阿修羅(あしゅら)って人気がありますよね。、
仏像の展覧会でも、興福寺の阿修羅像(国宝)が出展されると、観客動員数が増えるようです。
マンガやゲームなどでも、阿修羅は常に、人気のキャラクターですよね。
姿は、異様だけど、シンメトリーでバランスがとれていて、何か神秘性を感じさせます。
でも・・・
阿修羅って、一体どういう存在なんでしょう?
なぜ「顔が3面」「手が6本」なのか?
その意味は?
今回は、そんな「阿修羅」について迫りたいと思います。
阿修羅って一体何者?
まずは、阿修羅って一体何者のなのか?
そこから見ていきましょう。
阿修羅とは興福寺の仏像(国宝)が有名です。
お寺にある仏像なのだから、阿修羅は、仏教からルーツ?
実は、これが違うんです。
元は、古代インドの神様で、名前は「アスラ」と言います。
その音読みから、日本語では「阿修羅」という字があてられたようです。
アスラの「ア」は、否定を意味しています。
「スラ」のほうは、「 神」 という意味と、「酒」という意味の2つがあります。
この2つのどちらをとるかで、アスラの解釈が分かれています。
神ではない者
「 スラ=神 」と解釈するほうは、ア(否定) ・ スラ(神)なので
「神ではないもの」という意味になります。
神の様な力を持っているのに、神ではないもの。
じゃ、悪魔!? かというと、 悪魔ではないんだそうです。
ちょっとイメージしにくい存在ですよね(笑)
あえて例えるなら・・・
スターウォーズの「ダースベイダー」ってところでしょうか・・・?(笑)
では、ア(否定) ・ スラ(酒) のほうはどうでしょう。
禁酒の神様
酒を否定するので、禁酒の神様 ということになります。
なんか、イメージが
一気に、ダースベイダーから、飲酒運転取締りの、おまわりさんに・・・(笑)
インド神話で、アスラがなぜ禁酒の神となったのか、これが、実はひどいんですよ・・・・
アスラが、海の水が塩辛いのが気に入らなくて、様々な花や植物をとってきて、海に投げ入れるんですけど、味が変わらない。
そのことに、キレて酒を断ったことから、酒を飲まない神になった(禁酒神 または 無酒神)
読んでいて、ほとんどの人が「オイオイ・・・」ってなると思います(笑)
さて、次に紹介するエピソードでは、阿修羅の実像に迫っていきます。
戦い挑み続ける者
インド神話において、アスラは、インドラ(力の神)とずーっと、戦っています。
インドラは、インド神話最強の神です。
「インドラの光」と呼ぶカミナリ(稲妻)を武器にしています。
まさに、ギリシャ神話の最高神ゼウスと同じ武器です。
アスラが、いくらい強いとはいえ、インドラには永遠に勝つ事が、できません。
アスラは、なぜ勝てない相手にずっと戦いを挑んでいるのでしょう?
実は、アスラが怒るのには理由がありました。
アスラには、舎脂(しゃし)という娘がいたのですが、インドラに無理やり連れていかれてお后(きさき)にさせられてしまいました。
海水の塩味が変わらないくらいでキレちゃう性格ですから
それは・・・怒ったでしょうね(笑)
でも、舎脂(しゃし)は、実はインドラの元で幸せに暮らしていたんですが、それを
知ってか知らずか、とにかくインドラに挑みかかっていきます。
インドラって、一説では494,900人もお妃がいたそうです。
大事な娘をそんなヤツにとられたのが、気に入らなかったのかもしれません(笑)
最終的に、インドラはアスラを、天から追放してしまいます。
仏教の阿修羅 と 帝釈天
さて、ここまではインド神話の話でしたが、この話が、ほとんどそのまま、仏教の話になります。
アスラ = 「阿修羅」(あしゅら)
インドラ = 「帝釈天」(たいしゃくてん)
帝釈天は、仏教の中の位置づけとしては・・・
- 如来(にょらい)
- 菩薩(ぼさつ)
- 明王(みょうおう)
- 天(てん)
4番目の天に属しています。
この天には、毘沙門天や広目天などの、四天王も含まれます。
帝釈天は仏法を守護する仏の長で、四天王も従えています。
例えるなら、警察庁長官といったところでしょうか。
さて、話を阿修羅との戦いに戻します。
仏教のおいて、阿修羅は、やはり帝釈天には勝てません。
そして、いつの間にか・・・
戦うことそのものに「執着」するようになり、止めるに止めれない状態に陥りました。
この状態を「修羅場」(しゅらば)と呼びます。
ドロ沼にはまったような、争いごとを「 修羅場 」と言うのは、ここからきています。
やがて、阿修羅は、六道(りくどう)の「修羅界」に鬼神として追放されてしまいます。
六道(りくどう)という、聞きなれない言葉が出てきましたが、これは仏教では
悟りを開いていない、迷いのある者が、さまよう6つの世界の事を指しています。
餓鬼というのは、よく四天王に踏んづけられている小さな鬼がそうです。
阿修羅が追放されたという修羅界、人間界より下の世界だったですね。
その後の阿修羅
鬼神となり修羅界をさまよう阿修羅ですが、実は仏の教えに目覚め、やがて仏法を守護する八部衆(はちぶしゅう)になります。
めでたし、めでたし・・・・(笑)
さて、阿修羅が何者か については、以上です。
しかし、もっと気になるナゾが残っていますね。
阿修羅のあの顔と手・・・!
