無知の知の意味とは?このソクラテスの名言が伝えるもの

無知の知  」 (むちのち) って知っていますか?

学生時代に習ったという方もいるでしょう。

でも、「知っている」と答えると・・・
  ソクラテスに知らないということを、証明されてしまいます(笑)

アテネの学堂
ラファエッロ・サンティオ作   アテナイの学堂( Scuola di Atene)

そう、この言葉は、ギリシャの哲学者「ソクラテス」の言葉です。

 
ギリシャ哲学っていうと、なんだか小難しい言葉や話をイメージしてしまうでしょう。

ここでは、そういった難しい言葉や話はなしで 「無知の知」の意味について、せまりたいと思います。

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無知の知とは?

まずは、この言葉「無知の知」について、サラッとおさらいしましょう。

無知の知とは

無知であることを、っている(自覚している) 

知らないっていう、そのことを、知っていますって事ですね。
 こういう言い回し、いかにも哲学っぽいですよね・・・(笑)

でも、それって一体何のこと?? っていう感じですよね。
言葉だけ見ていても、意味が分かりません。

それでは、この言葉の背景を見ていきましょう。 

デルフォイの神託(アポロン神殿)

ソクラテスには、カイレフォーンという友人がいました。

デルフォイ神託

デルフォイのアポロン神殿に行って、神託(神様のお告げ)を受けに行くんですが、そこで次の様に訪ねます。

ソクラテスより、知恵のある者がいますか?

アポロンからしたら・・・
「そんなことで、いちいち呼び出すなっ!」て怒りそうですよね(笑)

でも、この当時の、ギリシャの人達は、おみくじでも引く感じで、結構気軽に、神託を受けていたんです。
カイレフォーンは、きっと世の中にソクラテスより、知恵者はいないって思ったんでしょうね。

さて、神託の答えは・・・・

「 いない  」  でした。

これが、ソクラテスに伝わるんですが、 ソクラテスは自分が知恵があるとは思っていないので 「そんなバカな、 そんなはずがない」と言って、聞き入れません。

聞き入れないどころか、賢者と呼ばれる人達のところに確認しに行きます。

ところが、その人達と会って話す中で、賢者と呼ばれている彼らにも、「知恵が無い」ということに気づきます。

そして、ソクラテスは、ある結論に達します。

無知の知

ソクラテスが出した結論は、こうでした。

彼らは、私と同じだ、善美について知らない。
ただ、彼らはそれを知らないのに知っているつもりでいる、私は知っているとは思っていない。そこが、違いだ。

この違いがある分、ソクラテスの方が、まだ知恵があるというのです。

善美・徳

さて、ここで、『 善美 kalon kagathon )』という聞きなれない言葉が出てきました。

ソクラテスは、知恵のある者 の条件として、この善美を知っているか、ということを掲げています。

善美とは、見た目の美しさだけでなく、倫理的・道徳的な美しさの意味を含みます。
日本語に単純に置き換えるなら、「 徳 」 になります。

ソクラテス
ソクラテス BC469頃 – BC399

徳 といっても、それもいわれて、すぐピンとくる言葉ではないですよね。

 簡単に言うと、徳とは、自分にとっても、相手にとっても、更には、社会にとっても善(よ)いことです。

それを知っている者が、唯一、「知恵のある者」として認められる・・・と、 ソクラテスは、考えていたんですね。

ソクラテスが、賢者と呼ばれている人達との対談の中で、「無知の知」の結論に達しますが、それは、同時に、人間は善美を追い求めなくてはいけないが、永遠に手には入らない。
という事への気づきでもありました。

言葉を変えれば、善美を持つもの、それこそが、神ということです。

ソクラテスって鼻持ちならない傲慢(ごうまん)な人?

