネと印象派(印象主義)の人達が、親密に付き合うことになりリーダー的な存在となりますが、マネ自身は印象派(印象主義)の画家ではありません。
マネの画壇の権威に対抗した姿は、印象派(印象主義)の人達がサロンではなく、自分たちで「印象派展」を開催していくということにも、つながっていったのだと思います。
この『草上の昼食』はオマージュやインスピレーションを与え、モネやセザンヌといった画家や、後の時代では、あのピカソも自身の解釈を取り入れた作品として描いています。
この『草上の昼食』は、そんな時代を切り開いた近代絵画の幕開けを告げる一枚の絵画と言っても過言ではないでしょう。
まとめ
エドゥアール・マネ 作
1864年のサロンに出品も落選
落選があまりにも多かった為、ナポレオン三世の命令で、落選展が開催
・大スキャンダルの問題作として、アカデミーから目の敵に
しかし、実はラファエロの「パリスの審判」という絵画が元
(ラファエロは、アカデミーがお手本としている画家)
印象派の扉を開いたともいえる絵画
サロンの権威アカデミーにも対抗して自ら新しい絵画を開拓していくマネの姿に、「草上の昼食」を通して、後の印象派(印象主義)の若い画家たちが集うようになる。
マネは、彼らのリーダー的な存在となる。
後にサロンではなく、印象派(印象主義)の画家たちが、自らの印象派展を開催してくことにも、つながる。
あとがき
マネの絵は、プレ印象派などという分類のされかたもしますが、
やはり、印象派に関する分類に当てはめるのは、どうかな~…という感じがします。
確かに、印象派的な絵も描いてはいますが、おそらくは、皆の兄貴的な存在で、絵が抜群に上手かったマネのことだから、印象派(印象主義)的な手法(筆触分割)などを使っても、俺は描けるよ!といった感じで描いたに過ぎないような印象を受けます。
キリスト教やギリシャ神話でなくても、普通の人達を描いても、そこに意味をもたせることが出来るよ、という意味では、本当に革新的な絵画を描いたのだと思います。
マネの絵画は、知れば知るほど驚きがあり、他の誰とも違った魅力を醸し出している、そんな絵画だと思います。
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