次に、それを見ていきましょう。
阿修羅の顔と手
阿修羅で気になるのは、やっぱり
- 3面の顔
- 6本の手
三面六臂(さんめんろっぴ)ですよね(笑)
でも、実は、アスラは三面六臂ではありません。
また、顔や手の数が違うバージョンがいくつもあります。
日本では、興福寺の阿修羅像が、あまりにも有名なので
阿修羅と名前がつくものは、三面六臂が多いようです。
興福寺の阿修羅像、最もナゾの多い阿修羅像ですよね。
帝釈天に挑みかかる鬼神なのに、まるで少年の様な姿です。
日本の阿修羅像の原型ともいう、興福寺の阿修羅像の
顔や手の意味するところを見ていきましょう。
阿修羅像・三面六臂
■三組の手
興福寺の仏像は、手に何も持っていませんが、興福寺曼荼羅によると次のものを持っています。
おそらく、仏像にも、もともとは付いていたと思われます。
- 第一組の手 : 合唱している(何も持たない)
- 第二組の手 : 左手に日輪、右手に月輪 を持つ
- 第三組の手 : 左手に弓、右手に矢 を持つ
■3つの顔
憤怒の表情をしているものが多い阿修羅ですが、興福寺の阿修羅像は少し感じが違います。
- 正面の顔:仏の教えに出会った瞬間(驚きと嬉しさのまじった表情)
- 左側の顔:今までの自分を後悔している姿 又は 過ちを認めきれない姿(唇をかみしめている表情)
- 右側の顔:人間界を哀れんでいる姿 又は 懺悔(ざんげ)をしている姿(悲しげな表情)
左の顔 ⇒ 右の顔 ⇒ 正面の顔 と、阿修羅の成長過程を表しているともいわています。
でも、顔は幼さが残り、子供の様に細い腕 をしています。
これには、なにかワケがありそうです。
どんなワケがあるのか、そこを次に見ていきましょう。
興福寺の阿修羅像は、なぜ少年の様なのか?
興福寺の阿修羅像を作らせたのは、光明皇后(こうみょうこうごう)です。
聖武天皇のお后で、711年に母親を亡くした時に弔(とむら)いのために
西金堂(さいこんどう)を建て仏像を安置しました。
本尊は、釈迦如来像で、周りを十大弟子と八部衆が守ります。
阿修羅像は、この八部衆の一体として作られました。
実は、光明皇后、母親を亡くす直前に、生後間もない子供を亡くしています。
聖武天皇、光明皇后の悲しみは、相当深かったと思われます。
実は、興福寺の八部衆、この阿修羅以外の像も、まるで子供の様な姿なんです。
恐らく・・・・
光明皇后が息子の死をいたんで、子殿の姿の仏像を依頼をしたか
または光明皇后の気持ちを考え、誰かが、その様に作らせた
そう思えてなりません。
阿修羅像の顔自体が、光明皇后の顔を映しているのではないか?