ソクラテスは、賢者と呼ばれる人と対談をします。
その対談(問答)を通して、相手が真の知恵者かどうかを、探るのが目的でした。

結局、全員ソクラテスに反論されてしまいます。
賢者と呼ばれていただけに、メンツは丸つぶれ、恥をかかせられたことになります。044537

ガマンできないほど不快な人を、「鼻持ちなら無い人」と言いますが、ソクラテスはまさにそんな感じの、印象を相手から持たれたことでしょうね。

ソクラテスのやってることって、例えれば・・・

東大を、首席で卒業して、鳴物入りで政界に入りし、瞬く間に入閣した大臣のところに行って、けちょんけちょんに言い負かしたあげく

「いや~俺も頭悪いけど、それを自覚している分、あんたよりはましだね・・・」

と言っているようなものですからね(笑)

しかし、実は、ソクラテスを理解する上で、ここが大事なところです。

ソクラテスは、この対談を通して、決して「無知の知」を知っている自分の方が、賢いということを証明していたわけではありません。

ソクラテスが証明していたのは、デルフォイの神(アポロン)の神託の証明をしていたんです。

そして、人間は、とても神の様な知恵者にはなれない、その事を知った上で、知恵を追い求めなければならないと考えました。

それが、デルフォイの神託(アポロンのお告げ)の意味で、ソクラテスは、それを伝えていく事が自分の使命だと考えていました。

鼻持ちなら無い傲慢(ごうまん)な人は、ソクラテスからすれば、まるで神のごとき知恵者だと信じている賢者と呼ばれる人達だったということです。

 さて、ではソクラテスが、一体どんな方法で、相手の無知を証明したのか?

その方法を、次に紹介します。 

ソクラテスのエレンコス(反論)

ソクラテスは、基本的にテーマを与えて、それについて相手に考えを述べさせます。

それに対して、ソクラテスが矛盾やあいまいさを指摘するような反論する形で進みます。
(この反論の事を、エレンコスと言います)

パターンとしては、次の様な感じです。

  ソクラテスのエレンコス(反論)  
  1. ソクラテスが何か問題を出す
  2. 相手が、回答する ・・・・・・・・・回答X
  3. ソクラテスが別の問題を出す
  4. 相手が、回答する ・・・・・・・・・回答Y
  5. ソクラテスが、回答X と 回答Y の矛盾を指摘

 具体な、例を見てみましょう。

エレンコス(反論)具体例

これは、ソクラテス(左)とラケース(右)との対話です。
ラケースが行き詰って、途中でニーキアース(右)に代わります(笑)

ソクラテス
勇気とはなんでしょう?

ニーキアース
敵と戦って逃げ出さない人が勇敢な人のことだ。

ソクラテス
しかし、逃げながら勇敢に戦う人もいます。それに、別に戦場でなくたって勇敢な人はいますよ。

ソクラテス
ラケースさん、私が聞いているのは、どんな人が勇敢かではありませんよ。そういう方達が共通に持つ、勇気とは何かです。

ニーキアース
そ、それは 忍耐のことだ。

ソクラテス
勇気は、素晴らしいもので賞賛に値します。でも、目的の無い無思慮な忍耐は、とても賞賛に値しませんよ。

ニーキアース
ただの忍耐ではなく、思慮のある忍耐に訂正する。

ソクラテス
思慮のある忍耐でも、色々あります。

ソクラテス
例えば、敵に囲まれた時に、もうすぐ援軍が来る事が分かっていて、耐えているような忍耐は勇気があるとは思えません。

ニーキアース
そ、それは・・・。

ラケース
私が代わろう 勇気とは、恐れるべき事と、恐れるべきでないことを知っていることだ。

ソクラテス
勇気というのは、徳の中の一部ですよね?

ラケース
その通りだ。

ソクラテス
恐れるべき事と、そうでないことを知っているというのは、善悪について知っていると言い換えるえられますよね?

ラケース
そう言い換えられるな。

ソクラテス
善悪についての知は、徳全体の定義といえますよね?

