ルネサンスの絵画とは?ミケランジェロ!彫刻だけかと思いきや…

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Daniele da Volterra (Daniele Ricciarelli) (Italian, Volterra 1509–1566 Rome) Michelangelo Buonarroti (1475–1564), probably ca. 1544 Oil on wood; 34 3/4 x 25 1/4 in. (88.3 x 64.1 cm) The Metropolitan Museum of Art, New York, Gift of Clarence Dillon, 1977 (1977.384.1) http://www.metmuseum.org/Collections/search-the-collections/436771


Michelangelo


ミケランジェロといえば、ルネサンスを代表する彫刻家のイメージが強いかもしれません。

フィレンツェをはじめ、ローマやミラノにも、ミケランジェロの有名な彫刻を見ることができます。

しかしながら、ミケランジェロは画家としても、素晴らしい作品を残しています。

中でも、システィーナ礼拝堂の天井画、そして壁画『最後の審判』は、ルネサンスを代表する絵画で最高傑作といってもいいくらいです。

今回は、ルネサンスの絵画シリーズ、ミケランジェロについて迫っていきたいと思います。

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ルネサンスの本当の『万能の天才』はダ・ヴィンチではなくミケランジェロ?

ルネサンス期の、『万能の天才』といえば、レオナルド・ダ・ヴィンチですよね。

日本では、それが定着していて、疑う人はほとんどいないかもしれません。

そして、ダ・ヴィンチ以外に『万能の天才』という呼び名で思いつく人物は出てこないでしょう。

もちろん、ダ・ヴィンチは絵画や彫刻といった芸術に限らず、戦車、飛行装置といったものから、舞台装置にいたるまで、ありとあらゆる分野に手を出していたことで有名です。

それと比較すると分野的には狭まるのかもしれませんが、ミケランジェロは、ルネサンス期において、彫刻、絵画だけでなく、建築の分野でも偉大な足跡を残した人として高い評価を受けています。

しかも、実は、レオナルド・ダ・ヴィンチは、様々な分野に手は出すものの、その9割程度は完成に至っていません。
完成できないアイデアがほとんどだったと言います。

その点、ミケランジェロは、各分野で多くの物を残し、そのどれもがルネサンスを象徴するようなものとして、現在まで大切に引き継がれているものが多くあります。

そんなミケランジェロですが、いったい、どんな人物だったのか簡単なプロフィールをご紹介します。

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 真面目で、ちょっと傲慢な ミケランジェロ・ブオナローティー

レオナルド・ダ・ヴィンチはフルネームで言えても、ミケランジェロをフルネームで言える人は少ないかもしれません。

ミケランジェロ・ブオナローティー

これが、彼のフルネームです。

ミケランジェロは1475年に、フィレンツェ共和国の郊外のカプレーゼ村で生まれています。

生後、数か月でフィレンツェの町に引っ越し、父は大理石の採石場の経営者でした。

ミケランジェロが彫刻に目覚めるきっかけは、このあたりにもあったようですね。

ギルランダイオの工房に13歳で弟子入りすると、めきめきと頭角を現します。

この後、フィレンツェのメディチ家に認められ、メディチ家が設立したプラトン・アカデミーに入り、様々な芸術家、詩人らとの交流を持つことになります。

この頃、同じくメディチ家の援助で彫刻を勉強していた3歳年上の兄弟子であるピエトロ・トッリジャーノの作品をバカにしたため、顔を殴られ鼻を折られています。
これが原因でミケランジェロの鼻は曲がってしまい、そのため、彼の肖像画の多くは鼻が曲がって描かれています。

やはり若くから才能にあふれ、メディチ家からもちやほやされていたので、少し傲慢なところがあったようです。


この後、ヴァチカンで「ピエタ像」の制作、そしてフィレンツェで「ダビデ像」の制作などを行い、ミケランジェロの名声はヨーロッパ中に鳴り響くことになります。

スーパーエリートの、ミケランジェロは教皇にもメディチ家にも愛され、ヴァチカン、フィレンツェと数多くの作品の依頼を受け、ひたすらそれらを作り続けるという生涯を過ごしました。
80歳を超えて、なお作品を作り続け、88歳で亡くなっています。

そんな、ミケランジェロが30歳代となった時に、依頼を受けたのが、ヴァチカンのシスティーナ礼拝堂の天井画です。

ルネサンスを代表する絵画ともいえる、この作品を、次にじっくりと見ていきましょう。

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 ルネサンス期最大の傑作絵画『システィーナ礼拝堂の天井画』そして『最後の審判』