という説もあります。
まとめ
インド神話のアス ラ
- アスラとは「神ではないもの」 又は 「禁酒の神」
- インドラに娘を奪われ戦いを挑む
- インドラによって天から追放
- 仏教の阿修羅
- インドラ=帝釈天
- 戦いそのものに執着してしまう
- 六道の修羅界に鬼神として追放
- 仏の教えに目覚め、八部衆に
- 阿修羅の顔と手(三面六臂)
- 三面
正面顔 : 仏の教えに目覚める
左顔 : 後悔/反抗
右側 : 憂い/懺悔 - 六臂
1手 : 合唱
2手 : 日輪と月輪
3手 : 弓矢
- 三面
- 興福寺阿修羅像の姿
- 光明皇后が作らせた八部衆の一体
- 息子(皇太子)の死が影響していると思われる
あとがき
これ、本当かどうかは分からないんですが、興福寺の阿修羅像、暗がりで見るとめちゃくちゃコワいという話があります(笑)
昔は、当然今の様に蛍光灯などありませんから、相当暗いはずです。
そんな暗がりでは、恐ろしい鬼神の姿に見えるように、昼と夜とでコントラストを分けたのかもしれません。
阿修羅って色々想像の膨らむ存在ですよね。
実は、阿修羅ってインド神話、仏教以外に、ヒンズー教やゾロアスター教にも登場して
色んな話があります。
ギリシャ神話もローマ神話と、一緒になって話しが混沌としていますが、インドに関しては、もっとです(笑)
今回、ご紹介したもの以外にも、色々な話があります。
これからも、色んな解釈で様々な阿修羅が出てくるのではないでしょうか。
それもまた、歴史の楽しみ方です。
コメント
阿修羅の邪悪な歴史的意味と創造主らによる宇宙粛清
2017.4.2
創造主らからのお知らせによれば、太古以来地球は銀河宇宙での流刑惑星である。1例を挙げれば、太古にプレアデスからの流刑者らが惑星ニビル経由でイラクのチグリス、ユーフラテス両川間の地域へ飛来した。彼らは金採掘のため奴隷を養成して奴隷制社会を建設した。その初代指導者は、死後に下級人霊界送りされたが、下級霊として「日嗣(ひつぐ)の神」と名乗って「日月神示」と偽証するメッセージを、1944年に千葉県の麻賀多神社で岡本天明に書き写させた。下級人霊界は中級人霊界下段と共に人霊界の85%を占めていたが、人間界進化への否定的影響をおよぼすから、1990年代後半に創造主らによって一掃された。それらは、これで転生できなくなった。
3次元人間社会は悪の世界である。仏教その他のあらゆる宗教は、この悪の世界の温存と人間支配のために、人間の精神的監獄として、精神的支配の道具として、太古以来の地球侵略支配者:トカゲ座のレプティリアン・ヒューマノイド(4次元の全身鱗に覆われた爬虫類型ヒューマノイド) と彼らのボス:龍座ドラコニアン(5次元の有翼二足歩行動物トビトカゲで英国首都ロンドン市の公式紋章) が創始させた邪悪な地球人奴隷支配の手段である。現代では、宗教は金権奴隷支配体制の精神的人間支配のイデオロギー体系である。
仏教の阿修羅像は、その一環である。しかし、言う迄もなく、仏教などの宗教では人間解放が実現するわけはない。阿修羅像には、この地球の生き地獄からの解放をブッダに求める止むに止まれぬ祈りが、表現されている。しかしそれは無力で無意味で、だましの偽善的な説教である。
太古インドの奴隷制社会で、奴隷所有領主の息子が出家して、大樹の下で長い瞑想の果てにレプティリアン指導のテレパシーで悟りに達して原始仏教を創始した。それはレプティリアン・ヒューマノイドらによるテレパシー指導の結果だった。瞑想者らは今もそうした影響を受けている。
ブッダは奴隷所有者らから寄付金をもらって、その基金で祇園精舎と竹林精舎を建立して、そこを根城にレプティリアン仏教の布教活動をした。彼の説は口伝えで伝えられて、約500年後にやっと文字で表示された。それは奴隷制社会の体制イデオロギーだった。それは、封建制社会、資本制社会でも同様な役割を果たしている。創価学会と公明党がそれを実証している。
時は風のように飛んで今やっと、創造主らによる地球粛清の時が来た。地球と、地球の乗っ取り支配者トカゲ座のレプティリアン・ヒューマノイドの惑星、彼らのボス:ドラコニアンの惑星は、約2万の邪悪で腐敗した文明惑星と共に、我々の宇宙の秩序正常化のため、間もなく解消措置で一掃されて、我々の宇宙から消滅する。創造主らの宇宙ブロックス管理界の無数上級ランク指導・管理界にいる邪悪な保守反動根元と同8(地球担当者)の邪悪な妨害介入があるが、彼らの解消措置の実現で宇宙粛清は間もなく実現する。
http://blog.livedoor.jp/tatsmaki