ラケース
そういえる。

ソクラテス
勇気は徳の一部分でしか無かったはずですよ、恐れるべき事と、恐れるべきでないことの知は、勇気とは何かを伝える正確な言葉ではありません。

こんな感じです。

あらゆる勇気に当てはまって、しかも、勇気以外のものには絶対に当てはまらない、そんなことを定義できない限り、ソクラテス反論されてしまいます。

全ての、善美に対して、そんなことが出来る人間なんていません。

ソクラテスは、権力者だろうが誰であろうが、こうやって無知を証明していきます。
ただ、これが後に悲劇を生むことになってしまうんです。

最後に、それをお伝えします。

ソクラテスの最後

ソクラテスは、権力者にうとまれ、神を冒涜(ぼうとく)しているという無実の罪で訴えられ、裁判を受けることになります。

そして、あろうことか、死刑宣告を受けることになります。
ソクラテスは、それを受け入れることになります・・・

David_-_The_Death_of_Socrates
ジャック=ルイ・ダヴィッド作 ソクラテスの死(Mort de Socrate)

なぜソクラテスは、裁判で勝てなかったのか?
ソクラテス自身が、最強の弁護士であったはずなのに・・・って思いませんか?

私も、そう思いました。
どんな知恵者も、ソクラテスには反論されてしまうんですから・・・・

しかし、実は、そう思ってしまうということは、賢者との問答による、ソクラテスの「無知の知」について理解をしきれていません(笑)

ここが、ソクラテスを理解する上で、なかなか難しいところです。
というのも、ソクラテスの様な人は、この世の中に、いません。

先ほども、言ったとおり、ソクラテスにとって、「無知の知」を人々に理解させることは、神からの使命であって、決して自分の賢さを見せ付けるためのものではありません。

決して、自分のためにディベート(討論)で相手を打ち負かしていたわけではないという事です。

なので、この裁判に際しても、ソクラテスの考えは同じです。
神からの使命は、何か? ということでした。

それを、貫いた結果、その使命を放り出して生きることではなく、使命を果たすために、死をも受け入れるということだったんです。

ソクラテスの死は、そういう意味で、神の意志を貫くための、殉教(じゅんきょう)と言ってもいいですし、また、真の知恵を求める哲人としての、殉職(じゅんしょく)と言ってもいいかもしれません。

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まとめ120591

   無知の知とは?  

知らないということを、知っている(自覚している)

  • ギリシャの哲学者ソクラテスの言葉133948
  • 「徳」を持っていると勘違いしている人を諭すために用いられた
  • 対話形式(問答法)で、エレンコス(反論)よって相手を諭した
  • 人々にそれを伝えることを神からの使命と感じていた

あとがき

ソクラテスって、吉田松陰とかぶるんですよね。 084160

やると決めたら、相手が誰であろうとおかまいなし。

吉田松陰も、アメリカに勝つには、アメリカからその技術を学ばないと勝てないといって、黒船に乗り込み、ペリーを驚嘆させます。
また、自分の意志を曲げることなく、死をもあっさりと受け入れています。

ソクラテスも、吉田松陰も、危なっかしくて弟子はいつも、ひやひやしていたようです(笑)

でも、こういう人達が残したものは、本当に高潔で偉大ですよね。
自分を振り返ると、恥ずかしくなります・・・(笑)

  

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「無知の知の意味とは?このソクラテスの名言が伝えるもの」への2件のフィードバック

  1. すごくよくできたHPですね。

    「無知の知」を人々に理解させることは、神からの使命であれば,もっと生きて人々に普及させればよかったのに。なぜ死んじゃったんですかね、疲れたのかな。

    また「悪法も法なり」と言って死んだなら罪なことを言いましたね。ソクラテスを前例として悪法によって後々多くの人が殺されてしまう。

    結局正しいとは(善とは)何か分かっていなければすべての討論は無意味ですね。
    人類はソクラテスの時代から一歩も進歩していない、悲しいことです。

    1. コメントありがとうございます。
      お褒めにあずかり光栄です。

      ギリシャ哲学は、プラトンも含め分かったようで実はよく分かっていない事が多いです。
      普段、宗教観もなく、また、国家や公共の何かの為にといった生き方をしていないので、どうも使命感というものが理解しきれずにいるんだと思います。

      いや〜本当に、その通り!
      ギリシャやローマ時代から進歩してませんよね(笑)

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