三行半 (みくだりはん)
漢字だけ見ると・・・
「さんぎょうはん」 って読んでしまいます(笑)
テレビのドラマやワイドショーなどでは
「 三行半を、たたきつけてやった 」
「 ついに、三行半を、つきつけられたよ 」
「 三行半を、渡された形になりましたね 」
こんな使い方が、されています。
さて、そんな「三行半(みくだりはん)」
- 三行半(みくだりはん)って一体どういう意味なの?
- どうして、三行半(さんぎょうはん)と書くの?
気になりますよね?
今回は、そんな、三行半(みくだりはん)の意味を
次の2つのステップに分けて、お伝えしたいと思います。
- 意味が分かるレベル とりあえず意味さえ分かればいい!
- ウンチクレベル ウンチク語れるくらいに詳しく知りたい!
「てっとり早く、意味だけ知りたい」という方
⇒ STEP-1 の 意味が分かるレベルだけでOKです。
「人にウンチクが語れるくらい知りたい」という方
⇒ STEP-2 の ウンチクレベルまで、通して見て下さい。
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STEP-1 「意味が分かる」レベル
それでは、まず、てっとり早く意味を知りたい というレベルです。
三行半の意味
夫婦の 離縁状 のこと 江戸時代、夫婦の縁を切るときに離縁状の文を
三行半で書くならわしとなっていた
これを相手に渡す事で、離婚が成立した。
夫婦の離縁状のことだったんですね。
三行半というのは、そのフォーマット(書式)からきていた俗称です。
現代での「三行半」の使い方
冒頭で出てきた
「三行半をたたきつけた」
「三行半をつきつけられた」
といったことは、江戸時代においては、実際に離縁状という書状を
つきつける(られる) ことを意味しました・・・
しかし、現代では、離婚の時に、相手に絶縁状を人・・・・
まず、いないでしょう(笑)
それでも、言葉 などで相手に 「 離婚 」の意志を伝える(られる) ことを
今でも・・・
「 三行半 をつきつける(られる)」
といった言い方をします。
昔の名残りが、残っているんですね。
行(ぎょう)を 「くだり」と読む?
三行半 (みくだりはん)
行 を 「 ぎょう 」ではなく、「 くだり 」 と読んでいます。
実は、この 行をくだりと読む、使い方は、今でもあります。
例えば・・・
夏目漱石の「こころ」の文中に、次のくだりがある・・
といった言い方を、聞いた事がありませんか?
このくだりは「 行 」 のことを指し示しているんです。
- 三行半は夫婦の離縁状のこと
- 江戸時代には離縁状を三行半で書いたことが語源
- 現代では「離婚の意志」を相手に伝えることを「三行半」と呼ぶ
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STEP-3 「ウンチク」レベル
さて、ウンチクレベルです。
明治に入ってまとめられた、文例集(開花文例集)があります。
これには、年賀状の書き方や、暑中見舞いといったものから、
旅行中の留守を託す文や、花見に誘う文まであります。
その中に、「 離縁状 」がありました。
ここでは、三行半 どころか二行ですね(笑)
実際、江戸時代の離縁状には、確認されいるものの中に、三行半のものは
多いようです。
しかし、この様にさらに簡略化していたり5行くらい書かれたいるものもあります。
それにしても、文例集にまで載るというのは、驚きですね。
昔は、そんなに、離婚があったのでしょうか?
高かった江戸・明治の離婚率
厚生労働省の統計資料によると
現在の、離婚率(人口千対)は 1.7 ~ 2.1 程度で推移しています。
それが、明治の頃は 2.0 ~ 4.0 程度ありました。
江戸時代にはおそらく、離婚率(人口千対)5.0 程度あったという
研究者の調査結果もあります。
離婚が多いと思っていた現代の、2倍から3倍 もあったんですね!
驚きました(笑)
三行半の由来
江戸時代以前には、三行半(離縁状)は確認がされていません。
最古のもので、1667年(寛文7年 徳川六代将軍 家宣の時代)に
書かれたものが見つかっています。
(これは三行半という書式が出来る前のもの)
なぜ、三行半という書式ができたかには、いくつかの説があるようです。
一説では・・・
奈良時代の律令制において、棄妻(きさい)という制度があり
夫が、妻を一方的に離縁できる制度がありました。
棄妻をするには、条件があって
「50歳まで子供が産めなかった」
「夫の両親に従わない」
など、全部で七つある原因を、妻が起こした場合のみ離縁できます。
この七つの原因を、七出之状(しちしゅつのじょう) と言いますが、
この七つを半分にした、三つと半分
それを、三行半の書式にしたといわれています。
三行半は 夫 ⇔ 妻 両方向?
律令制度において、棄妻(きさい)があるのなら、棄夫もあるのか?
というと、これはありませんでした。
あくまで、夫が七出之状において、一方的に離縁できる制度です。
これに対して、江戸時代の三行半(離縁状)は、どうだったかというと、やはり夫からの一方的なものでした。
もしも、女性が離婚したい場合には、「駆け込み寺※ 」に訴えるしかありません。
こちら ⇒ 駆け込み寺の意味って?江戸のしきたりが面白すぎる!
ただ、江戸時代は、離婚そのものも、現代と同じで二人で協議の上で離婚するケース
が多かったといいます。
さらには、夫から理不尽な三行半を受けた場合には、妻は金銭の要求もできたそうです。
この時代から、慰謝料・・・あったんですね~(笑)
三行半を書かずに再婚した場合
これは、男女共に厳しく罰せられたとあります。
- 女性は、剃髪の刑
- 男性は、追放の刑
江戸時代というと、なんだか、このへん適当なのかなぁ~と思いきや。
けっこう、きちんと管理がされていて厳しかったんですね。
- 江戸時代の離婚率は、現在の2~3倍と思われる
- 現在最古の離縁状は、徳川六代将軍 家宣の時代のもの(1696年)
- 三行半という書式は、奈良時代の律令制度にある棄妻(きさい)の七つの原因
この七の半分をとったというもの(一説)
- 三行半無しに再婚した場合、女性は剃髪刑、男性は追放刑 に処せられた
あとがき
三行半(みくだりはん)、おもしろいネーミングですよね。
「ぷちぷち」(梱包緩衝材)に匹敵するんじゃないでしょうか(笑)
それにしても、最近、三行半といえば、女性が男性につきつけるイメージが すごく強いですね。
女性がどんどん自立し、男性の力を必要としなくなったからでしょうか?(笑)
ちょっと悲しい現実ですね・・・
それにしても、江戸や明治の頃は、現代より離婚率が高かったいうのには
驚きました。
よっぽどのことが無ければ、離縁なんか簡単には出来ないイメージがありました。
しかも協議離婚が多かったというのが、なんだか江戸文化の庶民のエネルギーを
あらためて感じた気がします。
江戸って面白いですね!
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