システィーナ礼拝堂 天井画


どうですか?
この圧倒的な迫力感…

実は、この天井画、四年がかりでミケランジェロ一人で描ききったと言われています。

アダムの創造


楽園の追放


入口から、アダムの創造、そして楽園の追放(失楽園)など、聖書の流れに沿って順に描かれています。

ミケランジェロは、ヘレニズム(ギリシア文明)的な、とにかく人の肉体を表現したくて仕方のない人。
だから、彼の描く作品は、とにかく裸(はだか)が多い。

そこは、やはり、もともとは彫刻家がベース。

この当時、起きていた絵画と彫刻の、どっちが偉い的な論争でも、もちろんバリバリの彫刻派で、絵画派のダ・ヴィンチと対立していました。

ちなみに、ダ・ヴィンチは、ミケランジェロの肉体表現を、袋にごろごろ石を詰めたような表現と、揶揄しています。

肉体を描くのに、解剖までして筋肉や骨の組成をきちんと表現するというダ・ヴィンチとは、まるでアプローチが違いました。

ミケランジェロは、60歳になって再びシスティーナ礼拝堂での作業の依頼を受けます。
あの有名な『最後の審判』の壁画の依頼です。

鑑賞者は、入口に入ると天井を見上げ、聖書の話を絵画で順にたどると、最後に祭壇側の壁に行き着き、そこが『最後の審判』ということになります。

最後の審判


この壁画は、中央の腕をふりあげているイエス・キリストを中心に、審判を受けて天国へ行くものと、地獄に落ちるものの様子が描かれています。

ここには、いくつか面白い絵が描かれています。

聖人バルトロマイが持つのは、ミケランジェロ自身を描いたと言われる抜け殻。


そして、この絵を視察にきた、儀典長が、あまりの裸の多さに驚愕して「着衣をさせよ」と絵画を非難されたことに、ミケランジェロは憤慨し、この儀典長を地獄の判官ミノスに仕立て上げています(絵の右下端)

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余談:幻の対決 ダ・ヴィンチ(51歳) vs ミケランジェロ(29歳)

アンギアーリの戦い


カッシーナの戦い


偉大な先輩だろうが、どこ吹く風のミケランジェロ。
そんなミケランジェロとダ・ヴィンチが、実は絵画で対決をしたことがあるんです。

それは、フィレンツェのヴェッキオ宮殿にある、五百人広間と呼ばれる大広間の向かい合う壁面にそれぞれ、壁画を描くというものでした。

ダ・ヴィンチは『アンギアーリの戦い』そして、ミケランジェロは『カッシーナの戦い』という題材で、実際に描き始めたのですが、ダヴィンチは、フレスコ画という壁画の技法が嫌いで、今までにない壁画の描き方をしたのですが、それがあだとなって、絵具が流れ落ちてしまい失敗。

ミケランジェロも製作途中で、ヴァチカンに呼ばれてしまい、こちらも完成せず。

夢の対決?競演?は、ついに実現しませんでした。

 

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まとめ

Checkルネサンスの絵画
ミケランジェロ・ブオナローティー

allowrd_r1 メディチ家、ヴァチカン(教皇)もとりこに

  • ギルランダイオ工房、メディチ家で瞬く間に実力を開花
  • ヴァチカンからも仕事依頼を受けるスーパーエリート

allowrd_g1 真面目だが、ちょっと傲慢な性格  

  • 兄弟子の作品を非難し、鼻を折られる
  • 大先輩のダ・ヴィンチにも真っ向から対立
  • 80を超えてもなお、作品の依頼をひたすらこなしていた

 絵画の大作 システィーナ礼拝堂

  • 聖書を絵物語のようにした天井画
  • 祭壇側の壁面に描いた「最後の審判」
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 あとがき

実は、もともと、ミケランジェロの大理石の彫刻は好きでしたが、絵画は好きではありませんでした。

ダ・ヴィンチではありませんが、なんだか筋肉が異様にボコボコしていて少し気持ち悪い感じがしたんです。

サンピエトロ寺院にある「ピエタ像」の様に繊細な体つきの人物を描いてもいいような気がするのですが、絵画となると何故か異様なマッチョだらけ(笑)

ところが、システィーナ礼拝堂の天井画と壁画の、実物を見たら、本当に圧巻でした。

システィーナ礼拝堂は、それこそローマ法王のお膝元なので、静かに鑑賞しなければならず、場内がざわつくと静かにするように警告されます。

しかし、こんな絵を見て、ざわつくなというほうが無理。
ざわついては、「シーッ!」 また、ざわついては「シーッ!」の繰り返しでした。

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